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山本昭宏『戦後民主主義 現代日本を創った思想と文化 』 : 新「戦後民主主義」者宣言

書評:山本昭宏『戦後民主主義 現代日本を創った思想と文化 』(中公新書)

昭和37年(1962年)生まれの私は、戦後の日本が「上り調子」になった時代、言い換えれば「右肩上がり」になった時代に生まれ育った人間であり、ある意味では「最も恵まれた時代」の日本に生きた世代だと言えるかもしれない。
だから「戦後民主主義」に恨みなどないどころか、それは本書の帯文にもある『理想』を、私の中に深々と刻み込んでくれたもののように思う。

しかしまた、私の同世代が、みんな私のような「戦後民主主義」賛美論者かと言えば、無論、そんなことはない。それを「当たり前(所与のもの)」だと感じ、むしろ「押しつけられた理想」であり「鼻持ちならない偽善」だと反発した人たちも少なくないし、私が育った「最も恵まれた時代」にあっても、いや恵まれた時代であったからこそ、「戦後民主主義」に飽き足らないものを感じて、反発した人も少なくはなかったのではないだろうか。

では、どうして、私がそうした「戦後民主主義に対する反抗者」にならなかったのかと言えば、それは多分、私が子供の頃から成人するまで、一貫して「趣味人」だったからではないかと思う。今でなら「オタク」ということになるのかも知れないが、要は、良くも悪くも「社会」の問題にはまったく興味を持たず、趣味に熱中して生きてきたので、もとより「戦後民主主義」など眼中にはなく、それは単に所与の前提であり、空気の一種だったのである。

そんな私が、初めて「政治問題」に目覚めたのは、2001年の「イラク戦争」が実質的なきっかけだった。

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当時すでに三十代後半になっていた私は、中学生の頃に家族で入会した「創価学会」の、比較的真面目な青年部員だった。「真面目」というのは、「創価学会は、日蓮仏法を世界に広めることで、世界平和に貢献する」という言葉を真に受けて、言われたことは従順に努めようとしていた、ということだ。つまり、各種会合に参加し、選挙の際には友人に投票依頼をしたりしていたのである。

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だが、私には、それがかなり「しんどい」ことだった。
まず、創価学会の場合、各種会合や読むべきもの(「聖教新聞」「月刊 大白蓮華」「池田会長の著作」)が多く、それらに多くの時間を取られるのが辛かった。前述のとおり、私は子供の頃から「趣味人」だったので、他にやりたいことがいっぱいあったのだが、そうしたものは、言わば「遊び」でしかないと考え、自制して学会活動をしなければならなかった。
さらに、私には「信仰的確信(信仰的回心)」というものがなかった。他の人は「信仰体験」をいろいろしているようで、その「体験談」を自信を持って語るのだけれど、私にはそういう「特権的な体験」は一度もなかった。「なるほど、この信仰には、特別な力がある」と思えるような体験がなく、そうした確信が持てなかったのである。

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したがって、そんな私が「真面目な学会員」を続けていたのは、あくまでも「創価学会の信仰は、世界平和の実現を目指すものである」という「理想」であり「倫理的要請」には、逆らえなかったからである。そうした「正論」に反して、自分一個の「趣味」に耽溺するのは、悪徳であり恥ずべきことだという意識があったのだ。

ところが、「イラク戦争」で、その前提が崩れてしまった。
創価学会が、そして公明党が、本気で「世界平和」を目指し「反戦平和」を訴えているのであれば、アメリカの「イラク攻撃」を容認したり、ましてや支持したりすることなど、できる道理はないからである。
だから、当時の私は「創価学会よ、公明党よ、正気を取り戻せ。権力の魔性を振り捨てろ」と願って、学会批判、公明党批判を行ったが、それが徒労に終わってしまい「こんな結果になるのは、創価学会の信仰が間違ったものあり、そもそも力がなかったからだとしか考えようがない」と結論して、創価学会を退会したのである。

しかし、期待を裏切られたという意味では、非常に残念な退会であったとは言え、正直なところ「自由の身になれた」というのは、「趣味人」としては、たまらない喜びでもあった。これで、好きなだけ好きなことに時間を費やすことができるのだから。

だが、それでも、私はその頃にはすでに「9.11米国同時多発テロ事件」「オウム真理教事件」を知っており、「政治」問題や「宗教」問題を、他の人たちよりも真剣に考えなければならない位置に立っていた。

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創価学会員時代には、言われるままに受動的に動いていただけだった私も、創価学会を離れて初めて、「政治」や「宗教」の問題が、他人事ではないと考えるようになっていた。すでにチョムスキーや大澤真幸なども読んでいたのである。

そして、次のインパクトは、2009年の「在日特権を許さない市民の会(在特会)」による「京都朝鮮学校公園占用抗議事件」の動画を、たまたまネットで見かけたことだった。

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それまでの私は「政治思想」というものに、ほとんど興味がなかったので「左翼」も「右翼」も縁遠い存在だった。かつての公明党がそう名乗っていたように、私も「穏健な中道」であるという、無内容な自己規定に止まっていた。当時「保守」などというものが、何を指すのか、まったく知りもしなかったのである。
だが、在特会の「差別」的な運動が許せないのはもとより、彼らが支持する「自民党の反動政治」もまた我慢ならないものであった。私は、かの動画を視たその日に、自身のネット掲示板に「こいつらは、日本の恥だ」と、ほとんど反射的に書いていたのである。

