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教皇に会った原発避難民

 ローマ教皇に会って自分たちが置かれている厳しい境遇を訴えた福島第一原発事故により避難を続けている青年がいる。3.11の後、故郷の福島県いわき市から東京に避難している鴨下全生(かもした・まつき)君だ。
 8歳の時に東京に逃れてきた。
 全生君は肉体的のみならず精神的にも多くの苦しみに苛まれていることなどについてローマ教皇に手紙を送った。翌2019年3月、全生君はバチカンに招かれフランシスコ教皇に謁見した。
 全生君は訴えた:
○高専の先生をしていた父は避難した東京から生徒たちが帰ってくるかもしれない福島に戻ってしまったこと
○放射能汚染の実態が隠されてしまっているが、本当のことを伝える責任が大人たちにはあるということ
○原発を隠ぺいしている日本政府による帰還区域の線引きによって住民たちが分断されてしまったこと
 そして全生君は「力を持つ人たちが改める勇気を持つように、共に祈ってください」と教皇にお願いをした。
 全生君が話し終わると教皇は彼を抱きしめたという。
 フランシスコ教皇は歴代のローマ教皇としては初めて原発への反対を表明する教皇となるのである。

安倍首相に届かなかったローマ教皇の言葉
 その年の秋、フランシスコ教皇は日本を訪れた。
 滞在二日目の11月25日の午前中、教皇は原発事故の被災者たちと面会した。その中には全生君の姿もあった。
 その日の午後、教皇は安倍晋三首相(当時)と会談した。教皇は困難な状況にある人々の言葉に心揺さぶられた旨を安倍首相に述べたという。
 そして教皇は安倍首相に「空しい言葉ではなく・・・誠実に応えなければいけません」と話したという。
 全生君は「残念ながらローマ教皇の言葉は安倍総理には届かなかったようだ」と2024年6月11日(火)、東京・吉祥寺の武蔵野公会堂パープルホールで開かれた講演会「フクシマを思う」シリーズで話した。
 講演会のタイトルは「原発事故で自主避難した少年がローマ教皇に会い、そして今、21歳で伝えたいこと」だった。

 全生君は講演会で、2023年6月20日に行った東京高裁での福島原発被害東京訴訟の原告としての意見陳述と2024年3月19日付の最高裁第三小法廷へのお願いを読み上げた。
 それに基づいて3.11後の全生君の歩んだ道を辿ってみる。
 8歳の時に家族とともにいわき市から東京に避難した。しかし、政府による避難住宅の打ち切りや追い出し、裁判の中での国の主張を聞きながら育つ中で、いつまでも原発事故を反省しない政権に失望した。
 2019年3月、東京の小学校に転校した。その時は暖かく迎えてくれた。だが4月中旬、突如クラスから仲間外れにされたという。
 「身に覚えがないのに僕がおカネを取ったことにされた」。
 あとから考えると、ちょうどその頃、東京電力が避難者への100万円の賠償金を仮払いしていたタイミングだった。
 「100万円もらったずるい奴だと思われたのだろう。おそらく同級生の家族がもとは電気代や税金だと話してたんじゃないかと思います」。
 そもそも「区域外避難者」には賠償も仮払いもないのに。
 「しかし、避難者は後ろ指をさされ、時には明らかな攻撃を受けてきた。ぼくが苦しんだのは放射能が降ってきたことより人々が分断されてしまったことでした」と全生君は話した。

真正面から向き合わない東電
 全生君は東電を厳しく批判した。「僕らが被った被害に東電は正面から向かい合ったことが果たしてあるのか?口先だけ。賠償額を伝えただけの記者会見。それは差別にもつながった。東電は反省していない」。
 前述の避難住宅から追い出された件については、全生君は「国の指示で県や市がそれを実行した。避難者を避難所から追い出せば、みかけだけは避難者数が減ります」と皮肉交じりに述べた。
 最後に父親の話になった。
 福島県から一旦は東京に避難してきたが再び福島に戻った父。放射能汚染が酷いエリアで長く過ごしたことが影響したのかガンを発症。手術は成功したものの、抗がん剤治療を続けている。
 その父が起こした訴訟が一旦は延期されていたが7月18日に結審する。同日午前10時半から東京地裁626号。「傍聴というかたちでぜひ応援して下さい」と全生君はみなに呼びかけた。



 

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