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小津安二郎監督 『秋刀魚の味』 : ありし日の、ひとつの日本

映画評:小津安二郎監督『秋刀魚の味』1962年)

私としては3本目となる、小津安二郎監督の作品。
最初に有名な『東京物語』(1953年)、次はタイトルも知らなかった『父ありき』(1942年)と観て、今回はタイトルなら聞いたことがある有名らしい本作を選んだという次第だが、本作が私の生年の作品であり、翌年に亡くなる小津の遺作だというのは、本作を観た後で知った。

本作が始まって、まず印象的だったのは、鮮明なカラー作品であったこと。次に、冒頭に登場する大工場の5本並んだ煙突を斜め横から捉えたショットが、『東京物語』のそれと同様、いかにも小津らしいと思ったこと。また、カラーの色調が、子供の頃に視た、特撮テレビドラマ『ウルトラマン』(1966〜67年)などを連想させて、いかにも懐かしかったことなどである。

最後の点については、当時のフィルムの特性ということなのだろうが、今、このようなレトロな色調を出そうと思えば、よほどうまく画像処理をしなければ、なかなかこんな感じにはならないんだろうな、などと思った。また、この時に連想したのは、山崎貴監督の『ALWAYS 三丁目の夕日』や、今年(2023年)11月公開予定の同監督作品『ゴジラ−1.0』で、デジタル画像処理により当時の色調を再現してみせる山崎監督のそれと、当時を写した本作『秋刀魚の味』との色調の違いを比較してみたいな、などとも考えた。

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さて本作は、簡単に言えば「一人娘を嫁にやる父親の心情を描いた作品」だと言えるだろう。

父親役は、例によって笠智衆。9年前の『東京物語』では、すでに四十代くらいの息子や娘、その孫さえいる、還暦を遠に過ぎたおじいさんを演っていたのに、今作では、娘が24歳ということだから、まだ50代前半の会社役員(当時の定年は55歳)を演じていて、特に違和感もないのだから、この人は本当に年齢不詳だ。
さすがに戦中の作品である『父ありき』の彼は若いと思ったが、もとより実年齢よりは老け顔なのだろうし、その人柄の良い落ち着いた雰囲気が、好好爺的でもあったということなのだろう。

一方、娘役は岩下志麻だが、当然のことながら若い。岩下は、今でも変わらず美しい人だが、岩下志麻というと私の中での『極道の妻たち』五社英雄監督・1986年)あたりの、ちょっと怖いくらいの「姐御(あねご)」というイメージがあるから、岩下の「娘役」というのは、なんとも意外で新鮮なものだった。またその一方、若さと化粧のせいか、あらかじめキャストを見ていなければ、どこかで見た顔だなくらいの感じで、すぐには岩下志麻だと気づかなかったかもしれない。

お話としては、特にひねりのあるものではない。というか、小津のオリジナル脚本作品というのは、基本的にはそういうものなのかもしれない。まだ3本しか観ていないので確たることは言えないのだが、この人は「当たり前の庶民の、当たり前の感情を、丁寧に描く」タイプの映画を撮る人で、ことさらな物語性には興味がなかったのではないか。

3本目の本作で驚かされたのは、各シーンに「既視感」があったこと。いや、「既視感」というよりも、要は、同じような舞台の、同じようなアングルのカットが、それまで観た2本そっくりに繰り返されていたことで、この人は、もう完全に自分の美意識に基づくパターンを持っており、それに忠実に映画を撮っているのだなというのが、とてもよくわかった。

下手をすればマンネリにもなりかねないところだが、そうなっていないのは、同じような絵を撮りながらも、それは決して手抜きではなく、自分の美意識に忠実でたらんとする緊張感を持続していたからではないかと思う。

したがって、本作の「絵づくり」も、『東京物語』のレビューに書いた次のような特徴とまったく同じなので、ここではその引用で済ませよう。

『『東京物語』を観て、まず感心したのは、意外にも小津安二郎というのは、「隙のない絵作り」をする人だ、ということだ。「ゆるい」ところがなく、計算し尽くされた「絵」が、計算し尽くされた「順序」で、緩急テンポよく提出されるのである。

特に特徴的だと気づいたのは、屋内の描写において、「奥行き」を強調した一点透視図的な絵作りであり、しかもそれが「縦と横」の線がカッチリと直角に交わる「多層的なもの」として、厳格な美意識に基づいて構成されている点だ。
そして、その、ある意味では「奥行きの強調された、多層平面構成的な構図」を活かすために、人物に、その遠近法的画面の奥や中間層を、左右に行き来させるのである。』

