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福島菊次郎、ニッポンの嘘を暴く : 平和国家の祟り神

映画評:長谷川三郎監督『ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎90歳』


2012年の映画を、リバイバル上映で観てきた。
報道写真家・福島菊次郎、90歳当時のドキュメンタリー映画だが、福島は3年後の2015年に亡くなっている

下に紹介するのは、本作2012年公開時の、予告編映像と、公式サイトの紹介文である。


問題自体が法を犯したものであれば、報道カメラマンは法を犯してもかまわない

ジャーナリスト界で「伝説」と語り継がれる報道写真家・福島菊次郎、90歳。
そのキャリアは敗戦直後、ヒロシマでの撮影に始まり66年になる。ピカドン、三里塚闘争、安保、東大安田講堂、水俣、ウーマンリブ、祝島一一。レンズを向けてきたのは激動の戦後・日本。真実を伝えるためには手段を選ばない。防衛庁を欺き、自衛隊と軍需産業内部に潜入取材して隠し撮り。その写真を発表後、暴漢に襲われ家を放火される。それでもシャッターを切り続けた指はカメラの形に沿うように湾曲している。並々ならぬ執念、攻撃性を帯びた取材で生まれたのは、苦しみに悶える、ある一家の主、機動隊に槍を向け怒りを叫ぶ若者、不気味な兵器を前に笑顔を輝かせる男たちの姿だ。25万枚以上の、圧倒的な真実から我々は、権力に隠された「嘘っぱちの嘘っぱち」の日本を知ることになる。冷静に時代を見つめ、この国に投げかけ続けた「疑問」を、今を生きる我々日本人に「遺言」として伝えはじめた時、東日本大震災が発生。福島第一原発事故を受け、菊次郎は真実を求め最後の現場に向かうのだった…。ヒロシマからフクシマへ。権力と戦い続けた老いた写真家は、今ここで「日本の伝説」となる。

この姿こそ反骨であろう

6,000点もの写真を発表し一線で活躍する最中、菊次郎は保守化する日本に絶望し、無人島に渡る。胃がんを患いその生活を諦めるまで自給自足で生活した。「この国を攻撃しながら、この国から保護を受けることは出来ない」と年金を拒否。子からの援助も断り、自らの原稿料だけで生計を立てている。
現在は相棒犬ロクとの気ままな二人暮らし。散歩がてらスーパーに買い物に行き、手際よく夕飯をこしらえ、エンジンをふかしたバイクを転がし、補聴器の注文へ。飄々と、穏やかに日々の生活を送る。一見すると、そこに居るのは一人の老人。しかし、いざカメラを構えた瞬間、鋭く獲物を狙う“報道写真家・福島菊次郎”が姿を見せる。満身創痍、37キロの痩せた体で地面に這いつくばり、強風に煽られながら、それでも被写体を捉えようとするその姿は、一切の妥協を許さず、視野に通された福島菊次郎の信念の姿そのものである。』

(『ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎90歳』公式サイト、「作品紹介」より

見てのとおり、福島菊次郎は、一見したところは「飄々として」しかも、なかなおしゃれな老人である。

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一人暮らしの家の中も綺麗に片付いており、自分で調理もこなす、実に隙のない老人なのだが、しかし、彼の中には、尋常ならざる「思い」が秘められている。そうでなければ、これほどの長い間、「反権力の反骨報道写真家」としての信念が貫けるわけがない。

ニッポンの嘘コメチラ表

彼のこうした報道写真家としての人生を決めたのは、広島の、ある被爆者男性とので出会いであった。

原爆の投下後、広島に入って、その惨状とともに、被爆者のその後を撮影した福島は、ある人の紹介で、一人の被爆者男性の存在を知る。
その漁師の男性は、被ばくの後遺症によって妻を失い、自らも後遺症に苦しみながらも、3人の子供たちを育てなければならず、力の入らない体に鞭を打って漁に出、漁から帰ると、布団に倒れこんでもがき苦しむという、壮絶な日々を送っていた。

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当初彼は、福島にも険しい視線を向けて心を開かず、写真を撮ることを許さなかった。だが、福島との交流の末に、彼は「私の写真を撮ってくれ。ピカに出会ってこのざまだ。このままでは死んでも死にきれない。仇を取ってくれ。」と福島に頼み、その無残に痩せさらばえた体や、後遺症の苦しみをごまかすために、自らクギで腿に刻んだ無数の傷をも、撮影することを許した。その写真を広く公開することで、自分をこのような体にしたまま放置し続ける、祖国日本を告発し、復讐をしようとしたのである。

