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岐路に立つ〈民主主義〉

書評:玉川透 編著『強権に「いいね!」を押す若者たち』(青灯社)

本書の編著者は、テレビ朝日の『羽鳥慎一 モーニングショー』のレギュラーコメンテーターとして、切れ味鋭く忌憚のない権力者批判で、リベラル層に人気の高い、あの玉川透である。 一一かく言う私も、彼のファンだ。

しかし、そんな著者による本書は、思いのほか「おとなしい」内容である。言い変えれば、もっと鋭く権力に切り込む内容を期待していた向きには、やや物足りなく感じられる内容かも知れない。
だがしかし、本書には玉川透の本質的な一面が、とてもよく表れているとも言えるだろう。それは、彼の「謙虚さ」だ。だからこそ本書は、印象としては「おとなしく」感じられるのである。

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本書のテーマは、日本的な現象としての「若者の野党ばなれ」であり、世界的な現象としての「民主主義ばなれ」だと言えるだろう。つまり、多くの若者が「面倒くさい議論を前提とした民主主義の不効率に失望して、わかりやすく即効性が高いと感じられるポピュリズム政治に走っているという現実」を、どう考えるべきか、というものである。

こう書くと、私と同世代の高齢者層なら「今の若者は、民主主義のありがたさを知らないからだ。ファシズムや共産主義を奉じる独裁政権下の、自由のない生活の悲惨さを知らないから、民主主義は不効率だなんて、いい気なことが言えるのだ。自分の身を切る政治参加の努力もしないでいて、お客様然として注文ばかりつけていられるのだ」などと、文句の一つも言いたくなる人が少なくないだろう。

「しかし、そう簡単な話ではないのだ。若者たちの意見にも、たしかに一理あるのだ。では、どうすれば良いのか」という難問に、誠実かつ謙虚に取り組んでいるのが、本書なのである。

本書に示される、著者なりの過渡的な回答を、ここに書きはしない。
ただ、政治であれ何であれ、「手間を惜しんで、安直な解決策に飛びつくことは、極めて危険だ」ということだけは、間違いのないこととして確認しておきたい。

自分が賢いつもりで、要領よく金儲けをしようなんて考える人が、「投資詐欺」などに引っかかりやすいのと同様に、もともと簡単には片づかない難問を、簡単に片づけられると考えたり、簡単に片づけようなどと思うと、思わぬ陥穽に落ちてしまう恐れが、相応に高くなる。
つまり、面倒でも、手間をかけなければならないことはあるし、その労苦は、皆でわかちあって堪えなければならないものだ、ということなのだ。

だから、先行のレビュアーである「Hajime. Ohta」氏のおっしゃる「野党に魅力がないからだ」という批判も一理あるとは思うものの、『とくに美辞麗句や建前論ではなく、若者の本音に響くような政策を打ち出せば、どこの国においても政権は決して揺るがないものではないはずだ。』というご意見には、賛同しかねる。
と言うのも、この意見自体が、具体性に欠ける『美辞麗句や建前論』の類いでしかない、とも言えるからだ。

つまり『若者の本音に響くような政策を打ち出せば』と簡単に言うけれども、それは「具体的には、どういう政策なのか」。しかも、政策というのは「若者」にだけウケれば良いというわけではないし、『若者の本音』としての「要請」が、必ずしも「正しい」とか「他の人にも配慮したもの」だとかいった保証は、どこにもないのである。

言い変えれば、若者にも年寄りにも、金持ちにも貧乏人にも、右の人にも左の人にも、つまり出来るだけ多くの人に公平に差別なくなされる「適正な政策」というのは、具体策を出さないでいい人間が言うほど、簡単なものではない。

ただし、だからと言って、与党がいい加減な政策しか打てないでいて、野党に「対案を出せ」などと言うのは、間違いだ。
なにしろ、与党というのは、自ら進んで与党となり、権力を握り、高い給料なり役得なりを得て、その重責を自ら引き受けたのだから、自分で、より良き政策を考え、かつ野党の意見も聞いた上で、実績を残すのが、与党政治家の務め、つまり義務なのだ。
だから、それが出来ないというのであれば、政治家を辞めて下野するなり、野党になるなりすれば良いだけの話なのである。

一方、一般国民であろうと、野党に対して「批判だけではなく、対案を出せ」と言うのも、少々筋違いの批判である。
と言うのも、もちろん、対案があれば出せば良いのだけれども、仮に対案が浮かばなくても、ひとまず政権与党の不作為や実行力不足や無策を批判するのは、それこそが「野党の責務」なのだから、「対案が出せないなら、黙っていろ」というのは、無策な与党に媚び加担する、誤った要求でしかないのである。

そんなわけで、「民主主義」は極めて面倒くさい。議論し、批判反論をし合ったとしても、それで必ず「正解」に至れるという保証などない。
しかしである、勉強もせずに東大に入ろうとか、トレーニングもせずにオリンピック選手になろうとかいうのと一緒で、大した苦労もしないでいて、国家をうまく運営しようなんていう心がけが、そもそも大間違いなのである。

人間というのは、すぐに「欲」に流されるから、権力を持てば、自分に都合のいいように、それを濫用したりしがちである。だからこそ、野党は無論、国民一人一人が「権力者」を監視して、問題があれば批判し、クビにもして、政治が健全に行なわれるようにしなければならない。それが、民主主義における「主権者の義務」なのだ。

その義務をろくに果たさないで、「お客様扱い」を受ける権利だけを要求するというのは、大間違いの心得違いであるし、そんな甘えたことを考えていたら、権力者の「甘言」に誑かされるだけだろう。
したがって、民主主義国家における国民は、その権力監視と善導という義務を果たさなければならず、それはとても面倒くさいものなのだが、それはそんなものだと腹を括らなければならない。

そうでなければ、権力や金を持っている一部の人間が、「その他の大勢」でしかないわれわれ一般庶民を、「奴隷」扱いにしようとするのを止められないのは、理の当然なのだ。

誰か「特別に賢くて、有能で、利他的で自己犠牲的な人が、国民全員のために、面倒な政治を一手に引き受けて苦労してくれる」なんて「甘ったるい」ことを考えていたら、泣きを見るのも当然なのである。

若者の失望感には、たしかに根拠がある。しかし、もともと世の中とは「失望」に満ちたものであり、そこに僅かなりとも「希望」をもたらしたのが「民主主義という手間のかかる政治制度」だということは、われわれは何度でも、心しなければならない。

繰り返すが「楽して儲けよう」などと思ってはならない。また、他人をアテにしすぎてのも良くない。
一一それが「大人の知恵」というものなのである。

ちなみに、私が与野党双方に採用しろと要求したい具体的な対案は、当然、今の日本の政治の流れには反するが、世界の流れには必ずしも反しているわけではない、経済的な「反緊縮」政策の採用である。

詳しくは、理論経済学教授・松尾匡の、「反緊縮」に関する一連の著作を、直接当たっていただきたい。
極めて具体的な「対案」が、そこには示されているはずだ。

初出:2020年8月25日「Amazonレビュー」

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