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ドキュメンタリー映画とは何か? : 金稔万と 武田倫和、 それぞれの進む道

映画評:金稔万監督『キョンチャルアパート』『どんづる峯と柳本飛行場』
    武田倫和監督『ウトロ 家族の街』

先日、大阪・十三の「セブンシアター」で開催されている「東京ドキュメンタリー映画祭 in OSAKA」で、「大阪特別枠」として上映された、短編3本の総タイトル「知られざる「在日」の記録」を観てきた。
内訳は、金稔万監督の作品がキョンチャルアパート』『どんづる峯と柳本飛行場の2本、それに武田倫和監督の作品ウトロ 家族の街である。

私はこれまで、両監督の作品を観たことはなかったし、監督の名前も知らなかったが、かねてより関心のあった「在日」関係のドキュメンタリーということで、書物では得られない情報を得ようと、勉強のために観に行った。

なお、「東京ドキュメンタリー映画祭 in OSAKA」では、各作品1回きりの上映で、この日の上映後には、両監督による舞台挨拶のトークショーもあって、とても興味深い話を聞くことができた。本稿では、映画の内容よりもむしろ、そちらの話が中心になっている。

しかし、その前に、話の前提として、それぞれの作品について、ひととおりご紹介しておこう。

(1)金稔万監督『キョンチャルアパート』(2022年/11分)

『キョンチャルアパートのキョンチャルとは、大阪市生野区所在の 旧鶴橋警察署跡のことである。この警察署は 1913 年から 1934 年まで存続し、その後この建物が 福祉団体に払い下げられ、戦後は更に民間に売却されてアパートとなり、2011 年に解体撤去された。このアパートが昔、警察署だったということから、地元では「キョンチャル(警察のハングル読み)アパート」と俗称されていた。解体後、ここに警察時代の煉瓦塀が残存していることが確認された。『幻のフィルムでつづる 建国の 60 年』を製作した故高仁鳳さんが遺された映像を再編集して上映する。』

https://tdff-neoneo.com/osaka/lineup/lineup-3880/#movie01

このように紹介されると、私たち一般人は「テレビでも見かけるような、歴史的な建造物を紹介したドキュメンタリー映画なのだろう」と思うだろうが、本作は、そうした印象とは、かなり違ったものになっていた。

まず、一見したところ「ただの記録映像に、若干のスーパーとBGMがついたもの」でしかなく、いかにも「素人くさい作品」なのだ。
私が引っかかった部分を順に書いていくと、まず音声の録音状態が悪い。BGMの使い方が雑。映像は、素人が手持ちカメラでベタ撮りしたものを若干編集しているだけ、という「感じ」で、たった11分の作品だが、観終わって「これでいいの?」と、その「金と手間のかかっていない造り」に驚いてしまった。これでは「ドキュメンタリー映画」と言うよりは「記録映像に、BGMと最低限の説明文をスーパーインポーズしただけ」としか思えなかったのである。

(2)金稔万監督『どんづる峯と柳本飛行場』(2022年/34分)

(故藤原好雄さん)

『奈良県天理市では、1995年に誕生した歴史説明板が、歴史修正主義者の天理市長により2014年4月18日に突如取り払われ、さらにわたしたちが市民のカンパで建てた説明板を、法律違反も犯していないのに、「違反している、直ちに撤去を」(天理市農業委員会)と迫った。これら行為を公人 (市長、役人)が平然と犯しているところに、植民地支配未精算の闇の深さがある。今回上映する映像は2010年撮影の故藤原好雄さんのフィールドワークの様子と2018年8月に来られた遺族、金成嬉さんの証言を中心に編集した。』

https://tdff-neoneo.com/osaka/lineup/lineup-3880/#movie02

この映画では、まず「どんづる峯」と「柳本飛行場」の2カ所の遺構を紹介し、その後「柳本飛行場」の関係で「飛行場跡地」に設置された「歴史説明板」に関わるトラブルの顛末が語られている。つまり、上の紹介文は、字数制限のためか、最後の部分についてしか説明されていないのだ。
したがって、「どんづる峯」と「柳本飛行場」について、簡単に紹介しておこう。

