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君は 〈東京五輪2020〉の 何を記憶しているか?

書評:本間龍『東京五輪の大罪 ――政府・電通・メディア・IOC』(ちくま新書)

とにかく中身の濃い本だった。
だが、すなわちそれは、本書で扱われる「東京五輪2020」の問題が、あまりにも多岐にわたって「膨大」と呼んで良いほどのものであったからに他ならない。

私は当初、このレビューを書くにあたって、ポイントを絞るようなことはしたくないと思った。
そうではなく、本書で語られている問題を列挙した上で、最後に簡単なコメントを付すというかたちでまとめよう、と考えた。「列挙された問題の膨大な量」において語らしめようと、そう考えたのである。

しかし、そのようにしてまとめようとしても、紹介したい内容があまりにも多すぎて、どうにも「省く」ということができないかった。
本書で語られている「東京五輪2020」の問題点の膨大な数と量というのは、決して水増し的なものではなく、それぞれが一書を当てるに値する、重大な問題ばかりだったのだ。
だから、それぞれの問題について、せめて簡単に紹介するくらいはしたいと思ったのだが、それをすると結局は、ほとんど本書をそのまま引き写したも同然のものとなってしまって、まとめようがなくなり、お手上げ状態になってしまったのだ。

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それからすでに半年。このままレビューを書けないのでは、私自身が「東京五輪2020」の問題点の膨大さに押しつぶされたようで、どうにも口惜しい。
また、この重大な問題の数々が、このまま忘却の彼方に追いやられることを許してはならないという思いもあって、今回再び、レビューの執筆にチャレンジしたというわけである。

もっとも、どのように書くかという目算はなかった。
ただ、ひとつ分かっていることは、列挙式では書けないということだけだったから、それは止めて、とにかく書き始めるという「自動書記」方式にした結果が、これである。
私自身、ここを書いている現時点では、この先どうなるのか、はっきりした目算を持ってはいないのだ。

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本書の「目次」的な内容については、Amazonカスタマーレビューの方で、レビュアー「美しい夏」氏が簡記紹介してくれているので、まずはそちらをご参照いただきたい。
ただし、前記のとおり、本書の内容は、こんなものではないということを、くれぐれも忘れないでほしい。本書は、自分で読まずしては、その凄さの片鱗すら窺うことの不可能な、そんな書物なのである。

さて、そう前提した上で、本稿読者にご質問したい。
あなたは「アンダー・コントロール」という言葉をご記憶だろうか?

「知らない」ということはないはずだ。これは、マスコミで繰り返し批判的に取り上げられた、有名な言葉だからだ。したがって、必ず耳にはしているはずで、それを思い出せないのだとしたら、あなたはこの問題に「興味がない」のだとしか、考えようがない。
しかし、この問題は、日本人として、「興味がない」ので「忘れました」では済まされないものなのである。


「アンダー・コントロール」とは、安倍晋三首相が「福島第一原発」について語った言葉である。

東日本大震災に伴う津波によって、メルトダウンの過酷事故を起こし、今なお多くの被災者の生活に影を落とし続けている「福島第一原発」の事故について、事故の数年後に安倍晋三首相が行なった、ある演説での言葉だ。

安倍首相はここで「被災して、放射性物質を撒き散らすことになった福島第一原発は、しかしその後の対応によって、放射能被害を外部に漏らさぬ、完全なコントロール下においた」という趣旨のことを明言したのだ。

この発言は、じつに2013年のものであり、およそ10年も前のことだが、では「福島第一原発」の「環境問題」は、完全に解決したのだろうか?

無論、そんなことはない。
メルトダウンして破壊された原子炉を冷やし続けるための注水によって、今も絶え間なく生まれ続けている「放射能汚染水」は、もはや原発周辺にとどめ置くスペースが無くなって、近々「海洋投棄」が予定されている。
今のところ、漁業者をはじめとした周辺住民の反対によって、実施時期の決定には至ってないが、実際問題として、引き取り手のない「汚染水」をこのまま貯蔵し続けることは物理的に不可能であり、近い将来、周辺住民への「補償」というかたちで決着がつけられるのは間違いない。つまり、汚染水は、必ずや海洋投棄されるのである。

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この海洋投棄にあたっては「十分に稀釈して(薄めて)から投機されるので、問題はない」というような説明がなされている。「そのくらいの濃度なら、自然界にもともと存在しているのだから心配ない」という「いつもの理屈」だ。

