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子ども脱被ばく裁判集会

 昨年12月18日、司法は子どもたちを放射線による被ばくから護らない判断を下した。そう、2014年に福島地裁に提訴された「子ども脱被ばく裁判」の控訴審判決を仙台高裁が言い渡したのである。
 裁判所は原告側の訴えをことごとく退けた。原告代表の今野寿美雄さんは「SPEEDI、ヨウ素剤、学校再開、山下発言等すべて行政側の裁量として原告の主張を退けたまったくもって受け入れることの出来ない不当判決です。一審と同じく、国・県の主張をなぞっただけの呆れ果てる判決です」という。
 2024年5月19日(日)、子ども脱被ばく裁判決起集会「最高裁の扉をこじ開けよう!!~被ばく問題と裁判所の現状」がみなとパーク芝浦(東京都港区芝浦1-16-1)で開かれた。
 この裁判の支援者で劣化ウラン廃絶みなとネットワークの宮口高枝さんが開会挨拶をした。

宮口高枝さん


 そして第一部「弁護団による上告理由書の説明」に入った。
 東日本大震災に伴う東京電力福島第一原発事故当時、福島県内で生活していた親子たちが国と県に対して、SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)情報など被ばく情報の非開示、安定ヨウ素剤の不配布、年20ミリシーベルト基準での学校再開、避難指示区域外の子どもたちを避難させなかったことなどを理由として裁判を起こした。
 「避けることのできたはずの無用な被ばくを受け、精神的苦痛を被った」として、それぞれが10万円の慰謝料の支払いを求めた。
 2014年に提訴し、福島地裁判決が出たのが2021年。そして、前述のように、2023年12月18日に仙台高裁の判断が下ったのだ。
 現在上告中だが、政治的問題に関しては早い段階で突然、上告棄却決定や受理申し立ての不受理などの決定がなされる可能性があるという。


 光前幸一弁護士はこの裁判のキーワードを3つ挙げたー〇リスク情報のコントロール(事前、事故時、事後)〇危険情報の開示(リスクコミュニケーション)〇避難方法の自己決定権(選択権)。
 安定ヨウ素剤の投与指標について話が出た。以前、各国は甲状腺等値線量は100ミリシーベルトだったが、世界保健機関(WHO)が子どもに対する投与基準を10ミリシーベルトに引き下げる(厳しくする)よう勧告を出した。各国はこれを受けて、10-50ミリシーベルトへの引き下げを行ったが、日本だけは100ミリシーベルトに据え置いた。
 この日本政府の判断を昨年仙台高裁は「合理的」だとした。
 国際放射線防護委員会(ICRP)のモデルによれば、実効線量50ミリシーベルトで被ばくをするならば10万人中250人がガンで死ぬという。
 「それなのに避難させないというのは日本国憲法に照らして許されないことだというのが我々の主張です」と原告側。
 そして、「放射線は見えない、臭わない、味もしない。理想的な毒です」との言葉が紹介された。かつて公害国会の時は救済に関わる法的な「穴」が埋められたが、今回はネグレクト、末期的症状だという。


 政府を司法が正当化、市民は無権利状態に陥った。「法の歯止めがなく、政権は今がチャンスとばかりにやりたい放題です」。
 また、原発事故に関わる退避者は国際人権法で守られるべき「国内避難者」に当たるとの指摘があった。田辺弁護士から、国連から指摘があった後、日本の外務省は3年間ほったらかしにしていたとの説明があった。
 「一昨年(2022年)やっと国連特別報告官に調査をしてもらい、昨年6月、国連総会にその報告書が提出されました」。
 日本政府はその特別報告官の報告書には拘束力がないとか、特別報告官は国連人権委員会とは関係ないなどといっているが、田辺弁護士は日本政府に対して「真摯に受けとめ尊重すべき」だと求めた。
 続いて「原告トーク 血気集会!!」となった。


 郡山市から静岡へ避難した長谷川克己さんは避難を決めた時に思い出したのは郡山市の公園のジャングルジムで遊ぶ5歳の長男の姿だったという。「避難する時に思ったのは「やっぱりこの子が一番。この子の人生を大切にしよう」ということでした」。
 また、福島大学の荒木田岳教授は遅れてだが原告になったという。
 「思ったのはもし最高裁で勝ったら、原発なんて動かせないってこと。だから、裁判所は勝たせないだろう」。
 しかし、「力を結集してゆくことが必要だと思います」。
 今野さんは事故が起きた後に放射線被ばく基準値がころころと変えられたことが問題だと話した。
 「1ミリシーベルトだったものを20ミリシーベルトに「緩和」したり、土壌汚染濃度に関しても100ベクレルを8000ベクレルにしたりして、このままではこの国に殺されるなって」。
 「殺されって思うし、病気になるって思う。現に、およそ370人が小児甲状腺被ばくをしたんです」と今野さんは語る。
 「でたらめ基準にした。毎日毎日、ここ(胸に手をやって)が臨界してるんです」いう言い方で今野さんは自らの怒りを表現した。
 2部では「原発をとめた裁判官」として知られる樋口英明さんの講演があった(この講演については独立した別の記事にします 樋口英明元裁判官が語る|桑原亘之介 (note.com)  )。

 樋口さんの講演の後は、対談「子どもが安心して生きる社会を目指して」が行われた。若い被災者2人ーゆりかさんとゆみなさんーと元裁判官2人ー樋口さんと井戸謙一弁護士ーが話し合った。
 ゆりかさんが震災にあったのは小学校3年生の時。母親と二人で3回避難した。学校も転校を繰り返した。
 ゆみなさんが小学校1年生の時、避難するため引っ越した。震災で家が壊れてしまい、父親は仕事を失ってしまっていた。ゆみなさんは両親と3人で避難した。だが、父親はストレスなどもあっておよそ2年前に亡くなった。母親とともにこの裁判の原告で「どうしてこんな目にあうようなことになっているのか明らかにしていきたい」。
 ゆりかさんは「私たち世代は深く傷ついています。判決がそういう人たちにとっての光になります。人々の心が穏当になるようにと思ってます」。
 それに対し樋口さんは「当の仙台高裁の判決は言葉の意味が分かっていません。「合理的」という言葉が12回出てくる。「裁量」は6回です。辞書で「合理的」をひくと「道理にかなう」とある」と話す。
 続けて「この裁判長は国の主張を合理的だという。でも住民の安全にかなっていれば合理的だし、かなっていなければ非合理になるんです」。


 「規制基準は合理的なのか。国民を守る内容になっていれば合理的、なっていなければ非合理的。ものごとを普通に素直に深く考えれば、正しい答えが出てくるように思います」(樋口)。
 井戸弁護士は「裁判所は国家機関の一翼。少数者が被っている被害を救出するのが本来は司法というシステムだ」と話した後で「裁判官が民主的でなければいけない。そして世論」の両輪が大切だと話す。
 井戸弁護士によると、被ばくの健康被害については、世界的に、被ばくによる健康被害が軽視されてきた。それは世界中でそうなのです」。

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