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藤生明 『徹底検証 神社本庁』 : 「政治と権力と金」が大好きな 神職たちの覇権主義団体・ 神社本庁

書評:藤生明『徹底検証 神社本庁』(ちくま新書)

宗教の世界ほど「タテマエとホンネ」の乖離が激しい世界はない。
宗教に限らず、高い精神性や倫理性を掲げる集団というのは、かならず「陰の部分」「負の部分」を隠し持っている。
「高度な理想や倫理」というのは、所詮ごく一部の優れた「個人」によってのみ、ようよう担い得る個人的美質なのであって、「ある集団の構成者全員」が持ち得るようなものではない。したがって、「高度に倫理的な集団」という自称には、初手から「欺瞞」があるのだ。
しかしまた、宗教とは、信者に対し「われらこそが唯一、真理と正義を知り保持しているのだ」という「幻想」を植え付け、自分たちの掲げる「偽善的欺瞞」を疑うことのできない妄信状態に至らしめる、極めてタチの悪い「病い」でもある。

もちろん、これはキリスト教やイスラム教のような世界宗教だけではなく、わが「神道」においても何ら変わるところはない。
例えば、神道の理論家たちはしばしば「神道は宗教ではない」などと言うが、その意味は「神道は、日本民族にとっては、宗教以上のものだ」という「日本における特権性」を自己アピールするものでしかない。つまり「うちは、お隣(他の宗教)とは家柄が違うの。だから一緒にしないでちょうだい」という、鼻持ちならない自慢話でしかないのだ。神道の宮司や崇敬者は知らないのかもしれないが、もちろんこんな理屈なら、キリスト教だって言っている。曰く「キリスト教の信仰は、いわゆる宗教ではない(人類普遍の真理だ)」と。
第三者から見れば、山を拝むのも神を拝むのも天皇陛下を拝むのもイワシの頭を拝むのも、ぜんぶ「宗教・信仰」という非理性的信念であることに何ら変わりはないのに、である。

そもそも、神道を「宗教ではない」とする主張は、歴史的に見れば、神道を「特別扱い(国家神道)」にした戦時日本の「政治的意図(超国家主義)」に由来するものであり、敗戦によってその特権的地位を奪われ、逆境に立たされた「神社神道」がその失地を回復して「過去の栄光をもう一度」と目論むところに、今の「戦略的意図」も隠されてている。

戦時日本同様、神道が「宗教」でないのならば、神道は「政教分離」の原則の適用外となり、ふたたび国家から特別な地位を保証されるチャンスを窺うことも可能となる。
それでなくても、神道は今も続く天皇制と密接にからんでいるのだから、天皇制が続くかぎり、神道はいつでも「特別な宗教」でありえるのだ。だから、神道にとっては「そこらの宗教」と同じにされるのは、事実はどうあれ、政治的に得策ではないのである。

さて、ここで本書の検証対象となった「神社本庁」に話を絞ろう。
神社本庁が掲げるタテマエである「神社本庁憲章」は、次のようになっている。

『 第十一条 神職はひたすら神明に奉仕し、祭祀を厳修し、常に神威の発揚に努め、氏子・崇敬者の教化育成に当たることを使命とする。2 神職は、古典を修め、礼式に習熟し、教養を深め、品性を陶冶して、社会の師表たるべきことを心掛けなければならない。3 神職は、使命遂行に当って、神典及び伝統的な信仰に則り、いやしくも恣意独断を以てしてはならない。』(本書P30)

じつにご立派なタテマエである。これが半分でも出来ていれば、誰からも尊敬されて、どこからも批判されず、内部で訴訟沙汰を含めたいざこざや、まして殺人事件や汚職といったことなど、金輪際起こりはしないだろうし、またそんな暇もないだろう。だがこれは、「人間の現実」から乖離した「理想」や「タテマエ」であって、こんな現実など、あろうはずがない。
そのあろうはずがないものを、あたかもそのまま在るかのごとく主張している段階で、今の「神社本庁」は「嘘」をつき「神社本庁憲章」に違背している「非・神職的団体」だと断じざるを得ないのである。

