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小津安二郎監督 『東京物語』 : 人間というもの

映画評:小津安二郎監督『東京物語』(1953年)

これほど著名な傑作になると、映画マニアでもなんでもない私が本作を論じたところで、何も新しいことは語れないだろう。だが、そこは開き直って、感じたことをいくつか書いておこう。
ストーリーについては、「Wikipedia(東京物語)」からの引用でご勘弁いただくことにする。

『 あらすじ

尾道に暮らす周吉(笠智衆)と妻のとみ(東山千栄子)は、小学校教師をしている次女の京子(香川京子)に留守を頼み、東京にでかける。ふたりは下町で小さな医院を開業している長男の幸一(山村聡)の家に泊めてもらうが、東京見物に出ようとしたところで急患が入り、結局でかけることができない。
その後、やはり下町で美容院を営む志げ(杉村春子)の家に移るが、志げも夫(中村伸郎)も忙しく、両親はどこにも出かけられぬまま二階で無為に過ごしている。志げは、戦死した次男の妻の紀子(原節子)に一日両親の面倒を見てくれるよう頼む。紀子はわざわざ仕事を休んでふたりを東京の観光名所に連れて行き、夜は彼女の小さなアパートで精一杯のもてなしをする。
幸一と志げは金を出し合って両親を熱海に送り出す。しかし志げの選んだ旅館は品のない安宿で、夜遅くまで他の客が騒いでいるため二人は眠ることができない。翌日、二人は尾道に帰ることに決め、予定を切り上げていったん志げの家に戻る。ところが志げは、今夜は同業者の集まりがあるのでもっと熱海でゆっくりしてきてほしかったと迷惑そうな態度を取る。ふたりは「とうとう宿なしになってしもうた」と言いながら今夜泊まるところを思案し、狭い紀子のアパートにはとみだけが行くことにする。紀子ととみは親しく語り合い、紀子の優しさにとみは涙をこぼす。一方周吉は尾道で親しくしていた服部(十朱久雄)を訪ねるが、服部は家に泊めることはできないから外で飲もうと言い、やはり尾道で親しかった沼田(東野英治郎)にも声をかけて三人で酒を酌み交わす。結局周吉はしたたかに酔い、深夜になってから沼田とともに志げの家に帰ると、ふたりとも美容室の椅子で眠り込んでしまう。志げは夫に対して父への文句をぶちまける。
翌日、皆に見送られて帰路の列車に乗ったふたりだったが、とみが体調を崩し、大阪で途中下車して三男の敬三(大坂志郎)の家に泊めてもらう。回復したとみと周吉は、子供たちが優しくなかったことを嘆きながらも、自分たちの人生はいいものだったと語りあう。
ふたりが尾道に帰ってまもなく、母が危篤だという電報が届き、三人の子供たちと紀子は尾道にかけつけるが、とみは意識を回復しないまま死んでしまう。とみの葬儀が終わった後、三人は紀子を残してさっさと帰って行ってしまい、京子は憤慨するが、紀子は義兄姉をかばい、若い京子を静かに諭す。
紀子が東京に帰る日、周吉は紀子の優しさに感謝を表し、早く再婚して幸せになってくれと伝えて、妻の形見の時計を渡す。紀子は声をあげて泣く。
翌朝、がらんとした部屋で一人、周吉は静かな尾道の海を眺めるのだった。

(Wikipedia「東京物語」より)』

端的に言えば、ごく当たり前の人生を、当たり前に描いた作品であり、老母が亡くなること以外には、特に何かが起こるというわけではない。語られるセリフも描かれる行動も、ごく日常的なものであり、リアルなものである。
言い換えれば、ごくありふれた「あるある」な会話や日常風景であり、特別な感興を呼び起こすものではない。

例えば、東京観光がてら、成長した子供たち様子を見に、初めて田舎から出てきた老夫婦に対し、すでに一家を成して自分の生活に忙しい子供たちは、親のいないところでは、迷惑そうに「いつ帰るんだろう?」なんて話をしている。
つまり、親の顔が見られたから、うれしいとかありがたいなんて気持ちはこれっぽっちもなくて、自分たちの生活のペースを乱されることが、ひたすら迷惑だと感じているのである。

(長男・幸一と長女・志げ)

ただ、彼らが特に冷たい人間なのかと言えば、そんなことはない。
親を憎んでいるわけでもなければ嫌っているわけでもない。ただ、今の生活のペースを乱されることが、なにかと面倒で煩わしいというだけのことで、生活のペースを乱されて迷惑だと感じてしまうのは、その相手が、親であろうと赤の他人だろうと、何も変わりはしないだろう。誰だって、せっかく築き上げた生活のペースを乱されることについては、迷惑だと感じるものであり、この映画に登場する老夫婦の子供たちにかぎった話ではないはずだ。

