見出し画像

千葉雅也 『現代思想入門』 : 〈自慢〉できるようになる 入門書の決定版!

書評:千葉雅也『現代思想入門』(講談社現代新書)

本年(2022年)3月に発売されて以来半年、とてもよく売れている本である。

画像4

あんまり売れているので、講談社現代新書は、若手の哲学研究者に書かせた「薄くて、わかりやすくて、役に立つ思想家入門書」のシリーズ化を進めているそうだ。

・新書は絶滅危惧種? リスク覚悟で誕生する「100ページ新書」講談社編集長が“若い人へ間口を広げたい”理由(「Yahoo!ニュース」)

『 講談社現代新書の青木編集長によると、100ページ新書とは、約250ページとされる新書のページ数を最大で128ページぐらいに減らすことで、読者が“イッキ読みできるようにした新書”のことだという。

 Web動画やSNSなどのコンテンツ消費が増え、本を読む時間が少なくなっている現代社会で“若者への新書の入り口”として企画した「100ページ新書」。しかし、実際に出版するうえでは、100ページゆえの「文字制限」が課題となった。
(中略)
 ページ数を少なくした分、通常より厚い紙を使用し、値段の割高感をフォローしたという。9月13日の発売に向け、万全の準備を整えたもののSNS上では「100ページでは内容が乏しいのでは?」といった声も上がっている。こうした意見について、青木編集長は「内容は薄くない」と断言する。

青木編集長「厳しいご意見も大事だと思っているのですが、書いていただいた著者の名誉のためにもこれだけは申し上げたいのですが、内容は保証します。ページ数は薄いものを目指しましたが、内容も薄くしたわけではありません」
(中略)
 ニュース番組『ABEMAヒルズ』に出演したコメンテーターのBuzzFeed Japan編集長・神庭亮介氏は、100ページ新書について「サッと情報を仕入れて役立てたい人が“本当の教養”に触れられるアイデアだと思う」と語る。

神庭氏「いまの時代、情報を仕入れるツールとしてYouTubeなどを見ている人は結構多い。ライターのレジーさんは、短時間で“ビジネスに役立つ教養”を吸収しようとするような風潮を『ファスト教養』と呼んでいます」

「たとえばネット掲示板でも、 “今北産業”といって『3行でざっくり要点を教えてくれ』という意味のスラングが昔から使われている。100ページ新書は、そういったファスト教養、今北産業的なものと“本当の教養”の間をブリッジするためのアイデアなのかなと思いました」』

問題は『100ページ新書は、そういったファスト教養、今北産業的なものと“本当の教養”の間をブリッジする』ためのものとなりうるのか、ということだろう。
例えて言うならば「ラノベが、本格的な文学作品へのブリッジ」にできるのか、ということと似ていると思う。

これは、読者の方に「難しいものに挑戦する意欲がないのなら、こちらから読者の水準に合わせて、取っつきやすいものを提供し、それを本格的なものへのブリッジにしよう」という「けんご@小説紹介」的なイマドキの考え方なのだが、一一そううまくいくのだろうか?

そもそも、作家なり編集者(出版社)なりが「読者の水準に合わせて、取っつきやすいものを提供」しようとするのは、本当に「本格的なものが読んで惜しいから、その方便として、わかりやすいものを提供しよう」という意図からなのか、それとも「本格的なものは売れないから、売れるものを提供しよう」ということなのか、どっちが、より「本音」に近いのだろうか?

 ○ ○ ○

ともあれ、そんな「わかりやすい哲学入門書」シリーズの発刊を促すことになった、千葉雅也のベストセラー書『現代思想入門』だが、世間の評判はどうかを、「Amazonのカスタマーレビュー」で見てみると、刊行後半年ほどで、500ほど(現時点で、496)もの評価が寄せられており、その69パーセントが「星五つ(満点)」、18パーセントが「星四つ」で、おおむね9割がたが人が、本書に満足しているようだ。

では、どういうところに満足したのかを、同ページの現時点での1ページ目に表示されているカスタマレビューを、そのままの順で紹介すると、こうなる(丸括弧内は、ハンドルネーム)。

「星五つ」 読みやすく、わかりやすい (Amazonカスタマー)
「星五つ」 読みやすい入門書 (Amazon利用者)
「星四つ」 分かりやすい、腰が低い (二零二二)
「星五つ」 タイトル通りに入門書の機能を果たしてくれてます (ランピス)
「星五つ」 見晴らしのいい現代思想入門 (セシル・シュッツ)
「星五つ」 食わず嫌いでした (Bamse)
「星五つ」 悪文解読法あり (ishada_ishada)
「星五つ」 これが「入門」ならば、読後の若いひとびとの行方が知りたい (caritas77)ベスト500レビュアー