そんなわけで、私はその当時から現在に至るまで、ネット上の各所で「ネット右翼」たちとのバトルを繰り広げてきた。友人たちから「そんな無駄なことに、時間と労力を費やすべきではない」と言われ「いや、好きでやってることだから」と言い訳して、懲りずに続けてきたのである。
相手にしたネトウヨの延べ人数は、ゆうに1000人を超えているはずだ(同時に、複数人を相手にするのが通例だからである。ことに、一昔前のSNSにはブロック機能が実装されていなかったために、彼らは「ネットイナゴ」とも揶揄されるくらい群れて、数の力で敵を押しつぶそうとした)。その結果、私は、ネトウヨたちの管理者通報によって、「mixi」と「Twitter」のアカウントを二度ずつ「凍結」されてしまい、サブアカウントの使用を潔しとしなかったので、今はどちらも使えなくなっている。

このような約20年間の経験と読書において、私はじょじょに自身を「左翼リベラル」「戦後民主主義者」だと自己規定するようになっていった。もう「穏健な中道」ではなく、「左翼に近い、過激な中道」のつもりだが、人から見れば、ましてネトウヨにとっては、私はどう見ても「パヨク」であり「売国奴」「工作員」でしかないのだから、それなら喜んで「左翼」を名乗ろうと考えたのだ。しかしまた、「左翼」と言って、徹底した個人主義の趣味人で、とうてい共産主義者などではあり得ないので、「左翼リベラル」ということにしたのである。

そんな私の「戦後民主主義」は、いったい何によって育まれたのか。それは、子供の頃から大好きだった、マンガやアニメや特撮ドラマである。
幼い頃から「漫画」は身の回りにあったし、私の生まれる前年に日本初のシリーズものテレビアニメである『鉄腕アトム』が始まった。中学生の時に『宇宙戦艦ヤマト』にハマり、高校で漫画部の副部長をしていた頃に『機動戦士ガンダム』の洗礼を受けた。日本初の月刊アニメ雑誌である『アニメージュ』も、創刊号から買っていた。まだ、「おたく」という言葉が生まれる前の、熱心な「アニメファン」。アニメ第1世代であった。

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無論、マンガやアニメだけではない。東映の「仮面ライダー」シリーズは、最初の「本郷1号ライダー」から「アマゾン」くらいまでは同時代で視たし、円谷プロの「ウルトラマン」シリーズも、「初代」から「レオ」まで同時代で視ている。
私の「正義感」は、こうした作品によって形成されたものであって、「政治思想」や「論壇の動向」などによって形成されたものではなかった。

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だから私は、同世代の「ネトウヨ」たちとケンカする時にも、時々「あなただって、仮面ライダーを視て育ったんでしょう。それなのに恥ずかしくないの?」とか、昨年末の「大阪都構想に関する2回目の住民投票」に関して「維新の会」の支持者たちとやりあった際にも「議論で勝てないとなると、仲間を呼んできて、自分たちの立場を正当化する。優勢に見せかける。でも、その余裕ぶったヘラヘラ笑いは、『北斗の拳』のザコたちのそれ、そのままですよ。弱い奴が、一人では戦えないヘタレが、そういう恥ずかしいことをする。ネトウヨとまったく同じだ」などと書いて、「『北斗の拳』のザコ呼ばわりは許せない」などと相手をいらだたせたりした。

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要は、私の中には、初期「仮面ライダー」のような「巨大な悪に、一人で立ち向かう正義のヒーロー」の美学が確実にあった。だから「徒党」が嫌いで、決して群れない。ケンカする時は一人でする。それに慣れているので、覚悟のない中途半端な加勢など、むしろ足手まといだとまで考えた。

ともあれ、そうした「昭和のヒーロー」たちが持っていたのは、何よりも「弱きを助け強きをくじく」であり「平和のための、やむを得ない戦い」だった。

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さて、ずいぶんと長い「前置き」になってしまったが、私が本書中で特に共感できたのは、当然のことながら「(サブ)カルチャー」(に関連した人々)の影響というものを、すくい上げた点であった。そうだ、そのとおり。そうしたものの影響力というのは、決して軽く見てはいけない。現にその実例がここにもいると。

本書は、全体としては「戦後民主主義」の歴史をバランスよく紹介したもので、これまで泥縄式でバラバラに学んできた「戦後史」「戦後思想史」「戦後文学史」「サブカルチャー史」といったものの「復習」には、ぴったりのテキストだった。
「まとめもの」故の食い足りなさもないではなかったが、しかし前述のとおり、「戦後民主主義」の形成における「サブカルチャー」の見えにくい貢献を、的確にすくい上げた点は、高い評価に値するだろう。

私は、最近の文章にもよく書くのだが、(今の)「仮面ライダー」や「プリキュア」を視て育った世代の全員とは言わないまでも、多くの子どもたちの心には、間違いなく「理想の火」が灯されていると信じている。
どんな逆境にあろうと「理想と希望を諦めず、また立ち上がって、戦野へと向かう」ヒーローたちの姿は、「戦後民主主義」ではなかったとしても、戦後の荒波に揉まれた後の、新「戦後民主主義」と呼べるものを、その核としているのではないだろうか。

もう、彼らは「孤独なヒーロー」ではなく、「仲間と手を携えて戦うヒーロー」だというのも、きっと「新」の「新」たる所以なのだろうと思う。

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初出:2021年1月26日「Amazonレビュー」
  (2021年10月15日、管理者により削除)

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