「どんづる峯」とは、奈良県香芝市にある奇岩群・奇勝「屯鶴峯(どんづるぼう)」のこと。ここに『太平洋戦争中に造られた複雑な防空壕』があって、それは『本土決戦を目前にした陸軍が航空部隊・航空総軍の戦闘司令所として建設されたもの』で、本作では、その遺構を紹介しているのだが、問題は、この過酷な建設工事に、植民地であった朝鮮から強制連行されてきた、多く朝鮮人たちが動員され、命を落としたものも少なくなかったという、歴史的事実である。(『』内は、WIKIpedia「屯鶴峯」による)
一方柳本飛行場とは、奈良県天理市柳本に、同じく本土決戦を前にして建設が進められた帝国海軍の飛行場で、こちらも朝鮮からの強制連行された多くの朝鮮人が徴用されたが、飛行場の完成を見ることなく敗戦に至っている。

以上のような、「強制連行朝鮮人労働者」に関する歴史を遺すために、市民有志のカンパによって設置された「歴史説明板」に、歴史修正主義者(要は「ネット右翼」的な人たちだろう)が難癖をつけて、当時の(保守系)天理市長が、説明板を撤去してしまった、というような顛末が語られているのである。

この映画に関しては、上の紹介文に紹介されている、元県議会議員である故藤原好雄氏の、歴史を遺そうとする献身的な活動に感動をおぼえ、いちおう「ドキュメンタリー映画らしいドキュメンタリー映画」にはなっているとは思ったが、しかし、「カネ」がかかっていないという印象は、『キョンチャルアパート』と同じであった。
映画の造りとして、変にBGMが付けられていない点や証言映像などによる説明で、遺構の歴史的意味や価値がわかりやすかった点で、『キョンチャルアパート』より、技巧的には格段洗練されていたと言えるだろう。その一方、3つのエピソードが「強制連行朝鮮人労働者」問題で貫かれたものだというのはわかるものの、奈良に詳しくない者には、それぞれの位置関係や、具体的な関連といったことがわかりにくくもあり、決して満足できる作品とまでは言えなかった。

(3)武田倫和監督『ウトロ 家族の街』(2002年/58分)

『戦後57年、日本に故郷を築いた「在日」の物語京都府宇治市にある在日朝鮮人の街「ウトロ」。現在この町の住民達は立ち退きを迫られている。親子四代にわたってウトロに住む田中(徐)信雄(57)にとって、ここはかけがえのない故郷。映画は彼の一家を中心に、故郷に住み続けるために闘いながら、独自の文化を守って生きるウトロの人々の日常を描き、ここに住み続ける意味を問う。』

https://tdff-neoneo.com/osaka/lineup/lineup-3880/#movie03

この作品は「監督:武田倫和 / 総指揮:原一男」とあるように、今から20年前、まだ二十歳頃であった武田監督が、『ゆきゆきて、神軍』などのドキュメンタリー映画作品で知られる、原一男監督の主催する「CINEMA塾」で学んでいた際に、そのプログラムの一環として撮った映画で、言わば「習作」だ。
作品の内容は、上の「紹介文」どおりで、特に付け加えることはない。
3本のうちでは、一番まとまっており、「ドキュメンタリー映画らしいドキュメンタリー映画」になっている。

 ○ ○ ○

さて、ここまでの「映画の内容紹介」は、以下の「議論」のための、地ならしにすぎない。

本稿のタイトルが「ドキュメンタリー映画とは何か?」となっているのは、以下で論じられるのは、各作品の出来不出来の話ではなく、そもそも「ドキュメンタリー映画とは何か?」という、私がこれまで考えもしなければ、気にもしていなかったことについてであることを示している。
今回、これらの映画を観、二人の監督の話を聞いて、私が考えさせられたことについて、書いたものとなっているのである。

