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相沢沙呼 『medium[メディウム] 霊媒探偵 城塚翡翠』 : すみません、相沢沙呼先生。完全になめてました。

書評:相沢沙呼『medium[メディウム] 霊媒探偵 城塚翡翠』(講談社)


本作は3年前(2019年)の作品で、「このミステリーがすごい! 1位」「本格ミステリ・ベスト10 1位」「第20回本格ミステリ大賞受賞」など、その年のミステリ界の話題を掻っ攫っていった、「大ヒット作」である。

一一そんな作品を、なぜ今頃になって読んだのか。端的に言えば、そうした「世評」を、まったく信用しなかったからだ。

そりゃあ、それなりに良くできた作品なのだろうが、そんなにご大層な作品なのか? また、業界を上げてスターでも作りたいだげじゃないのか? だいたい、大ヒットのベストセラー作品なんて、読んでそれなりに面白くても、ブームの去った後になってみれば、別に読まなくても済むような作品ばかりじゃないか。一一と、おおむね、そんなふうに考えていたからである。
だから、数年経ってから、おもむろに読んで、「なんだ、やっぱりこの程度じゃねえか」と、大騒ぎした人たちを嘲笑ってやろうと考えたのだ。

だが、本作は、まぐれもない「傑作」だった。

たしかに「文学」としてどうこうというような作品ではないから、読まなければ一生の損失だとまでは言わないが、しかし「作者と読者の知的ゲーム」としての「本格ミステリ」としては、稀に見る傑作であると断じていい。たしかに、3年前の評判は、ダテではなかったのである。

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したがって、今更この作品の「内容」について論評しても仕方がないし、そもそも本作は、「仕掛け」に満ちていて「中身についての論評」が難しい作品であるからこそ、多くの論者が「とにかくスゴイ」「『すべてが、伏線。』という帯文に偽りなし」「最後まで読んで評価せよ」といった、いささか漠然としていながらも、最大級の賛辞を捧げていたのだ。
だから、私も、ここで、この作品の内容に触れることはやめて、ひたすら「未読の人は、騙されたと思って、ぜひとも読め」という、いささか芸のない推薦の言葉を記すに止めたい。

しかしその上で、私が「まんまと騙された」のは、無論、私が本作を「なめていた」からではあるのだが、それも故なきことでもなかった、ということだけは、後世のために書かせていただこう。
何も言い訳をしたいのではない。一一というのは、読んでもらえば、わかるはずだ。

端的に言って、私が本作の出来を信じなかったのは、

(1)『すべてが、伏線。』とかいった惹句に、飽き飽きしていた。

ということがある。
つまり、「大げさな惹句」が氾濫しており、それに騙される経験を否応なく何度も積まされたから、こういう惹句は「話半分に聞く」だけではなく、むしろ「悪印象」さえ持つようにさえなっていた(教育されていた)のだ。

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(2)人気ミステリ作家たちの、最大級の推薦文がズラリと並んだ帯。

これも、出版社段階での「売り込み」意図ばかりが鼻について、かえって「推薦の言葉」自体が信じられなくなったいた。「この人たち、原稿料さえもらえれば、そこそこの作品なら、何でも褒めるんじゃないの?」という懐疑を抱いていたからである。
実際、年に何作も推薦文を書いて、「傑作認定」を濫発するような「人気作家」もいて、そういう人が名を連ねていると、私などは、かえって「うさんくささ」を感じ、敬遠してしまうところが、ハッキリとあった。「こいつの推薦文は、信用ならない」と。

(3)成長株(作家)に推薦文を書いて恩を売り、唾をつけておけば、先々「恩返し」をしてもらえるという「業界生き残り策」的な現実がある。

先日、レビューを書いた、吉田親司『作家で億は稼げません』にも書かれていたことだが、先輩作家というのは、自身のジャンルに、「有望新人」が登場することを、心から望んでいる。

「有望新人が出てきたら、読者を取られちゃうから、出てこない方がいいんじゃないの? 読者を取られても、ジャンル隆盛のために喜ぶなんてお人好しは、なかなかいないんじゃない?」という見方は、一面の真理であり、私も何となくそんなふうに感じていたが、前記の吉田親司『作家で億は稼げません』に拠れば、要は、そのジャンルに新たな人気作家が出てこなければ、やがてジャンルとしての人気も落ち、読者が他ジャンルに流れて本が売れなくなって、結果として、ジャンル作家たちは、ベテランと若手のどちらにとっても、好ましくない状況に陥ってしまう、ということのようだ。

つまり、「新規の読者」をジャンルに呼び込む(開拓する)ような、実力のある若手作家が出てきて、その作家の本が売れれば、それにつられてジャンル自体の勢いも増し、ベテランも含めた同ジャンル作家の本も売れるようになるのである(分け合うパイが大きくなる)。

だから、先輩作家たちは、有望新人の登場に、心から期待している。
それは「ミステリを愛しているから」とかいった素朴な感情からだけではなく、そうした新人の登場が、単純に「自分の利益」にも直結するからだ。

そのため、ベテランの「権威ある作家」は、仮に原稿料が安くても、「推薦文」を書くだろう。それは、自分の「ステータス」の証明にもなるし、ジャンル内で分け合うパイの拡大にもつながる。
また、若手作家としては「あの、○○先生が推薦文を書いてくれた!」と感動し、感謝し、恩に着るだろう。そして、そのベテラン作家が新刊を出して、それへの推薦文を求められたら、仮にその作品が「凡作」であったとしても、「あの、○○先生の新作に、自分ごとき若輩者が推薦文を書けるなんて!」と、ありがたく「精いっぱいの絶賛」を捧げるだろう。これは、一種の「恩返し」であり、それでさらに「人間関係」が築けるのなら、推薦文などお易い「御用」だ、というわけである。

