高橋直子 『オカルト番組は なぜ消えたのか 超能力から スピリチュアルまでの メディア分析』 : 良くも悪くも「博士論文」
書評:高橋直子『オカルト番組はなぜ消えたのか 超能力からスピリチュアルまでのメディア分析』(青弓社)
本書は、宗教社会学(メディア論)の博士論文を改訂刊行したものである。
したがって、研究対象である「(テレビの)オカルト番組」について収集された資料の整理と提示に大半を費やしており、分析らしい分析(総合的な分析)は、約260ページのうちの、終章の20ページほどに止まる。
言うまでもなく、研究というのは、まず事実関係を正確に把握した上で、その意味するところを的確に分析提示するものであって、解釈のユニークさだとかトリッキーさを売り物にするような、文芸の類ではない。
大切なのは、誠実かつ堅実に対象と向き合い、結論を急ぐことなく、対象と粘り強く格闘することなのである。
その意味で、本書は、研究対象のユニークさとは裏腹に、まさに「研究書らしい研究書」だと言えるだろう。
だから、オカルト番組というものが歴史的に持った意味を真面目に考えようとする人には、基礎的な研究文献としての価値を有する一冊となっている。
しかし、読み物としては、一般読者には、やや不親切なものともなっている。その意味で、良くも悪くも「博士論文」なのである。
ことに、1962(昭和37)年生まれのテレビっ子であった私などの場合は、本書で紹介されているような「オカルト番組の歴史」のほとんどを、同時代のものとして体験的に知っており、さらに宗教にも社会学にもそれなりに興味を持ってきたため、最後の総括的分析部分以外は、ほとんど知ってることの「復習」をさせられているような感覚しか持てず、かなり退屈、というのが正直なところだった。
もちろん、研究書なのだから「皆さま、すでにご承知のとおり」と事実関係の紹介を省略して、いきなり演説を始めるというわけにいかないというのは重々承知しているし、また歴史紹介部分も、「オカルト番組の時代」を知らない読者には面白い読み物になるのかも知れないが、しかし「新しい情報と斬新な分析」を期待していた読者としては、残念ながらお世辞にも「面白い」とは言えなかったのだ。
無論、著者の問題意識には同意する。
マスメディアと宗教的なるものとの関係は、いい加減(無責任)なものであってはならない。そのことを私たち日本人は、かの「オウム真理教事件」で学んだはずである。
しかし、オカルト番組の隆盛、そしてそれに続くスピリチュアル番組ブームの後、オカルト番組は消え、今は(識者の間でとは言え)スピリチュアルとメディアの関係が問題になっている。
オカルト番組で扱われるオカルトは、基本的には、本気にせずに楽しむもの(娯楽見世物)という了解があったし、そうされてきた。
しかし、スピリチュアルの場合は、「癒し」といった言葉が前面に出てくることからも明らかなように、決してシャレやおふざけでは済まされない「本気」の要素が強いため、オカルトと同じようには扱えない、扱うべきではない、極めて危険なしろものだと、そう認識されるようになったのだ。
だから、オカルト番組が消えて、スピリチュアル番組も、以前ほど、その超常性(宗教性)を前面に出さなくなったとは言え、それで一安心というわけにはいかない。事実すでに、その影響は「パワースポット」ブームなどのように、「癒し文化」として薄く広く大衆化しているのだ。
私たちは、あの「東日本大震災」を災禍を経験して、もはや「死者との関係」を遠いものと思ってはいられない、死と日常的に隣り合わせた危機の時代を生きている。
そんな時に、メディアが媒介する「宗教的なもの」が、私たちにどのような影響を与えるのか、私たちは、誰もが一度は真面目に考えておく必要があるのではないか。
そして、本書を書いた著者の思いもまた、そうした真面目で重い問題意識にあるのだ。
「オカルト」も「スピリチュアル」も、メディアを媒介にして、私たちにとり憑く。現にとり憑いているのである。
その自覚が、あなたにはあるだろうか?
初出:2019年8月16日「Amazonレビュー」
(2021年10月15日、管理者により削除)
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