『もちろん、縦横90度に交差した線で描かれるのは、建物や部屋などの位置関係を説明する必要がない場合であって、例えば、老親が「東京観光」のために外出して「都内観光バス」で、銀座などのビル街を見る回るシーンなどでは、ビルや街並みは斜め構図で描かれる。縦横90度のマス目のようなビルを、真正面から描いては、「絵」にはなっても「風景」にはならないし、動きが出ないからであろう。

話が後先になるが、屋内のシーンでは、カメラの視線は、登場人物の視線よりも低めに設定されている。
これはたぶん、俯瞰気味なアングルによる「状況説明」よりも、「生活感」を重視したからであろう。登場人物をアップで撮る場合を除いては、カメラが、登場人物と同じ高さの目線に立たないのは、カメラを、登場人物と対等な視線的存在とはしないで、できれば、登場人物以下の存在にするためではないかと感じられた。』

あと、上の引用をしていて気づいたのだが、『東京物語』で特徴的だった次のような点は、本作『秋刀魚の味』ではほとんど見られなかったように思う。

『多くの場合、人物は「横向き」で話すことが多い、というのも特徴だろう。
カメラ目線ではなくても、当たり前に、画面手前のカメラのやや左右に向けて話すといったカットは、セリフを強調すべき時だけに限られていて、日常的な会話のほとんどは、「横向き」や「後ろ向き」で交わされるのである。』

これはたぶん、『東京物語』の場合は、目を見合わせて話さなくても理解し合える「老夫婦」が中心の物語であり、それと実の息子娘との気持ちのすれ違いみたいな「ドメスティックな要素」が強く、面と向かって「意思を伝え合う」というシーンが少なかったのに対して、本作『秋刀魚の味』の場合は、人間関係がそこまで濃密なものではなかったため、「相手の方を見て話す」というカットが多かったのかもしれない。

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Wikipedia「秋刀魚の味」によると、本作は、

『これまでに小津安二郎が一貫して描いてきた、妻に先立たれた初老の父親と婚期を迎えた娘との関わりが、娘を嫁がせた父親の「老い」と「孤独」というテーマと共に描かれている。』

となっているが、このまとめ方は、いかにも紋切り型の域を出ない形式的なものでしかなく、本作の特徴をよく捉えているとは、私には思えない。

もちろん、「妻に先立たれた高齢の父が、一人娘を嫁にやる寂しさ」が描かれているのだから、「老い」や「孤独」が描かれているというのは間違いではない。だが、それではいくらなんでも「見たまんま」ではないか。

むしろ、私が面白いと思ったのは、笠智衆演ずるところの父親の「家父長」性である。
「家父長」性と言っても、「家族の中で威張っている」ということではない。いかにも笠智衆が演ずる父親らしく、彼は家族に気配りをする優しい父親なのだが、やはり「昔の父親」らしく、「家父長としての自意識や責任感」が強いのだ。家族に対して、自分が全責任を負い、先頭に立って波風を受けなければならないというような意識を持っているように見える。そして、その点では『父ありき』の、修学旅行で学生を事故死させたために、自ら引責退職した元教師の「父」のような強い責任感を持っており、本作『秋刀魚の味』では、自分が娘をいつまでも子供扱いにしていたために、もしかして娘を「行き遅れ」にしてしまうかも知れないと、そんな自責の念に強くかられるところが、今では珍しいマッチョな「家父長」性を感じさせたのである。

佐田啓二演ずる長男と、亡き妻にちょっと似ているママの飲み屋で呑む)

あと、面白いのは、しっかり者の娘もそうで、家族の中では「自分がいないと、家の中が回らない」という「主婦」の意識を強く持つ「しっかり者」でありながら、しかし好きな男性に対しては、自分からは「好き」だという意思表示ができず、男性が自分の方をふり向いてくれるのを、自然体で振る舞いながら「待っている」というところが、いかにも一昔前、いや二昔、三昔前の日本の女性という感じを強く受けた。

私などがこの映画を観ると、風俗的なあれこれ(家電の普及ゴルフブーム、ネジ巻き式掛け時計など)に懐かしさがあり「昔はこんな感じだったなあ」と思うだけなのだが、今の若い人が観れば、たぶん理解不能なところも多々あることだろう。