だが、ここで問題とすべきは、ベテランが有望新人に対して書く「推薦文」も、有力新人がベテラン作家のために捧げる「オマージュ」も、結局のところそれらはすべて「自分たちのため=業界のため」でしかなく、その「推薦文」や「オマージュ」を額面どおりに受け取り、その一種の「叙述トリック」に騙される、「一般読者」の利益のために書かれたものではない、という点である。

まあ、「オマージュ」が、捧げる相手に向けてのものであるというのは当然だとしても、その「オマージュ」が、単なる個人的な「気持ち」の伝達ではなく、現実問題として「一般購買者向けの販促コピー」であるのならば、やはり、書き手の「顧客に対する責任」はあろうし、ましてや「推薦文」とは「一般購買者」に対する「推薦」なのだから、それがもっぱら「業界内的な損得打算」で書かれるのは、「ペテン」とまでは言わないまでも、「不誠実な宣伝文句」だとは言えるだろう。
だが、こんなことが「当たり前」に横行しており、むしろ、そうしたことに対して、真っ当に「良心の呵責」を覚えるような真面目な作家の方が、むしろ、みすみす「業界内的生き残り策」としての「推薦文や見せオマージュ」の機会を放棄して、損をすることにもなってしまう。「正直者が馬鹿を見る」というわけである。

だが、これが「資本主義リアリズム」に冒された「エンタメ小説」界の、偽らざる現実でもあるのだ。

だから、そうした問題について、人一倍「問題意識」のある私が、「騙されるものか」と「過剰防衛」的になったのも、決して故なきことではないし、私個人の問題で済まされる話でない。

例えば、現今のように「特殊詐欺」が横行している状況を知悉した結果、「騙されないぞ」と身構えている人は、電話一本に対しても、相手の言うことを鵜呑みにはしない。「いやいや待てよ。こいつは偽者じゃないか?」と疑って、電話を切ってしまうことも多いだろう。
その結果、それがたまたま「本物」の家族や友人からのものであったために、後で「なんで、いきなり電話を切ってしまうんだよ! そのあと何度かけなおしても出ないし!」などと怒られるようなことにもなるのではないか。
だが、こうした「ミス」は、「平気で人を騙す輩」が横行する世の中において、わが身を守るためには、もはや必要な「用心」なのである。

だから、「本物」からの電話を誤って切ってしまい、後で叱られれば、その時は「いや、最近は、詐欺の嘘電話が多いから、てっきりそれだと思って切っちゃったんだよ。ごめんね」と釈明すれば、「良識のある相手」であれば「まあ、それなら仕方がないな。このご時世だからね。これからも、そのくらい慎重な方がいいと思うよ。事情はよくわかった。これからは私も、私が本物だってよくわかるように電話するようにするよ」と言ってくれることだろう。

そんなわけで、私が、相沢沙呼先生の本作『medium 霊媒探偵城塚翡翠』を、今日まで読まなかったのも、そんな事情があったからなのだ。だから、相沢先生、私の「過剰防衛」をどうか、ご勘弁願いたい。

私は、作家に対して、「嫌味」以外では、「先生」呼ばわりしたりはしない人間なのだが、今回は、心から謝罪したいと思ったので、「先生」を付けさせていただいた。私の「嫌味」ではない「先生」づけは、10年に一度のものだということをご理解いただければ幸いである。

しかしまた、私が、如上のように「どうせ、安っぽい推薦文ばかり」だろうと思い、いわば、初めて読んだ「相沢沙呼」という作家の『medium 霊媒探偵城塚翡翠』という作品に、ここまで気持ちよく騙されたのは、まさに「推薦文」を真に受けなかったから、でもある。
「推薦文」の数々を額面どおりに受け取って、「期待値」を際限なく上げていたなら、ここまで見事に騙されることがなかったろうというのも、また事実なのだ。

その意味では、作家たちの「信用ならない推薦文」というのも、いわば「怪我の功名」ではあった。
しかしながら、それは「特殊詐欺が横行したおかげで、みんなの防犯意識が高まった」と言って喜ぶわけにもいかないのと同じことで、それで「信用ならない推薦文」が免責されるというわけではないというのは、言うまでもないことだろう。

ともあれ、相沢先生、今回は、先生の力量を知らずに読んだから、まんまと騙されましたが、次はそうはいきません。
今回のことで「期待値」は否応なく高くなっていますから、次からは、今作に近いレベルの作でないと、どうしても評価は辛くなるでしょう。

したがって私も、次は、「城塚翡翠シリーズ」の続編ではなく、評判が高いらしい『小説の神様』を読んでみたいと思います。
この作品が「本格ミステリ」ではないことは承知していますが、「小説」として、どのくらいのものなのかを見定めたいと思うからです。無論、エンタメ小説として「楽しみたい」という気持ちはありますが、「期待値」が上がるだけ上がった後だからこそ、読者としての不安もぬぐえません。しかし、それもこれも、先生の力量を認めたから、また読むのだとご理解いただければ幸いです。

今後も、より良い作品をお書きください。心より期待しております。

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【追伸】 安っぽい推薦文を濫発しているベテラン作家へ
推薦文を書く時は、それによって、その本を買うか否かを決める購買者に対する「物書きとしての責任」意識を、くれぐれも忘れないように。

(2022年8月7日)

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