しかし、いくら水で薄めたところで、「放出される放射性物質の総量」が変わるわけではない。
また、海の水の量が増えるわけでもない。「汚染水」を薄めるために使った水もまた、自然の中から持ってきたものであって、水の総量は基本的に変わらないからである。
しかし、放射性物質は違う。それは人間が、自然の中にあった、比較的安定していた放射性物質を加工し、人為的に作り出した「強い毒性物質」であり、その形態では自然には、それだけの量は存在しなかったものなのである。
つまり、放射性物質を含んだ「汚染水」が海洋投棄されるということは、本来、人間が産み、人間の管理下に留めておかなければならなかったはずの、毒性の強い放射性物質を、自然の中に「付け加える」ということなのだ。だから、これは「水で薄めたから大丈夫」という話ではないのである。

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さて、ここまで読んで、「原発汚染水の話はわかったが、オリンピックの話はどこへいったのだ?」と思った方も、たぶんいたことだろう。
「アンダー・コントロール」という言葉を記憶していなかった人なら、そうなるのは、むしろ当然である。だが、これは「東日本大震災」の話でもなければ「福島第一原発事故とその後」の話でもない。まぎれもなく「東京五輪2020」の話なのである。

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安倍晋三首相がこの演説を行ったのは『平成二十五年九月七日、ブエノスアイレスで行われた国際オリンピック委員会総会』の席においてであった。
こう書けば「ああ、そうだった」と思い出してくださった方もあるだろう。

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このスピーチの3年後の2016年に、立憲民主党の逢坂誠二議員が「国際オリンピック委員会総会における安倍首相のスピーチの解釈に関する質問主意書」と題する質問書を国会に提出している。

『 平成二十五年九月七日、ブエノスアイレスで行われた国際オリンピック委員会総会で行ったスピーチの中で、安倍首相は、「Some may have concerns about Fukushima. Let me assure you, the situation is under control.」と表明している。かかるスピーチをめぐっては、国会でも議論されたが、首相の答弁は刻々と変遷していったと言わざるを得ない。
 他方、平成二十八年七月二十日の福島民報によると、七月十九日に原子力規制委員会が開催した「特定原子力施設監視・評価検討会」(「本検討会」という。)において、原子力規制委員会に福島第一原子力発電所の凍土遮水壁の最終目標を問われた東京電力側は、「凍土壁で抑え込み、サブドレンでくみ上げながら流入水をコントロールする」と説明した上で、「完全に凍らせても地下水の流入を完全に止めるのは技術的に困難」で、「完全閉合は考えていない」と明言したとされている。
 かかる安倍首相のスピーチと本検討会の内容についての整合性に疑義があるので、以下質問する。

一 安倍首相のいうところの、「Some may have concerns about Fukushima. Let me assure you, the situation is under control.」とは、具体的に福島第一原子力発電所のどのような状態を示すのか。政府の見解を示されたい。
二 福島第一原子力発電所の事故後の対策に関して、「完全閉合」とは具体的にどのような状態を示すのか。政府の見解を示されたい。
三 福島第一原子力発電所の事故から五年余りが経過しているものの、かかる凍土壁による対応も十分な結果を出していない。前述の福島民報の報道直後、同日の平成二十八年七月二十日に、東京電力ホールディングス株式会社は、「福島第一原子力発電所 陸側遮水壁に関する報道について」を明らかにし、「段階的に閉合範囲を増やして最終的に百%閉合を目指している」と表明している。この表明の意味することは、「最終的に百%閉合を目指している」ものの、技術的な限界により、「the situation is under control」を保証するものではないと考えられる。現時点で、このような技術的な課題があるにもかかわらず、政府は「the situation is under control」であると考えているのか、政府の見解を示されたい。
四 福島第一原子力発電所の事故の対応に関して、凍土遮水壁による対応が完全閉合を保証しないという局所的な問題のみならず、様々な予期せぬ問題が次々と生じ続けていると考えられる。このような状況下においても、福島第一原子力発電所は、「the situation is under control」にあり、安倍首相は「Let me assure you」と国民のみならず、国際社会に公言できるのか。政府の見解を示されたい。
 右質問する。』

これへの回答がどのようなものであったのかは知らないし、いまさら調べる気にもならない。
結局は、同質問書にあるとおり、その後も『国会でも議論されたが、首相の答弁は刻々と変遷してい』って、はっきりした説明もないまま「なし崩しに誤魔化された」というのは、間違いのないところだからだ。だからこそ、現在「汚染水の海洋投棄」などという話にもなっているのである。

