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ジャンフランコ・ロージ監督 『旅するローマ教皇』 : 「信仰」の力とは

映画評:ジャンフランコ・ロージ監督『旅するローマ教皇』(2022年・イタリア映画)

教皇フランシスコの、旅を描いたドキュメンタリー映画である。

「ローマ教皇」というのは、フランシスコ以前には、しばしば「法王」と呼ばれたものだ。
「教皇」というのは、本来、地域別に数人いたのだが、その中の一人である「ローマ教皇」が、ある時から「ローマ教会こそが、すべての教会の首座である」と主張し始め、要は「うちがトップだから、うちの方針に従いなさい」ということで、他の教皇との差異化を図るために、「法王」を名乗り始めたものなのだ。

そして、この背景には、キリスト教が長い迫害の末に、ついに「ローマ帝国」の「国教」になったということがある。つまり、西欧世界におけるローマ帝国の圧倒的な「政治的権力」を後ろ盾にして、「宗教的権力」のトップに立とうとした、ということだ。

(バチカン宮殿)

だが、フランシスコは、こうした「政治権力」性を否定するために、あくまでも自分は「ローマ教皇」であるとして、「全キリスト教のトップ」だという意味での「法王」という称号を拒否した。
彼は、トップになって権力を握りたかったのではなく、神の召命として「ローマ教皇」という仕事を与えられた、一人のキリスト者にすぎない。また、そんなものでありたいと願ったからこそ、本名ホルヘ・マリオ・ベルゴリオは、「清貧の聖者」と呼ばれた「アッシジのフランチェスコ」から、教皇名として、その名前をいただいたのである。「アッシジのフランチェスコ」のように、驕らず、ただ神の召命にしたがって、弱き者、小さき者のために、その生涯を捧げると誓ったのだ。

ちなみに、ローマ教皇で「フランチェスコ=フランシスコ」を名乗ったのは彼が初めてだったため、単なる「フランシスコ」だが、彼ののちに「フランシスコ」を名乗る教皇が出てきたなら、その人は「フランシスコ2世」ということになり、現在のフランシスコは「フランシスコ1世」となる。

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本作では、フランシスコがローマ教皇に就任した2013年以来、昨年2022年までの、世界各地への旅を描いている。

彼が訪れたのは、2013年のイタリア・ランべドゥーサを始めとした、弱き者、小さな者が虐げられている場所であり、ランべドゥーサへ赴いたのも、多くの難民を乗せたチェニジアからの粗末な難民船が、ランべドゥーサ沖で転覆して、41名もの人が亡くなったという悲劇的な事件があったからだ。
この頃の西欧は、押し寄せる難民や移民たちによって「仕事が奪われている」と考える、反移民的な世論の盛り上がりがあり、政治右派はこれを利用したポピュリズムによって、政権奪取を狙っていた時期であった。

ランべドゥーサを訪れたフランシスコは、鎮痛な面持ちで、信者を含む一般の人々の前で「私たちは、生きるために必死で海を越えようとした、この兄弟たちの悲劇にさえ、泣くことを忘れてしまっている」と、経済優先で、他者の苦しみへの同情を失った人々に対し、キリスト教の立場から、批判的と呼んで良いだろうメッセージを語った。

彼の旅は、おおむねこうしたものであり、「キリスト教トップ」であるローマ教皇の来訪を大歓迎し、その宗教的権威を利用しようとする政治権力者たちに対して、決しておもねるものではなかった。
もちろん、ケンカをしに行くわけではないけれども、徹底的な平和主義を語ることによって、暴力的な政治権力を批判することを彼は辞さなかったし、ニュース報道では見ることのできない、「気まずい沈黙」もこの映画では紹介されている。彼を利用しようとした権力者たちは、ある意味で、フランシスコに恥をかかされたとでも感じたのであろう。だが、フランシスコは、高齢の身を押し、そんな「苦痛」に堪えて、神の召命にしたがい、その使命を果たし続けているのである。

ヨーロッパ、中東、アフリカ、アメリカ、そして日本・・・。
2013年から9年間で37回、53か国をローマ教皇と共に旅をする。


ローマ教皇の旅―2013年のイタリア、ランペドゥーサ島から始まり、2022年の新型コロナウイルスのパンデミック下のマルタの訪問までが本作で描かれる。難民問題、紛争に苦しむ中東やアフリカ、アメリカでは平和について語り、世界で唯一の被爆国である日本では黙とうを捧げる。森林火災、台風など自然災害を受けた土地を訪れ環境問題を語り、イスラム教や正教会の指導者と会見し融和を訴える。カトリック教会で起きた性的虐待については謝罪する・・・。

