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綿野恵太 『「差別はいけない」と みんないうけど。』 : 多面的な検討に耐え得る 〈個〉

書評:綿野恵太『「差別はいけない」とみんないうけど。』(平凡社)

物事を「単純化」して、それを気持ちよく「妄信安住していたいタイプの人」には、「不愉快きわまりない」本である。だからこそ、本書には、いま読むべき、非凡な価値がある。

したがって「現実を見られる人」「現実と格闘する覚悟のある人」は、本書を読むといい。逆に、何もしないで、自身の現状を追認し「俺って賢いんだよね」と思っていたい、「自己妄信者」の方は、本書を手に取るべきではない。本書は「不都合で不愉快な現実」を指摘し、そのうえで、それに対処する覚悟を持とうと、非常に高度な要求をしている本だからである。

千葉雅也が、本書を次のように評している。

『この本の大きな貢献は、アイデンティティとシチズンシップの対立という点を明確にしたこと。アイデンティティ・ポリティクスからシチズンシップの時代への「単純な」移行に抵抗している。問題は両方の狭間。』

まったく、そのとおりだ。

私たちが「差別」に反対する時に、その根拠とするものが、この「アイデンティティ」と「シチズンシップ」である。

簡単に言えば、「アイデンティティ」による「差別への抵抗」とは、「あなたがたの属性と同様に、私たちの属性をも、対等に認めなさい」というものであり、「私たちとあなたがたは違う」ということを大前提としながら、しかし、本質的に違うタイプとして、つまり比較しての優劣判定が不可能なものとして「それぞれの〈属性〉には、対等の権利が与えられるべきである」という「理念」を掲げるタイプの運動だ。
一方、「シチズンシップ」の方は、「私たちは、同じ〈市民〉として、あらゆる他者を、平等に扱うべきである」という「理念」だと言えるだろう。
つまり「アイデンティティ・ポリティクス」とは、属性の違い強調し「その属性の違いは乗り越えられないし理解し合えないものだけれども、だからこそ、それらが同等であると考えなければ、社会は無限に分断され、弱肉強食へと陥らざるを得ない」という考え方であり、一方の「シチズンシップ」の方は「私たちは、もともと個別の存在であり、その意味では、他人のことなどわからないと言えばわからないのだけれども、それを自明の前提として、言わば方法的に、わかるものだと考えるべきである。だから、私がそうして欲しいように、他人にもそうすべきである」というようなものだ。

要は、どちらも「差別はいけない」と言うのだけれども、「人間」というものの捉え方が多少違う。
「アイデンティティ・ポリティクス」の方は、「移住外国人(あるいは逆に、自国民)」だとか「黒人」だとか「女性」だとか「LGBT」といった、ある程度の現実性を持った「属性=括り」を基礎として、それぞれへの現実的な差別に、それぞれに現実的に抵抗していこうとするものである。
一方、「シチズンシップ」の方は、そういう「括り方」ではなく、人間はもともと個々バラバラであり、まったく同じ人間は二人といないのだから、その原理的現実に照らして根本的に「差別」と対峙するには、「お互いに、同じ市民である」という「理念」を虚構して、その基本線に沿って、可能なかぎり個々具体的な「差別」に対応していこうとするものである。

したがって、「アイデンティティ・ポリティクス」の方は、具体的ではあるけれど根本的ではなく、その点で弱点を残す。一方「シチズンシップ」の方は、根本的ではあるけれど、観念的かつ理念的で具体性に欠け、現実への働きかけが、どこまでいっても不徹底なものとならざるを得ない。

では、どうするのか?

その答えは無いのである。
「正解」など無いからこそ、著者は、まず現実と向き合い、それを犀利に分析して、現実に対処していく他ない、と訴えているのだ。
それが、千葉雅也の言う『問題は両方の狭間。』という言葉の意味である。

これを読んで、「なんだ、答は無いのかよ。そんなもんに何の価値がある」と思った人も少なくないだろう。まあ、本に「回答」を求めているような人が、そう感じて「不満」を覚えるのは止むをえない。しかし、著者は、そんな「思考停止の自己現状追認願望者」に読ませようとして、本書を書いたわけではない。
なぜなら、単純に、読者の「能力」の問題もあるし、「人間性」の問題もある。つまり「わかるだけの能力が無い人」や「わかりたくない人」には、どうしたって本書の意図(作者の想い)は伝わらないのだし、そんな人たちを説き伏せようとする企てとは、「(キリスト教でもイスラム教でも創価学会でもオウム真理教でもいいのだが)宗教妄信者」に「現実を見ようよ」と説くようなもので、最初から無理な相談でしかないからだ。

だからまあ、理解する能力のない人はしかたないとして、理解したくない人にも多くの期待は寄せず、それでも広く読んでもらわないことには「わかる人」にも届かないからこそ、本書は書かれ刊行されたのだ。

したがって、「自己修正」をできる人、いや、むしろ「いつも自己修正を求めている人」こそが、本書を手にすべきである。
本書で、あなたの現在の姿勢は批判され、一定の修正を求められるだろう。
しかし、そのことによって、あなたの弱点は矯められ、穴が塞がれ、あなたは強度を増すことになろう。

「差別反対」という意見は、正しいのだけれど、そんなことなら「差別者」だって口にしているという現実を直視して、彼我の差を明確にすべきである。
「優劣の差」は、明確にあるのだ。だから、それをきちんと認識しなければならない。そしてそのうえで「差別」に反対できる者こそが、真の「優れた個人」なのである。

初出:2020年1月12日「Amazonレビュー」
  (2021年10月15日、管理者により削除)

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