舞台挨拶につづくトークショーでは、金稔万監督、武田倫和監督の順で「自作紹介」がなされた。

金稔万監督によると『キョンチャルアパート』は、上の「紹介文」にもあるとおり『『幻のフィルムでつづる 建国の60年』を製作した故高仁鳳さんが遺』した、貴重な記録映像から、「キョンチャルアパート」に関する部分を切り出して再編集したもの、だそうだ。

金稔万監督は「もともと高仁鳳さんの撮ったものなので、音声も含めて、なるべくそのまま使うようにしました」とのことだったので、私が「いかにも素人くさい」と感じた「映像の編集」ぶりや「ズレたBGMの使い方」などは、たぶん、元のものを残そうとしたことから来たものではないかと、そんな事情が窺えた。

また、この再編集作品は、大学の研究者たちとの協働の一環として作られたものであり、いわゆる一般向けに作られた作品ではなかったから、その結果、「映像資料」的性格が強く、当たり前の「ドキュメンタリー映画」にはならなかったのではないだろうか。

『どんづる峯と柳本飛行場』の方は、『キョンチャルアパート』とは違い、金稔万監督が「強制連行朝鮮人労働者」問題関連の映像として撮り貯めていたフィルムをまとめたものなので、「ドキュメンタリー映画らしいドキュメンタリー映画」になっていたのではないかと窺えた。

一方、武田倫和監督よると、『ウトロ 家族の街』は、前記のとおり、原一男監督の主催する「CINEMA塾」で学んでいた武田青年が、そのプログラムの一環として撮った映画なのだが、面白かったのは、この映画の「裏話」である。

本来、教育プログラムとしてのこの映画制作は、「日本の家族」をテーマとする課題制作で、その意味では、朝鮮人家庭を扱ったこの作品は、最初から「反則」作品だった。
では、なぜ、わざわざ「反則」をしたのかというと、この映画の制作が始められたのは、長年「ウトロ地区」に住んでいた住民たちが、地権問題で敗訴し、すでに出されていた「立ち退き命令」の期限が迫っていた時期だったからである。

住民たちは、この「ウトロ地区」長年住んできた、その事実行為を持って「居住権」を主張したが、裁判では負けてしまい、立ち退きを命じられていた。しかし、彼らに立退くつもりはさらさら無く、徹底抗戦の構えを見せていた。
つまり、立ち退き期限まえから、町の様子を撮っておけば、立ち退き期限が過ぎた時に発生するであろう「強制執行に伴う、荒っぽいトラブル」を撮ることができるのではないかと、武田監督は皮算用して、この町を撮ることにしたのである。
たぶん、当時の武田監督の頭には、師匠である原一男監督の代表作『ゆきゆきて、神軍』の、インパクト絶大であった主人公「奥崎謙三による格闘シーン」があったのではないか。ああいう映画にできると思っていたのではないかというのが、私の推測である。

ところが、「立ち退き」の猶予期限が過ぎても、いっこうに「強制執行」はなされず、当初は緊張感もあったが、徐々に日常の生活へと回帰していったため、映画の方も「ウトロ地区」の日常を撮った作品へと、おのずとシフトしていった。
また、当初は「男たち中心の物語」になるはずだったのだが、長期間住み込んでの撮影の結果、町を支えているのは、むしろ女たちであることに気づいて、その内容も「女たちの物語」へとシフトしていくことになった。

だが、撮影期間にはおのずと限度があったため、いったんは課題作品として提出したものの、いずれ補足撮影をして「女たち中心の物語」として完成させようと武田監督は考えていたのだが、それも果たせないまま、現在に至ったのが、この作品である。一一というような説明であった。

