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ラッセル・カーク 『保守主義の精神』 : エドマンド・バークの信仰

書評:ラッセル・カーク『保守主義の精神』(中公選書)

本書は、近代保守主義の始祖エドマンド・バークとその系譜に連なる、主に英米の保守主義者を紹介する。

注目すべきは、バークの伝統重視の根底には、キリスト教(英国国教会)への信仰があった、という事実だ。

バークは、人間文化としての社会的伝統というものを信頼して保守したのではなく、神が作った世界だからこそ、それは正しく、故に保守すべきものだと考えた。
だが、それを現実に構成運営するのは、原罪に塗れた不完全な人間なのだから、常に多少の保守的な手入れは必要となる。
逆に、人がその則を超えて、世界を恣意的に弄るのは、不遜であり過ちの元だ、との感覚が、バークにはあったのだ。

つまり、バーグの保守主義の根拠は「揺るぎない信仰」にあったのであり、それは無信仰者には共有し得ない「非合理的確信」なのである。

本書の著者もそうだが、バーグに連なる保守主義者には、キリスト教信仰者と同様の、選良意識がハッキリとある。
選ばれて優れた者が、不明の大衆をリードしなければならない。民主主義が、人間の知の慢心によって「国民大衆」を信仰するようなものであれば、それは偶像崇拝の一種でしかなく、必ずや国家と社会を誤らせるであろう、との信仰的確信が、彼らにはあった。

このように、保守主義の根底には、依拠すべき信仰という絶対的な価値観があり、一方、人間を信じる自由主義や改革主義は、彼らには、無根拠で無謀な冒険主義に見えたのである。

しかし、バークらが信じたような「キリスト教の神は、実在するのか?」。

主たるイエスは「肉体を持って復活したキリスト」であり、父なる神と聖霊との三位一体を為す神であって、単なる抽象概念でもなければ、信じることによって強くなれる「気慰めのフィクション」などでもない。神は実際に居ますが故に、その力を持って人間を救う存在だ、と信じられているのだ。

だが、私は、このような「超越者」が実在するとは考えないし、日本の保守主義者を名乗る人の多くもまた同様であろう。
だとすれば、彼らの伝統主義は、何に依拠しているのか?

彼らなりの信仰なのか、それとも「私は人間というものの性向を熟知している」という、キリスト教信仰からすれば「人間の知的慢心」でしかない自家撞着に依拠しているだけなのか。

保守主義者の思考の源流をたどることにより、時代により多少の変化はあれど、その根底に必ず伏在する「信仰性」が見えてくる点で、本書は極めて興味深い「問わず語りの信仰告白の書」であると言えよう。

初出:2018年6月23日「Amazonレビュー」
  (2021年10月15日、管理者により削除)

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(※  上のレビュー末尾に「西岡昌紀」の紹介記事あり。乞参照)