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深緑野分 『戦場のコックたち』 : 〈矛盾し 非統一な人間世界〉の反映として

書評:深緑野分『戦場のコックたち』(創元推理文庫)

本作は、いろんな意味で「引き裂かれて在る人間世界」の「矛盾」を、体現的に表現した作品だと言えるかもしれない。

一般に、作品には「統一感」というものが求められる。「現実世界」そのものではない「作られた世界」では、その世界の「世界観(統一原理)」によって、その世界の隅々まで無矛盾的に構成されていなければ、その作品は「破綻している」と評価されてしまう。

例えば、ごく普通の日常生活を舞台にした「本格ミステリ」作品において、(適切な伏線もなく)犯人が「宇宙人」であったとか「超能力者」であった、というようなオチは許されない。
「日常的な世界観」を揺るがす「不可能性(の犯罪)」を、論理的な解明によって解体し、日常性に回収することで、その作品世界の統一性を回復し確立することこそが「本格ミステリ」の作法であるし、「本格ミステリ」にかぎらず、「作品」というものには、多かれ少なかれ「世界観の統一性」というものが求められるのだ。

だが、本作はいわば、そうした「安定的な世界観」への「懐疑」を主題とした作品だとも言えるだろう。「戦争という非日常と、日常の謎(的な謎解き)」あるいは「戦争という殺し合いとしての非日常と、食事という日常」(あるいは、内容の残酷さと、一見呑気に見えるタイトル)という具合に、本作には、相反する要素が並立的かつ対立的に配置され、同居させられている。だから、そこに「違和感」をおぼえる読者も、当然いよう。

しかし、作者が描きたかったのは、そうした「矛盾」を内包している、この「人間世界」であり、「戦争」という人間的な営為に典型的に示される「人間世界の矛盾」であり、その「リアリティー」だったのではないだろうか。
つまり、作者は「収まりの良い物語」を、描きたくなかったのではないか。「矛盾」を孕むが故に「収まりの悪い物語」。気持ちよく「完結することを許さない物語」。つまり、私たちのこの「人間世界」を象徴的に描く、「寓話としての物語」を書きたかったのではないだろうか。

私たちのこの「人間世界」は、多くの「矛盾」を含みながら存在している。そこでは、統一感ある説明など、容易に許されてはいない。だからこそ、私たちは、せめてもの「救いとしての統一的世界観」を、「物語世界」に求めて、そこに逃避しようとするのではないだろうか。

しかし、作者の想いは、この「多くの矛盾を抱えた、人間的な現実世界」において「矛盾の中で生き、そして死んでいった人々」へと向けられているのではないだろうか。
「誰が正義で、誰が悪だ」などといったわかりやすい結論を、金輪際与えてはくれないこの「人間世界」で、それでも「真実」を求めて格闘し、死んでいった人たちへの「鎮魂歌」として、この物語を書かれたのではないだろうか。

作者も、人間である以上、「本格ミステリ」が指向する「秩序回復」の物語をもとめる嗜好は持っているだろう。しかし、そうした「楽園」には安住しきれない「人間的な歴史に対する後ろめたさ」を感じてもいるのではないだろうか。
作者は、そうした「矛盾」に引き裂かれており、だからこそ、その矛盾を「物語」の中にも持ち込むことで、この「人間世界」をありのままに受け入れようとしたのではないだろうか。

昔、本作と同じ版元から刊行されたミステリ作品に『死は走る者から襲う』(山崎純)という作品があったかれども、人間は「死」に象徴される現実に、背を向けることで逃げきることなどできない。同様に、この世界の「矛盾」から逃げきることもできはしないのだ。

「ならば、それと対峙するしかない」と、作者はそのように感じているのではないだろうか。

初出:2020年10月28日「Amazonレビュー」
  (2021年10月15日、管理者により削除)

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