そして、この後の話が、さらに興味深かった。

「みなさん、この映画を見て、引っかかった部分があるんではないですか? じつは、もともと撮ってあったのを、切っちゃったシーンが、2箇所あるんです。それで、原監督にとても厳しく叱られて、当時は相当落ち込みました。切ったのは、ウトロ地区の野球チームの部分と、子供さんの小学校入学式のシーンです。実は、あの野球チームの部分では、あの後、日本人チームとの試合で喧嘩になっており、当然それも撮ってはいたんです。また、入学式のシーンでは、式での「君が代」斉唱のところで、お父さんがむっつりと黙っている様子が映されていますが、あの後、彼が『俺らは朝鮮人なんだから、君が代なんか歌えるか!』みたいなことを言うんですが、それもカットしたんです。で、そのことについて、原監督から『それは間違った優しさだ。そこは是非とも残すべきだった』と言われ、そのとおりだと反省したので、付け加えようとしたら、原監督から『そんなことはしなくていい。だけど、今後この映画を上映した時には、観客に、切った部分の話をして、それを自分の戒めにすると良い』と言われ、こうしてお話ししているんです。よく話し忘れることがあるんですけどね(笑)」

つまり、ウトロ地域に住み込んでの撮影をし、地区の人に世話になった武田監督としては、地区の人たちが「だから、朝鮮人は柄が悪い」などと言われてしまうような部分は切ろうという、当たり前の配慮が働いたのではないか。
しかし、「不都合な部分を当たり前にカットして、小綺麗にまとめたドキュメンタリー映画」など、そもそも「ドキュメンタリー」の趣旨にも反しているし、何より「映画として、つまらない」のはわかりきっているから、若い武田監督の「当たり前の配慮」を、師匠である原監督は厳しく戒めたのではないだろうか。単に「刺激的なシーン」を残すということではなく、「遺されにくい事実を、だからこそ遺す」というのは、ドキュメンタリー映画の重要な使命だからである。

で、こうした説明の後に、恒例の「質問コーナー」に移ったのだが、私には、ひとつ、ぶつけてみたい質問があった。

最初に手を挙げた、最前列に座っていた男性は、自分もドキュメンタリー映画を作っているとか学んでいるとか自己紹介した人で、質問というよりは、各作品への感想であり、要は作者を前にした「半分お世辞の感想」であった。
私は「こんなマイナーな映画をやるんだから、この会場には、関係者も少なくないんだろうな」と、そのいささか「馴れ合い」めいた雰囲気に、鼻白んだりしていた(ちなみに、私はこの部分を、その質問者当人が読むことを想定して、あえて、このように正直な感想を書いている)。

そして、司会者が次の質問者を求めた際、こういう場所には珍しく、すぐには手が挙がらなかったので、私が挙手して質問した。その内容は、次のようなものである

「私が気になるのは、ドキュメンタリー映画作家というのは食っていけるのか、つまり職業として成立するものなのかということです。ただでさえ、ドキュメンタリー映画を観る人というのは少ないだろうし、ましてや、この映画館でもやっているロズニツァ監督の作品みたいに、世界的に売ることのできるような作品ならまだしも、いくら貴重な記録だとは言っても、地域限定的なテーマで、おのずと単館上映の多い、こうした地味なドキュメンタリー映画では、この先、どうなるのかと心配になるのですが、そのあたりはいかがお考えでしょうか?」

平たく言えば、これは「金目の話」であり、普通なら遠慮して、誰もしないような質問だったが、私には、今回の作品を理解する上で、必要な質問だと思われた。

特に、私が「金がかかっていない」ために「映画らしくない」「素人っぽい」と感じた金稔万監督の作品などは「自腹を切って作り、持ち出しの方が多いのではないか。その意味では、いくら貴重な記録映像の映画とは言え、ほとんどアマチュア作品に近いのではないか」と感じていたからである。

この質問に対しては、まず武田倫和監督が、おおすじ次のように答えた。

「それはもちろん、ドキュメンタリー映画にかぎらず、日本の映画界全体が興行的に大変なので、当然、ドキュメンタリー映画も、制作費を捻出するのは大変で、みんなそれぞれのやり方で、あれこれ苦労しながらやっていますし、私もそんな感じでなんとかやっています。後でお願いするつもりでしたが、ちょうどいいので、ここでお願いしておきますと、新作に関して、カンパをお願いすることなどもやっておりますので、どうか良ければご協力いただけると助かります。一一と、こんな優等生的な返事で良かったでしょうか?(笑) 次は、金稔万監督にお話してもらいましょう」