「旅とは知的で精神的な修行だ」と語る教皇は、世界各国へ足を運び、笑顔で手を振るだけでなく、市井の人々と触れ合い、握手をし、直接話を聞く。そして、夢見ることの大切さを伝える。垣間見える明るく飾らない人間性。様々な世界の問題に耳を傾け、言葉を投げかける教皇フランシスコ。本作を通して私たちは彼と共に旅をする。この教皇の旅は、現在の社会情勢を映し出し、私たちの心をゆさぶる。』

『旅するローマ教皇』公式ホームページ・「イントロダクション」より)

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本作を撮った、ジャンフランコ・ロージ監督は、すでに多くの実績を残し、高い評価を得ているドキュメンタリー映画作家である。

『2013年には『ローマ環状線、めぐりゆく人生たち』が第70回ヴェネツィア国際映画祭のコンペティション部門で上映され、ドキュメンタリー映画として初の金獅子賞を受賞した。』

Wikipedia「ジャンフランコ・ロージ」

彼もまた、周縁へと追いやられた人々を撮り続けている映画作家であり、そうしたことから、フランシスコに声をかけられることとなった。映画にはなっていない、彼の「現場映像」を見たいというのが、そのきっかけであった。
だが、ロージは、自分が「信仰を持たない」人間だと明言しており、この映画も、そんな立場から撮られている。

(ジャンフランコ・ロージ監督)

撮られているとは言っても、この映画は、これまでに撮られてきたフランシスコに関する記録映像を中心に、ロージが自身の映像も織り交ぜつつ「編集」されたもので、映画監督としてのロージの「映像美」が観られるというわけではない。
彼の映像が、重要な部分に組み込まれているとは言っても、それはあくまでもごく限定されものであり、全体としては他者の手になる「記録映像」で、彼の映像作家としての思いと手腕は、その「編集」に賭けられていると考えるべきだろう。

そんなわけで、本作におけるフランシスコは、カトリック信者がイメージする「明るく庶民的で力強い、パパ・フランシスコ」像とは、ちょっと違う。
たしかに、その面が中心となるのは事実だが、しかし、全体の印象としては、フランシスコの「悲しみ」が、強く心に残る作品となっている。

フランシスコはこの映画の中での説教で、人々に対し「夢見る力を持ちなさい」と何度も訴えている。
たしかに現実は困難の連続であり、明るい希望は見出しにくい。ランべドゥーサ沖の難民船転覆がそうであったように、弱き者、小さき者が、わかりやすく「神の奇蹟」によって救われたりするわけではない。
むしろ現実には、そうした人たちは、過酷な現実の前に、この世界からうち捨てられていくことの方が多い。それが現実であり、それが現実であることを、誰よりも感じ、打ちひしがれているのは、ほかならぬフランシスコその人なのではないだろうか。

しかし、「神のしもべ」である彼は、決して「絶望すること」を許されてはいない。どんなに悲惨な現実があろうと、彼は、まさにその地に立って「夢見る力を失ってはいけない」「希望を見失ってはいけない」と、人々を励まし続ける。
それは時に「何を非現実的な綺麗事をぬかすのか」という反発さえ招く言葉であろう。しかし、くり返すが、「神」を信じるフランシスコにとっては、どんなに悲惨な現実があろうと、決して絶望はできない。絶望するとは、信仰を捨てるのと同じことだからである。
だから彼は、どんなに悲惨な現実があろうと、そこには「神の計りがたく深い意志」が存在するのだと信じる。そう信ずることこそが、「信仰」なのである。

だが、彼とて「一人の人間」であるからには、圧倒的に「悲惨な現実」の前には「エリ・エリ・レマ・サバクタニ(わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか)」と思わずにはいられないこともあるだろう。正確には「わが神、わが神、なぜ彼らをお見捨てになったのですか、お救いにならなかったのか」と。

だがそれは、信仰者にとっては、「迷い」でしかない。「悪魔の誘惑」でしかない。
真の信仰者は、どんなに「悲惨な現実」があろうとも、しかし、その彼方に「測りがたい神の意志」つまり「最終的な救済の意志=神の国の到来」のあることを疑ってはならない。

この映画のラストでは、椅子に深く腰かけて、何かを沈思しているフランスシコの横顔がアップで映される。
そののち、側近が彼に声をかけると、フランシスコは、やっとのことで椅子から立ち上がり、片脚を引きずり、壁に手をつきながら、ヨロヨロとその部屋を出ていく。そして、暗闇の中で独り、神に祈りを捧げているシーンの俯瞰映像で、この映画は終わる。