まして、子供にとって、親というのは、「いて(存在して)当たり前」の存在であり、死別するまでは「いずれはいなくなる存在」だという実感は、持てないのが普通だ。
言い換えれば、親が元気な生前のうちから、親を見て「この人も、いつ死ぬかわからないんだから、今のうちに孝行しておこう」などと考える者は、いないと断じても良いくらいだろう。それは、近所のコンビニへ買い物に行く人が、いちいち「もしかすると、この外出で、私は車に撥ねられて死ぬかもしれない」などと考えたりはしないのと同じことだ。
自分もいつかは死ぬ存在だというのは「頭ではわかって」いたとしても、実感など持てはしない。そんな実感を持っているとしたら、その人は精神を病んでいると考えた方がいいのかもしれない。

同様に、親というのは、実感としては「いて(存在して)当たり前」の存在なのだ。なぜなら、親というのは、自分が物心ついた時から、ずっと存在していたものだからである。

そして、人間というものは、「いま当たり前にあるもの」には、ありがたみが感じられないものだ。人間が、というよりも、動物はそのようにできている。欠乏しているものを求めるから生き延びられるのであって、今あるものだけに満足しているだけでは生き延びられないから、「いま当たり前にあるもの」には「ありがたみ」を感じられないようにできているのだ。
私たちが「空気(大気)」や「大地」の存在に、ありがたみを感じないのと同様の理由で、私たちは「親」にも感謝することができないように「できている」のである。

だから、この老夫婦に対して、唯一優しかったのが、原節子演ずるところの「戦死した次男の嫁(義理の娘)紀子」だったというのは、筋の通った話であって、なんら不思議なことではない。
美人女優である原節子が、言うなれば本作のヒロインだから、「一服の清涼剤」として、殊更に「いい人」として描かれている、というわけではないのだろう。

彼女にとって「亡夫の両親」は、「他人」だからこそ、相対的に見ることができ、言うなれば「間もなく死ぬであろう人たち」だと見ることができるから、「今のうちに、優しくしてあげよう」とすることができるのだ。

それに彼女は、「死ぬとは思っていなかった夫」を失っているだけに、「人は突然、死んでいなくなるものだ」ということを、嫌というほど実感させられているから、まして「亡夫の老親」であるならば、「いずれ近いうちに亡くなる人」という目で見ることもできるのである。
そしてそこが、「実の子供」とは違ったところであるし、その意味では、彼女だって、自分の実の親に対しては、少なくとも親の生きている間は、そこまで「優しく親切ではない(なかった)」のではないだろうか。

無論、彼女は、もともと基本的には「優しく親切な人」だったからこそ、「いずれ失われていく人」に親切になり得たのだろう。だが、それは多分、この老夫婦の実の子供たちだって同じであり、この子供たちも、親を失ったあとは、「他人の親」には、多少なりとも親切な人になるのではないだろうか。

その一方、この映画でも描かれているとおり、老母を失って、「もう少し孝行してやるべきだった」と思った実の子供たちも、しかし、では、残った父親に対しては、わかりやすく「優しくなる」のかと言えば、そういうことにはならない。
なぜなら、父親は、まだ生きているのだから、頭では「父親には、生きている間に孝行しないとな」とは思っても、結局はそれも「目の前の日常」に回収されて、いずれ母親を失った悲しみも、孝行できなかったという後悔も、せめて生き残った父親の方には孝行しなければという思いも、すべては速やかに失われてしまう。一一そうでないと、人間は生きてはいけないからだ。失われたものに、いつまでも縛られていては、「目の前の現実」を生き抜くことはできないと、そう「遺伝子レベルで、生存本能が組み込まれている」からである。

だから、本作で描かれているのは、「人間とは、そういう存在なのだ」という、少し淋しく、少し残念な、しかし、それをどうしようとか、どうにかできるなどというような「思い」ではない。
だから、本作には、何かを訴えようという意志は無い。ただ、良くも悪くも「人間とは、そういうものなのだ」という、ある種の「諦観」が静かに漂っているだけなのである。

