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例えば、 ネトウヨも 〈カルト〉 : 江川紹子 『 「カルト」は すぐ隣に オウムに引き寄せられた 若者たち』

書評:江川紹子『「カルト」はすぐ隣に オウムに引き寄せられた若者たち』(岩波ジュニア新書)

本書が訴えているのは、シンプルに「カルトに気をつけよう」ということである。
しかし、私自身を含めて、本書のレビュアーも読者も、多くは「自分自身も、カルトに巻き込まれる怖れがある」とは、まず考えていない。
だからこそ、著者は、切迫した問題として「カルトに気をつけよう」と訴えざるを得ない。

殊に、こうしたものに耐性のできていない若者は、「カルト」に吸い寄せられる危険性がきわめて高く、事実そうした「結果」が、私たちの目の前でハッキリと出ているのである。
一一その実例が、「在特会」を始めとした「ネトウヨ」的人間である。

彼らのやっている反社会的行動(人種差別や人権侵害的な発言やデモ、組織的で暴力的な電凸など)を見ていれば、それが遠目には(つまり、外国から見たり、20年後から見れば)「カルト」の一種であることは明白である。
しかし、ことが「政治的」なものであると認識されると、その「思考の硬直や行動の極端さ」といった「カルト」性が、当事者は無論、傍目(多くの日本人)にも気づかれなくなり、「カルト」であるとは認識されなくなってしまう。

『 語源は、儀礼、儀式、崇拝などを意味するラテン語です。アメリカなどで生まれた、急進的な新宗教を指す言葉として用いられるようになり、カリスマ的指導者を熱狂的に崇拝する新興宗教団体を「カルト」と呼ぶようになりました。
 そこから派生して、宗教に限らず、何らかの強固な信念(教義、思想、価値観)を共有し、それを熱烈に支持し、行動する集団を「カルト」と総称するようになりました。中でも、自分たちの目的のために手段を選ばず、社会のルールや人間関係、人の命や人権などを破壊したり損なうことも厭わない集団を、特に「破壊的カルト」と呼ぶ専門家もいますが、それも含めて単に「カルト」と総称することの方が多いかもしれません。』(P191)

もちろん、本書でも言及されているとおり「連合赤軍」などの左翼も「カルト」であって、「カルト」性に、思想の左右は関係ない。
極端な思想に凝り固まって、思考の柔軟性を失い、極端な行動に出るような人たちの「集団」が「カルト」なのであるから、「連合赤軍」のような極端な左翼運動集団もカルトなら、「在特会」もカルトだし、「日本会議」のような組織も「カルト」と呼んでいい。また、ハッキリとは組織化されていないとは言え、ネットによってユルく組織化されている「ネトウヨ」もまた、そうしたカルト思想の「信者」と呼んでも、なんら差し支えないのである。

したがって、「カルト」というのは、昔の話ではない。
「オウム真理教」以降、カルトらしいカルトが日本では出現していないとか、日本人はあの事件に懲りてカルトには引っかからなくなった、などという現状理解は、まったくの誤認であると言えよう。
今ほど、カルト信者的な心性を持った人が、公然と、かつ無自覚に跋扈している時代は、戦後初めてと言えるかもしれないのだ。

だが、その認識が、今の日本人にはない。
つまり「カルト」を、オウム真理教などのイメージだけで浅く捉えているから、今の「カルト」が見えていないのである。

今も『「カルト」はすぐ隣に』いて、若者たちは(無論、高齢者までもが)気づかないうちに、現にそれに捕われている。
だが、それに気づいている人は、決して多くはない。だから危険なのだ。

初出:2019年8月4日「Amazonレビュー」
  (2021年10月15日、管理者により削除)

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【補記】(2021.06.16)

当記事について、hirokifujioka氏から「左翼リベラルによる、ネトウヨ差別だ」と批判「差別を正当化する装置」する記事が書かれましたので、先方のコメント欄に、コメントをしておきました。どうぞ、ご参照ください。

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