ともあれ、これが日本国内だけで済まされる問題でないのは、言うまでもない。海は世界とつながっており「海洋投棄」で、いらぬ迷惑を被るのは、すべての他国民も同じなのである。

もしもこれが、中国やロシアのやろうとしていることであれば、ネトウヨに限らず、多くの日本国民が、必ずや「やっぱり中国」「やっぱりロシア」だと、嘲笑し呆れたこと間違いなしだ。
しかし、これは日本の話であり、世界から「日本は酷いな」あるいは「やっぱり日本」「日本製高性能放射性物質の無料輸出」などと言われているのである。

しかも、これは、「海洋投棄」という結果だけの問題ではない。

安倍首相は「ブエノスアイレスで行われた国際オリンピック委員会総会」において、こんな「大嘘」をついて「オリンピックを誘致」したのである。
つまり、世界の人々の面前で、世界の人々を騙して、自国に「利益誘導」をしたのである。当然、世界の人々は「日本に騙された」「日本は、大嘘つきの国」だと思ったことだろう。

「いや、嘘つきは安倍晋三であって、日本が嘘つきだということにはならない」などと虚しい抗弁をする人もあるだろう。だが、その安倍晋三を首相にして、歴代最長の政権にまでしたのは「日本国民」であり、安倍晋三はそんな「日本の代表」としてスピーチしたのだから、世界の人々から「日本人は大嘘つき(あるいは、大嘘つきを代表にした国民)」と評価されても致し方ないのである。責められるべきは、そう評価した他国の人々ではなく、安倍晋三を首相にした日本国民の方なのだ。

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ともあれ、安倍晋三の、この世界に恥ずべき「アンダー・コントロール」演説は、「東京五輪2020」の起点をなすものと言って良い「大嘘」なのである。
もう忘れてしまった人も多いだろうが、このようにして安倍首相は「オリンピックで花道を飾る」予定だったのだ。

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しかし、そんな安倍晋三首相の思惑は、予期できなかった「コロナウィルス禍」によって、断念を余儀なくされる。
しかしまた、安倍政権を継承した菅義偉首相によって、一年延期の後の2021年に開催された「東京五輪2020」は、コロナウィルス感染症の蔓延による「緊急事態宣言」下に開催されるという、歴史的暴挙となった。

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端的に言えば、このオリンピックで「おいしい目」を見た人々が大勢いた。その事実の数々を、本書は詳しく知らせており、本書を一読すれば「日本人とは、なんと愚かな民族であるか」という、嘆きと嘆息を禁じ得ない。

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オリンピック開催期間中、連日「金メッキのメダルの獲得数」が報じられ、知的レベルの低い日本国民は、まんまとその「プロパガンダ」に乗せられて、テレビに釘付けになった。

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その陰で多くの人が、ろくな治療も受けられないままに、コロナで死ぬことになったが、そうした人の名は、今に至っても語られることなく、数字だけの存在へと還元されて、忘れ去られようとしている。

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もう、自分と関係のない、どこかの「無名の人」の命など、どうでもいいのだろう。それより「金メダル」の数の方が、一般の日本国民には大切なのである。一一まさに「パンとサーカス」そのものではないか。

パンとサーカス(羅: panem et circenses)は、詩人ユウェナリス(西暦60年 - 130年)が古代ローマ社会の世相を批判して詩篇中で使用した表現。権力者から無償で与えられる「パン(=食糧)」と「サーカス(=娯楽)」によって、ローマ市民が政治的盲目に置かれていることを指摘した。パンと見世物ともいう。

この警句のいう「サーカス」とはいわゆる“サーカス”ではなく、古代ローマの競技場(現代でいうサーキット、レース場)で行われた、複数頭立て馬車(クアドリガなど)による競技(ラテン語: circenses(キルケンセス))であり、闘技場で行われた剣闘士試合などを含めたスポーツ観戦などの意味で用いられている。』

Wikipedia「パンとサーカス」

本書を読めば、日本人が、いかに愚かで騙されやすく、しかも忘れっぽくて、何度騙されて懲りない、知的レベルの低い民族なのかを、嫌というほど思い知らされる。よくぞここまで簡単に騙され続け、よくもここまで簡単に忘れてしまえることか、と。

だが、この「屈辱感」こそが、日本人であることの「誇りの証」でもあろう。
こんな日本に恥じることすらなくなった時、もはや日本には、誇るべき何も残されてはいないことになるのだ。

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(2022年4月16日)

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