『 (※ 目撃者によると)旧皇族を出迎える側のために用意された席に先に座ったのは神社本庁総長だった。ところが、後からやってきた明治神宮宮司が、中央の席に(※ 当たり前のように)座っていた神社本庁総長を下座に移動させたというのである。その様子を近くで見ていた神社関係者は、「そちら(神社本庁)は民社(旧社格で府県社以下の神社)の集まり。こちら(明治神宮)は官社(戦前、国家が運営した官国幣社の総称)の宮司だというプライドがあったのでしょうか」と解説する。
 その後、しばらくして、明治神宮が神社本庁を離脱するという騒動が起きた。
 きっかけは天皇ご夫婦が二〇〇四年に明治神宮を訪れる「参拝式」に際して、「両殿下」と敬称を誤ったまま、明治神宮が案内状を関係先に配布してしまったことにある。明治神宮側はわび状を添えて関係先に再送付し、宮内庁にも謝罪した。だが、それでも謝罪が足りないとしたのが神社本庁だった。
 神社本庁は、明治神宮の外山勝志宮司に対し進退伺の提出を求めたが、明治神宮は始末書で決着を図ろうとしたため、対立が激化。神宮側は、二〇〇四年四月二七日の責任役員会で本庁離脱を決めた。明治神宮が離脱を公告したのち、新総長に就任したばかりの矢田部正巳(三嶋大社宮司)と外山の会談が二度もたれたが、明治神宮が翻意することはなかった。』(P227〜228)

まさに「子供のケンカ」である。
「大人げない」こと甚だしく、およそ『祭祀を厳修し、常に神意の発揚に努め、氏子・崇敬者の教化育成に当たる』人、『教養を深め、品性を陶冶して、社会の師表たるべきことを心がけ』ている人のすることではない。しかも両者は「日本の神社界を代表するトップ宮司」なのである。
だが、これが「現実」なのだ。まさに彼らも、そこらの爺さん婆さんと同じ「人間だもの」(相田みつを)なのだ。

もともと神社本庁は、敗戦によって特権を剥奪され、没落の危機に直面していた全国の大小神社をまとめ、連携し助け合うことを目的とした、一種の「連絡共助組織(包括宗教法人)」であり、決して全国の神社を束ねる「上位権力機関」ではなかった(神社本庁は、役所ではない)。そしてそのことは、戦後の神社界を理論的に支えた葦津珍彦が主張したとおりである。
だが「人の世の習い」として、あるいは「俗物根性の発露」として、人は「威張りたがる(人の上に立ちたがる)」「権力を振るいたがる」もので、当然、神社本庁もその例外ではなかった。

前記の「明治神宮の神社本庁離脱」事件も、上部機関のつもりでいる神社本庁の総長と、神社本庁を連絡事務機関としか見ていなかった大神社である明治神宮の宮司との「鞘当て」の結果であった。簡単にいえば「俺の方が偉い」という権威主義意識に由来する「席次争い」である。
すでに戦後の混乱期を乗り越えてひさしい、財力のついた明治神宮にすれば、神社本庁の上部機関づらは不愉快だったが、業界のつきあいとして、いわば義理で神社本庁のメンバーに止まって多額の負担金を支払っていた。にもかかわらず、こういうことがあったので「では離脱だ」となったのだが、そうなると減収が堪える神社本庁側があわてて明治神宮に慰留を求めたものの、当然、明治神宮側に止まる理由はなく、離脱とあいなったのである。
つまり、きっかけは「どっちが偉いか」という子供のケンカであり、後半は「カネの問題」という大人の事情でしかなく、そこには終始、人としての「品格」など欠片もなかったのだが、前述のとおり、これが「神社本庁と神社界上層部の現実」なのである。

『 (※ 神道に厳しく当たった)占領軍が日本を去り、やがて神社の結束(※ の必要性が低下して、その結束)がゆるむと、神社本庁の人事権は弱まるどころか、上命下服させるための「神職操縦」の切り札となった。現実には葦津が展望したような(※ 平等な連携組織という)方向へと進まず、中央集権強化が一段と進んでいるように思えてならない。
 ここ最近、神社界の中央では富岡八幡宮での惨殺事件、職員宿舎売却に端を発した神社本庁内のゴタゴタが起き、地方では大分・宇佐神社における天下り宮司と地元神職の壮絶な争いが表面化。それらは属人的な問題だけではなく、神社界の構造的な問題も浮き彫りにした。エピローグで、政治団体として解散届を出し、ステルス化(隠密化)した神道政治連盟のカネの問題にふれたが、不離一体の神社本庁もほめられたものではない。』(P257)

これが、「美しい国・日本を取り戻す」と訴える「安倍晋三政権」を支える保守運動組織「日本会議」と一角をなして、政治運動に邁進する「神社本庁」の素顔である。
当然、彼らには「美しい」という言葉を理解するだけの、品性や教養は無い。それに、政治運動に必要なのは「結果」であると葦津珍彦も言ったし、そのとおりに今も彼らは「結果を出すための」運動を続けているのである。そしてその結果が、コレなのだ。

初出:2018年11月2日「Amazonレビュー」
  (2021年10月15日、管理者により削除)

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