「再生可能エネルギ」は何が「再生可能」なのか

「物事には良い面と悪い面があります。」

というのはよく言われます。さらに付け加えると、

「ある人にとっては良い面が、別の人にとっては悪い面となる」

事もありますし、同じ人にとっても

「時には良い面であっても、別の時には悪い面になる」

事もあります。そもそも、

「良い」「悪い」

という二値的な評価ができるのかという疑問もあります。

 だから、利害が発生する問題は解決が難しいし、他人の

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♡ありがとうございます!(^ー^)
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https://www.tokyo-np.co.jp/article/44414/

もう戻れないことは分かっていたけど、こうも現実を突きつけられると肩の力が一気に抜けます……あの頃の生活は戻ってこない。それが決定付けられた一日でした。

<フクシマからの報告>2020年夏  「私はモルモットでいい」        放射能に汚染された村で       9年間土壌や食品を測り続ける     伊藤延由さん(76)の記録

福島第一原発事故でもっともひどい放射性物質の汚染を浴びた村に住み続け、自分や自宅の被曝量を測る。除染前と除染後を比較する。

 山菜を採り、作物を育て、その線量を測る。土壌の汚染を測る。それをインターネットやSNSで公開する。

 そんな地道な作業を、事故発生時から9年以上続けている人がいる。

 伊藤延由(いとう・のぶよし)さんという。現在76歳。伊藤さんが住んでいるのは、福島県飯舘村という標高

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震災クロニクル【2012/12/1~】(65)最終回

ボクらはあの震災から少しずつではあるが、前進しているように思える。しかし、周りからは「早く忘れてしまえ」と促されているようにも思えるのだ。前に進むというのは過去を忘れるということと同意ではない。過去を教訓にして今を生き、明日に繋げるということだと個人的には思う。しかしながら、震災から時間が経つにつれて、「忘れろ、忘れろ」とコダマのように耳の奥にへばりつく声が聞こえる。
きっと、何か都合の悪いことで

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Obrigade!
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浪江町のタイムカプセル

2011年3月11日に発生した東日本大震災。
福島第一原発事故によって、私の故郷、浪江町にも放射能が降り注ぎ、町は永く閉ざされた。

2017年3月31日には避難指示が一部解除され、故郷に帰る人も。しかし、津波の襲った沿岸部を中心に、未だ避難生活は余儀なくされる方も多い。今年のデータでは981人が未だ避難中の状況だ。

2018年には「なみえ創成小学校・中学校」を開校し、地元の子供達の教育の場を立

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スキ!?こっちは大好きなんです!
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震災クロニクル【2012/8/30~】(64)

震災後二年目の晩夏。水平線は相変わらず真っすぐと伸びて、遥か彼方、数十キロ先の原発まで続いているのだろうか。僕は今年かぎりの仕事を程よくこなしている。夏の酷な暑さはジリジリと仮設住宅を照らしている。

そういえば入試も様変わりした。福島県の災害を鑑みて、「東日本大震災特例枠」なる枠を設けた。

AO入試のようなものであるが、ここの地域限定の枠らしい。公立大学でそれをやるのだから、凄いものだ。被災地

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こうして風化、分断が起こる

https://www.kahoku.co.jp/special/spe1090/20200604_01.html

除染なしの解除に飯舘村が前向きだという。インフラ整備という、所謂「飴」に踊らされたのか?5年前なら考えられないことだ。これが村民の総意なら致し方ないだろう。ただ、原理原則は同じ。「半減期」が短縮されたわけではない。ばらまかれた放射性物質はそこにあるままだ。

特に「セシウム」は半減

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ー2020年 春のフクシマを訪れてー 避難指示が一部解除になった町は 今もいたるところがバリケードで封鎖されたままだった

2020年5月5日・6日、私は春を迎えたフクシマを訪れた。今回は2020年3月14日に全線運転再開したJR常磐線の駅周辺の街並みについてお伝えしたい。

 常磐線は、東京から千葉北西部、茨城、福島の太平洋側を経由して宮城までを結ぶ東日本旅客鉄道の鉄道路線である。その沿線のうち、福島第一原発事故の影響によりJR常磐線富岡駅ー浪江駅間の約20.8キロで運行の不通が続いていたが、2020年3月14日に全

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わーい!嬉しいです
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震災クロニクル【2012/7/20~】(63)

7月下旬になり、震災の鎮魂のため慰霊名目のイベントが開催されていた。注目度も高く、心なしか震災前よりも他県からのギャラリーが多く集まっているようだ。震災を機に原発近くの街として大々的にPRしていたため、全国からの注目も一入だ。皮肉な話である。悲劇的なあの出来事がきっかけで多くの注目を浴び、地元民のみぞ知るイベントが全国的に報じられる一大イベントとして成長したのだ。震災の初年度はさすがに開催されなか

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