多分、この最後シーンは、フランシスコ個人の「懺悔の祈り」を撮したものなのであろう。
そして、そこでの彼の祈りとは「一瞬とはいえ、あなたを疑った私の弱さと迷いを許したまえ。そして、この身を人々のために捧げさせたまえ。最期の時まで、彼らの苦しみや悲しみを受け止め得る者であらしめたまえ」といったことだったのではないだろうか。

私は、この懺悔の祈りへと向かう、フランシスコの老いた弱々しい姿に、ゴルゴダの丘の刑場へと、自らの十字架を背負って、よろめきながら歩む、イエス・キリストの姿を重ねずにはいられなかった。

(十字架の道行き)

イエスは、みずからの「重き十字架」を背負って、ゴルゴダへの道を歩み、その結果、その十字架に磔(はりつけ)となって死ぬことになる。イエスは、磔の十字架の上で、「エリ・エリ・レマ・サバクタニ(わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか)」(「マタイによる福音書」)と悲痛な叫びをあげたとも言われているし、その一方、別の「福音書」では、「父よ、わたしの霊をみ手にゆだねます」と潔く言って、息を引きとった(「ルカによる福音書」)とも書かれている。

私たち「非クリスチャン」あるいは「無神論者」の常識で言えば、最後まで彼を救いには来なかった「神」に対し、イエスは裏切られたと感じて、恨み言のひとつも口にすることの方が自然であり、その意味では「マタイ福音書」の記述の方が、よほどリアリティがある、と感じられる。
一方、「ルカ福音書」の記述は、いかにもイエスの信仰の深さと偉大さを示さんがための「綺麗事」であり、教会の都合による「創作」でしかない、という印象を受けるはずだ。

だが、事は、そんなに単純なものではないと、私は思う。
つまり、十字架の上のイエスは、この両方のことを考えていたと思うのだ。ちょうど、今のフランシスコのように…。

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私自身は「無神論者」だし、「宗教批判者」であり、呵責なき「キリスト教批判者」でもある。

しかし、私が「宗教」を批判する理由は、それが「現実逃避」だからにほかならない。
「過酷な現実」から目を逸らし、「自分には信仰があるから、自分だけは救われるだろう」という、虫のいい「幻想」に逃げ込むためのものだからこそ、私は「信仰」を批判する。

だが、「信仰」とは本来、そのようなものであってはならないはずなのだ。
例えば、シモーヌ・ヴェイユがそうであったように、どんなに「悲惨で過酷な現実」があろうとも、そこから逃避するのではなく、その彼方に「神の意志」のあることを信じ、決して希望を捨てることなく、「悲惨な現実」に立ち向かう「現実的な勇気」を与えてくれるものこそが、本当の意味での「信仰の力」なのではないのか。

(ヴェイユは、カトリックの信仰に強く惹かれながらも、生涯洗礼を受けなかった)

だから、カトリック教会やその信者たちが描きがちな、フランシスコの「明るく庶民的で力強い、パパ・フランシスコ」像ではなく、「過酷な現実」を前に、涙し、呻吟し、迷う「一人の弱い人間」としてのフランシスコに光を当てた本作は、真の意味で、人間フランシスコを描きえた作品だと言えるのではないかと、そう考えている。

これまでの、フランスシコを描いた映像作品が、彼の「人々に向けた顔」を描いていたのだとすれば、本作の場合は、日本語版のポスターが象徴するように、フランシスコの「背中」を描いた作品だと言えるだろう。
また、オリジナルポスターが示しているとおり、「孤独でか弱い」彼を写した写真は、「強いフランシスコ」ではなく、誰とも同じように「弱い人間」であるが故にこそ、しかし「強くあらんとする」フランシスコの素顔を描いているとは言えまいか。

本作の原題『in Viaggio』は、「旅路にて」という意味だそうだが、彼の旅路は、どこへと続いているのであろう。

私は、それを「ゴルゴダへの旅路」だと理解したのだが、これが穿ちすぎた解釈だとは思わない。
なぜなら、オリジナル版ポスターで描かれた「バチカンの庭を独り歩くフランシスコ」の向かった先は、イエスの磔刑像だったからだ。
フランスシコは、その磔刑像の前に跪いて、少し悲しそうな表情で祈りを捧げていた。

このとき彼が考えていたのは「今しばらく私に時間をください。きっと、あなたの御下に赴きますから、弱い私に、どうかお力をお授けください」というようなことだったのではないだろうか。

私が言いたい「信仰の力」とは、こういうものなのである。


(2023年10月15日)

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