彼の写真を撮ったその時から、福島は引き返せない道を歩みだしたと言えるだろう。その被爆者男性だけではなく、国家に騙されて利用され見殺しにされ、苦しみながら死んでいった、数え切れない人たちの「怨念」を、福島はその肩に背負っているからだ。
だからこそ、彼は「国家権力」に対して、生半可な妥協などしなかったし、出来なかった。彼の体と人生は、そうした「まつろわぬ民」の怨念に捧げられたものだったからである。

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原爆投下によって焼け野原になった広島は、しかし、日本政府の発した「広島平和記念都市建設法」によって、見目麗しき「平和の象徴」へと作り変えられていく。
そして、その過程では、原爆によって家を失った被爆者たちが、自ら建てたバラックの立ち並ぶ「原爆スラム」と呼ばれた一角が、情け容赦なく潰され、綺麗さっぱり消し去られてしまった。

だが、福島が特にこだわったのは、その一角に住んでいた、被爆者の朝鮮人女性だった。
彼女は、朝鮮人であるというだけの理由で、何の保証もないまま、そのバラックの家を潰され、そこから追い立てられなければならなかった。それが「広島平和記念都市建設」の名において行われたことの現実だった。つまり、「広島平和記念都市建設」とは実のところ、本当の「悲惨な現実」から人々の目をそらすための、「糊塗されたキレイゴト」に過ぎなかったのだ。
原爆被害者の中でも最も弱い立場の人たちは、「ニッポンの嘘」のために、新たに建てられていった高層建築群の下に、深く塗り込められ、隠蔽されなければならなかったのである。

だから、福島菊次郎は「今の広島」の写真は撮らない。彼の伝えるべき「真実」は、すでに完全に消し去られて、どこにも残ってはおらず、そこはただ、広島平和記念公園と「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と刻まれた原爆死没者慰霊碑にこそ象徴される「ニッポンの嘘」、心にもないキレイゴトに覆われているからである。

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福島は、ある意味では、「今の広島」を呪っているとも言えるだろう。
たしかに、広島の被爆者たちを苦しみを思えば、彼らを責めることはできない。しかし、彼らが、国家から保証を得るために、その犠牲になった人たちの存在は隠蔽され、そのことについては、口をつぐむことにもなったからである。

だから、福島は、毎年、広島で行われている「平和記念式典(広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式)」に対して、決して良い感情は持っていなかったはずだ。むしろそれが「わざとらしい、アリバイ工作」の「パフォーマンス」にしか見えなかっただろう。

これは私の勝手な想像だが、福島は、その好々爺然とした見かけによらず、その本性は、やはり、今の「平和都市・広島」の「偽善」を、呪う者だったのではないだろうか。

それは、例えば、荒俣宏の伝奇小説『帝都物語』の主人公である、アンチヒーロー加藤保憲が、天皇制国家であり「帝の国」である「日本」、その象徴である「帝都・東京」を、「まつろわぬ民」の化身として呪ったのと、ほとんど同質なものだったのではないか。

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所詮「平和都市・広島」は、「今の日本」を象徴する「欺瞞」であろう。いったい、日本のどこが「平和国家」なのか。ヒロシマが「何をした」と言うのか。

私たち、今の日本人は、多くの弱者を犠牲にして、今の「偽善国家・日本」に生きていることを忘れてはならない。この国で、不当な繁栄を享受する者は、永遠に呪われることであろう。そして「怨霊」たちは、日本の滅ぶことをこそ、何度でも願っているということを、決して忘れてはならないのだ。

「鎮護国家」のためには、日本国家を守って死んでいった人たち祀ることよりも、むしろ日本国家によって踏みにじられ、無念を呑んで死んでいった「弱者たちの怨念」をこそ鎮めなければならず、日本が真の意味での「人倫国家」になることでなければならないはずだ。

福島菊次郎もまた、日本を呪い続ける「御霊」の一人となった。
事実、彼の遺した写真は、何よりもこの国の「真の姿」を撃つ、真っ黒な「呪符」となっているのである。


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(2022年10月2日)

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