例えば、会社では女性社員が、いかにも「お茶汲み」然と振る舞っているし、「寿退社」が当たり前という感じである。また、上司は、それを大前提として、若い女性社員に対して、平気で「君は幾つになったね?」「結婚を考えている相手はいるの?」「君もそろそろ本気で考えないといけないね」などといったことを「好意」から言うし、だから上司として「見合いの相手」を世話したりもする。
今なら、こうした質問自体が「セクハラ」になるかも知れないし、「お見合い相手の世話」など「大きなお世話」だと思われるだけだろう。

だが、裏を返せば、高度経済成長の真っ只中であったこの頃の会社というのは、今のように、仕事は仕事と割り切った「ビジネスライク」な世知がらさではなく、良くも悪くも「疑似家族的」であり、「会社家族」的な、ある種の余裕もあったというのが、この映画を見ていて、とてもよく感じられるのだ。

つまり、私がこの映画に強く感じたのは、「一人娘を嫁にやる父親の心情を描いた作品」といったようなことよりもむしろ、「時代を写し取っている」ということなのだ。小津監督自身は、それを特に意識してはいなかったはずだが、彼の奇を衒わぬ人間描写が、結果として「時代の空気」をそのまま素直に、フィルムに定着させたということなのではないだろうか。また、登場人物たちの、時に冗長とも思える「日常会話」を丁寧に描くことで、そうしたものまでも捉えることができたのではないか。

ノスタルジー的に「古き良き時代」であったと言うつもりは、さらさらない。たしかに、あの時代にはあの時代の大きな問題が存在しており、この作品にはそうした「大きな問題」が描かれていなかっただけだとも言える。例えば、国際的には「ベトナム戦争」の真っ最中、国内的には「水俣病」などの「公害」が大きな社会問題となって注目されはじめた時期であり、本作冒頭の大工場の煙突というのも、意図せざるものとは言え、あの時代をよく象徴したものだと言えよう。

言い換えれば、小津安二郎監督というのは、「戦争」であれ「高度経済成長」であれ「公害」であれ、そうした「大状況」をテーマとして描くのではなく、どんな時代でも、その中で生きる「庶民」の姿を、変に洗練したかたちで描くのではなく、可能なかぎりリアルに描こうとした映画作家だということなのではないだろうか。
無論、その限界というのはあるのだけれども、徹底して自分のスタイルを貫いたからこそ、「その時代の等身大の庶民」を描けたのではないかと、そんな印象を受けたのである。

ちなみに、笠智衆が演じた父親の、かつての恩師役を東野英治郎が演じている。
私の世代だと、東野は、主演俳優を替えながら長く続いたテレビ時代劇『水戸黄門』の、初代黄門役のイメージが強いのだけれど、本作や『東京物語』の東野を見ると、彼がいかにユニークかつ上手い、名バイプレイヤーであったのかが、よくわかる。

本作では、戦前に漢文教師として、主人公たちを厳しく、いや少々意地悪に指導した彼が、戦後は教師に復職できなかったのか、中華そば屋のオヤジとして、下町の庶民にも頭を下げなければならない立場になっていた、というのが描かれる。また、妻に先立たれたこともあって、一人娘を「行き遅れ」にさせてしまったことを深く悔い、いささか卑屈な感じさえする、悔い多き後半生をおくる老人を、見事に演じている。
笠智衆演ずるところの主人公が、娘の結婚について、にわかに焦りだしたのも、彼の惨めな姿を見せつけられたからなのだ。
東野は、本作で「毎日映画コンクール」の男優助演賞を受けているが、その人生をやり損なったと感じている老人の「卑屈さや寂しさ」を演じて、真に見事な演技であったと思う。

(住宅地では、まだまだ未舗装道路も多かったし街灯も少なかった。町はずれの工場を囲う塀も、見栄えなどには頓着しなかった。左の女性のように、多くの主婦が割烹着を常用していた)

そんなわけで、私が本作で強く感じたのは「時代」であり、「時代の変化」である。
戦前・戦中・戦後とは、明らかに違ってきた新時代の日本。そして、その後もどんどんと変わっていった日本の「一時代」を、本作は、結果としてではあれ「群像劇」的に描き出していたと言えるのではないだろうか。

その時代が、良かったとか悪かったとかいうことではなく、もう二度とは戻れない「そんな時代」が、ドキュメンタリーとは違ったかたちで記録されているというのは、非常に重要なことではないかと、私にはそう感じられる逸品なのであった。


(2023年9月17日)

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