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安田浩一 『「右翼」の戦後史』 : 右翼が失った 「弱きを助け」の志

書評:安田浩一『「右翼」の戦後史』(講談社現代新書)

昭和三十七年生まれの私にとっての「右翼」とは、まず「街宣右翼」のことであった。
紺や黒の車体に白文字の団体名を大書し、日の丸をはためかせ、スピーカーからガンガン軍歌を流しながら走りまわる、傍迷惑なバスのご一行。乗っているのは、紺色の戦闘服に編み上げ靴、ソリコミの入ったパンチパーマにサングラスをかけていたりして、いかにも柄が悪いヤクザもの。そんな印象だった。
だから「右翼」が思想を意味する言葉だなどというは、完全に後知恵。私にとっての、右翼は「柄の悪い、暴力的な、ヤクザ者」として最初に認識された。

たしかに、街宣車には「愛国」だとか「反共」だとか「国体護持」だとかいったようなことは書かれているが、この人たちは「本当にそんなこと勉強してるの? 理解して言ってるの? たんなる歳くった暴走族あがりなんじゃないの?」というのが、正直な印象だった。で、この印象が大筋で間違ってはいないことも、後知恵で知ることになる。
要は「彼らは、本物の右翼ではなく、暴力団の隠れ蓑に過ぎない。だから、暴走族あがりの、左右の区別もつかないようなチンピラをリクルートしたりもしているんだ」という話を聞かされて、なるほどと納得したのである。

そこで私は「本来の右翼とは」どういうものかと思い、戦前の右翼を調べてみると、「街宣右翼」とは大違いで「弱きを助け、強きを挫く」男たち、反権力的で庶民を愛した男たちであり、そうした「心意気」「侠気」において共感できるところが多々あった。それが、どうしてこんなふうになってしまったのか?
戦前右翼の流れを汲む「真正右翼」も生き延びてはいるようだが、今やわれわれ一般人の目にはまったく触れ得ない存在であり、下劣な「街宣右翼」ばかりが大手を振って「右翼でござい」と名乗っているのは、いったいなぜなのか?

その後、戦前右翼のイメージに近い「新右翼」という存在を知り、その一方で「在特会」のような存在も知って、それぞれの関連文献をかじり、それぞれについてはそれなりに知識を持ったものの、やはり、このあまりにも印象のかけ離れたものが、どうして「右翼」と呼ばれるのか、いまひとつハッキリしなかった。

だが、右翼の通史である本書を読んで、そのあたりをかなりスッキリと整理することが出来た。
「右翼とは何なのか?」「右翼の本質とは、どのあたりにあるのか?」という私の長年の疑問に対する本書の答は、

『時代とともに右翼の姿も変わる。「変わらぬこと」を心の支えとし、「変わること」を嫌悪してきた右翼だが、時代の波は否応なしに価値観を洗い流し、プレイヤーを入れ替える。』(P202)

そう、永遠に変わらぬ「本質」など無いのだ。
いくつかの基本的要素を不完全に共有しながらも、右翼はその都度、ある要素を棄て、またある要素を再評価したりして、力点を移しながら、時代の流れの中で変貌してきた。

戦前の右翼が持っていた「弱きを助け、強きを挫く」という思想は早々に棄てられたし、「反共」もあれば「反米」もある。「愛国」や「天皇制護持」といったものでさえ必ずしも絶対的なものではなく、「愛国」は単なる「国家権力への迎合」となり下がり、『(平成)天皇は左翼』だなどといった言説まで現れる始末だ。
つまり、それぞれに「右翼」を名乗りながらも、「右翼」という思想運動そのものには「中心的信念」が存在せず、それは多分に「気分」的なものでしかないのである。

だがいずれにしろ、私が戦前の右翼に感じた魅力である「弱きを助け、強きを挫く」は、もう「右翼」からは失われてしまったと言ってもよいだろう。そういうものを今も残している人は、今や「右翼」ではなく「左翼」と呼ばれてしまう、そんな時代になったのだから。

「弱者の側に立つ」という信念が「左翼」のものでしかないと認識されるにいたって、「右翼」は完全に「強者の犬」に成り下がってしまったのである。まことに残念なことに。

初出:2018年11月23日「Amazonレビュー」
  (2021年10月15日、管理者により削除)

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