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神道信仰における〈形式とこころ〉

書評:武光誠『日本人なら知っておきたい神道』(KAWADE夢新書)

「神道」というのは、きわめて捉えどころのない「宗教」なのだが、本書はその理由を、たいへんわかりやすく解説してくれる。
要は、もともと「精霊崇拝」的な原始宗教だったものに、「時の権力者」たちが自分たちの都合で、その都度、儒教や仏教などを付け加えたり変形編集したり改竄したりしたため、「神道」は「時代」とともに、どんどんとその姿を変えてしまった。
そのため、漠然とした「原型としての神道(精霊信仰)」というのはあっても、今ここにおける「真の神道」なるものは、どこにも存在しない、というのが、「神道の実態」だからである(つまり「神道」理解に、正解はない。多様な解釈と意味付けがあるだけの「フィクション=空虚な主体」なのである)。

こうした観点から、本書はどの時代の「神道観」にも与することなく、と言うか、正確には、著者がイメージする「原型としての神道(精霊信仰)」の「精神(こころ)」を尊重するという「非政治的な立場」を堅持しており、その結果、著者の「神道観」は、きわめて庶民的で、生活に密着したものとなっている。

またそのために、大和朝廷が地方豪族を支配するためにでっち上げた『風土記』や『日本書紀』などに見られる「天皇は、天孫降臨の天津神の子孫」であり、先住の「国津神」を支配する立場にある、とする「政治神話」には冷淡であり、当然、明治以降の「国家神道」などは露骨な「改竄神道」であり「神道の政治的悪用」でしかないという立場なので、いまだに「GHQの洗脳が」とか「日教組の左翼教育が」とか言っている、歴史学にも宗教学にも縁のない「ネット右翼」的な読者や、「靖国神社」や「神社本庁」といった御用神社(権力志向の神社)の信奉者にも、評判が悪くなってしまう。
しかし本書は、入門書とは言え、いちおうは学問的な裏づけのある本なのであって、そういう、自身の「イデオロギー」性に気づけない人たちのための「マスターベーションの具」ではないのである。

そんなわけで、著者は「政治的イデオロギー」から距離をおいたかたちで、「本来の神道」は人間を大切にする「人間主義」の宗教であり、それは現在の私たちの生活の中に受け継がれている、と説く。
つまり、イデオロギーから離れた「生活の中に生きる神道」は、「日本人の心」のベースとなる素晴らしいものだ、という立場なのだが、一一しかし、これはこれで問題がないというわけでもない。

と言うのも、著者が本来、支持し賞揚するのは「原型としての神道(精霊信仰)」であり、その「こころ」であって、歴史的な「変形」を被ってきた後の「今の神道」やその「形式」ではないはずなのだが、著者は「今の神道」のなかにも生き延びている「原型としての神道(精霊信仰)」の「部分」を賞揚するあまり、結局は「今の神道」の「形式」(「二拝二拍手一拝」といったお約束だの、神社や鳥居の建築形式だの)まで、なにやら「特別な価値のあるもの」と認めてしまっているのである。
言い変えれば、「こころ」を褒めようとして、否定したはずの「形式」にまで、結果としてはとらわれてしまい、「今の神道」のイデオロギー的な部分の「危険さ」を、初心者に対して、充分に語り得ていないのだ。

これは、結局のところ著者が、「宗教」というものを甘く見ているところからくる、「不用意さ」だと言えるだろう。

言うまでもなく、著者は「いろんな神」や「祖先の霊」の実在など、信じてはいない。
しかし、それを信じている人が大勢おり、それを信じることで人々の心が安らぎ、救われ、社会が安定するのであれば、わざわざ「神さまなどいない」「霊魂など存在しない」などという「無粋な真実」を語って、わざわざ人々を不安にし、人々の不興を買うのは賢明ではないと考えて、実質的には「日本人の生活倫理としての神道」を語っているのである。

しかし、こうした「語り=騙り」は、著者の言葉を、字面で真に受けてしまうようなナイーブな読者には、多かれ少なかれ害をなすものともなる。
「政治イデオロギーとしての神道」ではなく、「生活の中の神道」なら、人々の心の支えとはなっても、害悪をもたらすことはないだろうというのが、著者の考えであり、たしかに著者と同様に、きちんと「両者を区別するだけの見識」を持てる読者なら良いのだけれど、そんな読者は、ごくごく稀で、多くの日本人にとっては「目の前の神道」が「神道」のすべてでしかなく、イデオロギー的に凝り固まった人が、そのイデオロギー的確信のままに「真の神道とは、そんな曖昧なものではなく、万世一系の天皇家によって開示され、実現されたものなのだ」と「国学」などを持ち出して語ったりすると、「なるほど、そんなものか」と説得されてしまうのが、関の山なのである(自己啓発セミナーの洗脳みたいなもの。信ずる者は騙されやすいのだ)。

だから、「イデオロギー的神道」を否定して「生活の中の神道(日本人の生活倫理としての神道)」を賞揚しようという著者の気持ちもわからないではないが、しかしそれは、「宗教の本質」を語らずして「宗教利用」をする、という危険な行為に他ならない。

「神道の歴史」を、その「かたちの変遷」とその「意味するところ」を紹介するものとして、本書はとてもわかりやすく、高い評価に値しよう。しかし、「神道」云々以前の、「宗教としての神道」という根本問題を、通俗倫理的なかたちで安易に説明してしまっているところに、気づかれにくいが、大きな問題を残す入門書となってしまってもいるのである。

初出:2020年4月19日「Amazonレビュー」

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