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森達也 『U 相模原に現れた世界の 憂鬱な断面』 : 食いちぎられた指の 〈憂鬱な断面〉

書評:森達也『U 相模原に現れた世界の憂鬱な断面』(講談社現代新書)

勘違いしてはいけないのは、本書は、植松聖によって引き起こされた、障害者施設連続襲撃殺傷事件である「相模原事件」についての本ではない、ということだ。

「相模原事件」は、本書の問題意識を語る上での、「発端」でしかない。
だからこそ、著者である森達也の記述は、何度も「相模原事件」から「スピン・オフ」するのであり、これは本来「スピン・オフ」とすら呼べないものなのだ。

本書のテーマは、「世界の憂鬱な断面」の方にある。
私たちが目をそらしがちな「世界の憂鬱な断面」について、著者がそれを「逡巡しながら直視しようとした」記録だと言っていい。

「U(植松聖)」や「相模原」は、所詮は「世界の憂鬱な一断面」でしかなく、そうした世界の断面は、これまでに何度も開示されてきたものであった。つまりそれが、宮崎勤の「連続幼女殺害事件」であったり、麻原彰晃らによる「オウム真理教事件」だったのである。
だから、そうした「過去の事件」への言及は、決して「スピン・オフ」ではない。植松聖による「相模原事件」とそれらの事件とは、「世界の根底」において繋がっている。
しかしまた、そこでの「本当の問題」は、植松聖や宮崎勤や麻原彰晃といった「特異な人たちの問題」ではない。そうではなく、それはむしろ一一私たち「事件傍観者」自身の問題なのである。

どういうことか。
要は、私たちが「現実を直視すること」を避けて、「安易な物語」に逃避してしまっている、という現実である。

本書の展開は、次のような具合だ。

(1) はたして「相模原事件」の犯人・植松聖の頭は「まとも」だったのか?
(2) 明らかに「まともではなかった」のに、どうして精神鑑定では「責任能力あり」と判定されたのか?
(3) なぜ裁判は、そんな、いい加減極まりない「精神鑑定書」を採用して、有罪判決を下したのか?
(4) 世間もマスコミも、どうしてそんないい加減な「有罪判決」を批判しないのか? 問題視しないのか?
(5) それは「正常と異常」「正義と悪」といったものに、明確な線引きなど出来ないからである。
(6) だが、そんな面倒な現実は、認めたくないし考えたくもない。
(7) 感情的にも「そんな危険なキチガイは、さっさと殺してしまえ」なのだから、深く考えなくてもいい。
(8) 誰も、こうした「世間の本音」に抗ってまで、真相究明などできない。だから、さっさと葬って、忘れてしまう。
(9) これが、この「世界の憂鬱な現実」であり、植松聖という存在は、そんな「世界の憂鬱な断面」の一つだったのである。

『「小指の具合はどう?」
 数秒の沈黙の後に篠田(※ 森と共に、植松と面会した、ジャーナリスト篠田博之)が言った。「もう痛みはだいぶ引いたかな」
 右手を顔の前に差し出した植松は、「痛みはもうほとんど……」と言いながら、キャップのように上から被せていた包帯をふいに外した。欠損した小指の先端が現れた。傷口は赤黒く変色している。同時に横で会話を記録していた刑務官が立ち上がり、植松の右手を強く摑んだ。
 すべては一瞬だった。刑務官に右手を掴まれた植松は、予期していたのか抵抗するような素振りをまったく見せないまま、左手で外したばかりの包帯(のキャップ)を、右手の小指の欠損の上に素早く戻す。それを目視した刑務官は、摑んだ植松の右手を放して椅子に戻る。二人とも無言だ。透明なアクリル板越しのこの光景を眺めながら、まるで儀式のようだと僕は思う。僕の隣に座る篠田も、このときはずっと沈黙していた。
 あとから篠田に聞いたが、面会中に植松が包帯を外して傷口を見せようとしたことは、これが初めてではないという。そのたびに刑務官が止める。特に初めての面会の人には必ずのようにやるんだよ、と篠田が苦笑する。その意味ではやっぱり、ほぼ予定調和の儀式なのだ。』(P23~24)

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植松がなにを思って、自ら食いちぎった小指の断面を、面会者たちに見せびらかしたのか、そんなことはどうでもいい。

このシーンを、本書著者の森達也が描いたのは、植松の食いちぎられた小指の「赤黒い傷口」こそが、この「世界の憂鬱な断面」を象徴しているからである。
私たちは、そんな「グロテスクな断面」から目をそらし、「上っ面の世界」を撫で回すばかりなのだ。

「だが、それでいいのか」と、森は逡巡しながらも問い続けているのである。

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初出:2020年12月29日「Amazonレビュー」
   (同年10月15日、管理者により削除)

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