映画の最終盤で、老親に唯一優しかった「戦死した次男の嫁(義理の娘)紀子」が、妻を失った義父から「あんたが、いちばん優しゅうしてくれたと、あいつ(亡妻)も感謝しておったよ。だから、あんたには本当に、気兼ねなく幸せになってもらいたいと、わしらはそれが気がかりでならんのだ。だから、どうか、息子(亡くなった次男)やワシらに気兼ねすることなく、良い人を見つけて幸せになってほしい」と言われ、次男の嫁は「私は、そんなに優しい人間なんかじゃありません。あの人(亡夫)にことだって、最近は忘れていることが多いんです」と泣き出してしまう。つまり、彼女は、「あれだけ愛した夫」と忘れてしまいかけている自分を、「冷たい人間」だと感じているのである。

自分が、老いた「義理の老親」に優しくできるのも、亡くなった夫に対する「申し訳なさ」があったからかもしれない。夫には、もっと優しくしてあげればよかったという思いが、一一実際には優しい妻であったとしても、それでも夫を亡くした後の「後悔」として、「もっともっと優しくしてあげればよかったし、それができたはずだ」という思いがあるのかもしれない。
人間とは、常に、自己の「理想と現実」の間にギャップを抱えている存在だからこそ、現実の重さが失われた時に、理想だけが、くっきりと浮き上がってきて、それが人を「後悔」させるのかもしれない。

彼女は、夫を愛していたからこそ、逆に「十分に愛せなかった(優しくできなかった)」という「後悔」を抱えており、それが「罪悪感」にまでなって、その代償行為として、亡夫の両親には、特別に親切せずにはいられなかったのだろう。その意味では、彼女の「親切」は、彼女の中では「罪滅し」のように感じられていたのかもしれない。

人間というのは、普通に生きているだけで常に、その「理想」に対し、それには達し得ないという「罪悪感」を抱えた存在なのかもしれない。真面目な人ほど、尚更そのように感じてしまうのだろう。

彼女は、心から「自分は冷たい人間だ」「親切そうにしているのは、罪滅ぼしのための仮面みたいなものであり、一種の偽善でしかない」と、そう感じているから、生前の義母が彼女のことを「優しい」と言い「感謝」し、彼女の身の振り方を心から心配してくれたことに、むしろ「騙しているような、申し訳なさ」を感じていたのかもしれない。
そして、妻を失った義父までが、同じように、彼女に感謝し、彼女のことを心から気遣ってくれることに、申し訳なさを感じて、ついに、告白するようにして「私は、そんなに優しい人間なんかじゃありません」と、泣きながら言わないではいられなかったのだろう。

これは、喩えて言えば、「任務のために、優しい嫁になりすましていたスパイ」が、その騙している相手である義理の老親から、心からの感謝の言葉をかけられて、つい良心の痛みに耐えきれず「私は、そんな人間ではないんです。本当は、あなた方を騙し利用している、酷い人間なんです」と告白するような心境に、近いものなのではないだろうか。

そうした意味では、人は、優しければ優しいほど、自分が優しい人間だと思うことができないようにできているのだから、どこまでいっても、自分が「冷たい人間」だという自意識につきまとわれるし、そうした「自認」を受け入れないかぎり、自責の念にとらわれ、苦しみ続けなければならないのであろう。
そして、「自分は、冷たい人間なんだ」という、その「自認」を受け入れないかぎり、心の平安は決しておとづれないのだから、その「自認」を受け入れることは決して、悪いことではないのであろう。それは「悪しき開きなおり」などではないのだと、私は思う。

そうした意味で、この映画も「私たちは冷たい人間なんだよ。でも、それは仕方のないことだし、それで良いんだ」ということを、「優しい人」たちに向けて語った、過剰な理想としての「優しさ」への、「断念」を込めて語った作品だと言えるのではないだろうか。「それでいい。いや、そうしたものなんだよ。人間というものは」と。

だが、たぶん、心配することはない。人間というものは「冷たい人間であってもいい」と断念したところで、それで「優しい人」が冷たい人間になれるほど、都合良くはにはできていないのである。
だから、「優しい人であらんとする」ことを断念してもいいし、「冷たい人間なんだという自認」を受け入れても、大丈夫なのだ。「それでいい」のである。

本作は、そうしたことを、淡々と語った作品だったのではないだろうか。

 ○ ○ ○

さて、以上のような「内容的なもの」とは別に、「映像面」についても、少し触れておきたい。

私は、今回初めて小津安二郎の作品を観たのだが、これは、もう5年以上前に友人が送ってくれたDVDを、今回やっと見ることができたという経緯によるものである。

友人は、今は亡き私の母に対して、ときどきカステラを送ってくれたのだが、その「詰め合わせ」として、いつも私が興味を持ちそうな本や資料を送ってくれたのだが、ある時、そこに小津のDVD2本が含まれており、それが本作『東京物語』と『父ありき』のそれであった。