見てのとおり、まずは「読みやすく、わかりやすい」ということである。
「読みやすく、わかりやすい」から「良い(好ましい)」という評価なのだが、なんともナイーブである。

このナイーブさが、本書のような「読みやすく、わかりやすい」入門書によって、本格的な「読みにくく、わかりにくい」哲学書への挑戦意欲にブリッジされるのかどうか、そのあたりが気になるのであろう、『教育の世界から。教育心理学ならば、』と前置きしてコメントしている「caritas77」氏は、見てのとおり『これが「入門」ならば、読後の若いひとびとの行方が知りたい』と、書いたのではないか。
その心は「これが、本当に入門となるのであれば、いずれ、この本の読者である若者たちは、本格的な〝読みにくく、わかりにくい哲学書〟に挑むようになるはずなのだが、本当にそうなるのだろうか? その行く末を注視したい」ということであろう。

つまり、本書の問題は、「読みやすく、わかりやすい現代思想の解説書」ではあるけれど、はたしてこれが「現代思想の入門書」になるかどうかである。

「入門書」というのは、単に「わかりやすい説明書」のことではなく、それを「入口」として、次に進んでもらえるような書物のことだからだ。
言い換えれば、「読者の水準に合わせて、取っつきやすいものを提供」しようという態度は、基本的には「難しいに決まっている思想哲学」の「入門」に、本当に資することができるのか、という疑問である。

前の喩えでいう「ラノベが、本格的な文学作品へのブリッジ」になるのか、というのと同様、「ライト現代思想が、本格的な現代思想へのブリッジ」になるのか?

現代思想家を、『文豪ストレイドックス』ならぬ『思想家ストレイドックス』といった感じで、「必殺技」を持った、わかりやすくキャラの立った「キャラクター」に還元して、それが「読みやすく、わかりやすい」と人気を博し、よく売れたところで、では、そこから「本格的な現代思想」に進む人が、どれほどいるのか?

画像1

もちろん、全然いないということはないだろうけれども、それはこうした「キャラ本」で客引きをした方が、多少なりともそういう奇特な人が増えると見込んでのことなのだろうか?

まあ、それはそうなのだろうが、本音のところでは、「これで、本格的な現代思想に進む人が増える」ということよりも、前掲の記事が冒頭で問題としていたように「本が売れる」ということこそが、本来の狙いなのではないだろうか?

著者の千葉雅也が、本書のマルクスを紹介した箇所で「マルクスは、この世のあらゆる動向の下部構造をなしているのは、金目の問題だと喝破した」と、マルクスが麻生太郎と似たようなことを言ったと書いているが(ちょっと違うか?)、そうだとすれば、千葉雅也が『現代思想入門』を書いたのも、講談社現代新書が「薄くて、わかりやすくて、役に立つ思想家入門書」のシリーズを刊行するのも、「上部構造」属する「タテマエ」とは違って、その下部構造をなしているのは「金目の問題」からなのではないだろうか?

(※  「最後は金目(かねめ)でしょ」と発言したのは、麻生太郎ではなく、石原伸晃であった。麻生氏に、記してお詫びする。イメージだけで書いてしまいました。申し訳ない。2002.09.10記)

画像2
画像4

こんな具合に、私は本書に関して、嫌味なことを書いているが、これは高度にデリダ的な態度だと、千葉は解説している。

『 このように、綴り間違いに見える言葉(※ differance=差延)を新概念として提示することの自己正当化、つまりは言い訳を繊細に書くことで、みんなが信じているものへのひじょうに嫌味ったらしい挑発が行われるのです。僕は、これこそが知性だと思いますね。』(P239)

まったく同感である。

本書を読んで『悪文解読法あり』(ishada_ishada)なんて書いている人は、こんな「読みやすく、わかりやすい」と思っている本を、本当は、わかっていないのである。

つまり、本書は、本当は「読みやすく、わかりやすい」本ではないのだが、「読みやすく、わかりやすい」と思わされているところで、多くの読者には本書が読めておらず、著者の本音としての「絶望感」は、伝わっていない。
著者が、こんな本を書きたくなる気持ちは、私としてもわからないではないのである。

(2022年9月9日)

 ○ ○ ○









 ○ ○ ○


 ○ ○ ○


この記事が参加している募集