当時の私も、小津が有名な映画監督だというのは知っていたのだが、地味そうな印象ばかりがあって、あまり興味がなく、かといって、捨ててしまうわけにはいかないので、今にちまで取っておいたのを、やっと視ることができたという次第だ。
そして、小津の作風が、私に合うか合わないかわからないのであれば、まず代表作のほうを先にしたほうがいいだろうと、『東京物語』を視ることにしたのである。

今になって私が小津の映画を観る気になったのは、何度も書いていることなのだが、昨年退職して時間的に余裕ができ、映画をたくさん観るようになって、映画にも広く興味が湧いてきたからというのが、まず一点。
あと、昔は「文芸評論家」としてしか興味のなかった蓮實重彦の、「映画評論家」の面にも興味が出てきて、その蓮實も小津を高く評価しているのを知ったから、「これはもう観ないわけにはいかない」と考えたのだ。

で、映画評論家としての蓮實重彦は、映画の「内容」よりも「絵(映像表現)」に注目し、その側面から、映画を映画として評価する人だった。そしてこれは、蓮實が、「文学」においても「テーマ(主題)」や「ストーリー(物語)」ではなく、「文章」という「表層」にこだわって論じていたのと、同じことなのであろう。

もっとも私は、「文学」においては、基本的に「内容・内面(意味)」を重視するタイプだから、「映画」においても、蓮實に「盲従」するつもりはない。
それでも、「文学」において「文章・文体」が無視できない「身体性」であることは理解しているので、「映画」においても「絵(作り)」を軽んじるつもりはないから、そちらの面についても当然注目するし、ここでもひととおり論じておこうとは思うのである。

『東京物語』を観て、まず感心したのは、意外にも小津安二郎というのは、「隙のない絵作り」をする人だ、ということだ。「ゆるい」ところがなく、計算し尽くされた「絵」が、計算し尽くされた「順序」で、緩急テンポよく提出されるのである。

特に特徴的だと気づいたのは、屋内の描写において、「奥行き」を強調した一点透視図的な絵作りであり、しかもそれが「縦と横」の線がカッチリと直角に交わる「多層的なもの」として、厳格な美意識に基づいて構成されている点だ。
そして、その、ある意味では「奥行きの強調された、多層平面構成的な構図」を活かすために、人物に、その遠近法的画面の奥や中間層を、左右に行き来させるのである。

また、多くの場合、人物は「横向き」で話すことが多い、というのも特徴だろう。
カメラ目線ではなくても、当たり前に、画面手前のカメラのやや左右に向けて話すといったカットは、セリフを強調すべき時だけに限られていて、日常的な会話のほとんどは、「横向き」や「後ろ向き」で交わされるのである。

もちろん、縦横90度に交差した線で描かれるのは、建物や部屋などの位置関係を説明する必要がない場合であって、例えば、老親が「東京観光」のために外出して「都内観光バス」で、銀座などのビル街を見る回るシーンなどでは、ビルや街並みは斜め構図で描かれる。縦横90度のマス目のようなビルを、真正面から描いては、「絵」にはなっても「風景」にはならないし、動きが出ないからであろう。

話が後先になるが、屋内のシーンでは、カメラの視線は、登場人物の視線よりも低めに設定されている。
これはたぶん、俯瞰気味なアングルによる「状況説明」よりも、「生活感」を重視したからであろう。登場人物をアップで撮る場合を除いては、カメラが、登場人物と同じ高さの目線に立たないのは、カメラを、登場人物と対等な視線的存在とはしないで、できれば、登場人物以下の存在にするためではないかと感じられた。

このように、小津が撮ろうとするのは、「登場人物のコミュニケーション」ではなく、「登場人物がコミュニケーションしている風景」であり、つまりは「絵」で見せようとしているということなのであろう。
「語らせる=説明させる」「絵で説明する」ということではなく、「絵から感じ取れる絵」を作ろうとしているのではないだろうか。そうした意味では、蓮實重彦が小津安二郎を高く評価するというのは、とてもわかりやすいことだというふうに私は理解した。

ともあれ、絵を見ているだけでも感心できる作風であり、登場人物に多くを語らせず(説明させずに)に、これだけ感じさせることのできる映画が撮れるのだから、やはり小津が天才作家だというのは、間違いのないところだろう。
ひとまず次は、手元にある『父ありき』を観るはずだが、いろいろと観てみたい作家である。


(2023年7月17日)

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