こんな感じに話し慣れている感じの武田倫和監督に対し、どちらかといえば訥弁で語る金稔万監督は、おおむね次のように語った。

「映画というのは、作るだけじゃなくて、宣伝とか公開とかで、いろんな人の協力がなくては観てもらえないものなんですが、私としては、できるかぎり、自分のできる範囲で、やれることをやろうと思っていて、その意味では、世間の目を惹くようなものをやりたいとか、派手に公開するとかいったことは、考えていません。あくまでも、自分が興味を持つテーマを追っていきたいと考えています」

この発言を受けて武田倫和監督は、おおよそ次のように補足した。

「ドキュメンタリー映画と言っても、それは、人それぞれに考え方も違えば、作り方も違っているから、お金も問題もいろいろだということですね。金監督は、貴重な記録を遺すという趣旨の作品を撮られていて、それはとても素晴らしいわけですが、私の場合は、それだけではなく、観て面白い映画、お客さんに楽しんで観てもらえる映画、エンタテイメント・ドキュメンタリー映画と呼んでいるんですが、そういう作品にしたいという気持ちがあって作っています。それは、映画として、正攻法だと思っています」

また、二人のコメントを受けて、トークショーの司会進行役をしていた、この人も「ドキュメンタリー映画を撮っている」という「東京ドキュメンタリー映画祭 in OSAKA」の運営スタッフの男性が、次のようにまとめた。

「実際のところ、ドキュメンタリー映画を撮って、それで食えている人の方が珍しいと思うんですが、でも、それでも撮りたいものがあるかぎり、手弁当でも、撮る人は撮るんでしょうから、その意味で、ドキュメンタリー映画が消えてなくなるということはないと思いますし、また、少しでもドキュメンタリー映画を盛り上げたいと思って、私たちもこうしたドキュメンタリー映画祭なんかを開いています。だから、皆さんも、まだまだ映画祭のプログラムは続きますから、たくさん観てほしいと思います」

※ 以上の関係者の言葉は、もっぱら私の「記憶に基づく再現」である。明らかな誤認いついては訂正もあり得るので、両監督が本稿を読まれて、訂正が必要な誤認だと感じられた部分があれば、事後的に削除可能なコメント欄などに、是非ご連絡いただければと思う)

 ○ ○ ○

こうした回答をもらい、私は、それまで考えたことがなかった、「ドキュメンタリー映画」について考えた。そもそも「ドキュメンタリー映画とは、何なのか?」と。

私は、これまでも、こうしたレビューを書く際に、「ドキュメンタリー」と「ノンフィクション」の違いがよくわからず、多少の引っ掛かりを覚えながらも、なんとなく、活字作品の多くは「ノンフィクション」と肩書きされ、映像作品の多くは「ドキュメンタリー」と呼ばれているようだからと、そうした慣習に準ずるかたちで、「ノンフィクション映画」とは書かずに「ドキュメンタリー映画」と書いてきた。

しかし、今回ひっかかったのは、そこではなく、これまで意識しなかった、「記録映画」と「ドキュメンタリー映画」の違いだった。
たしかにこれも、言葉は違うけれど、実質的には、ほとんど同じようなものとして扱われているはずなのだが、しかし、この両者の違いを、今回は考えさせられたのだ。

要は、金稔万監督の作品は、「ドキュメンタリー映画」と言うよりも、「記録映画」という印象が、きわめて強かった。なぜかというと、それは「記録」性が強い、と言うよりは、私の持っている「映画作品」のイメージが薄く、そのために「記録映像作品」という印象の方が強く感じられたからだ。

そして、これを言い換えるならば、私が「ドキュメンタリー映画」に持っていたイメージというのは、「記録映像作品」に「映画」性が加わったものであり、その意味では、武田監督の言う「エンタテイメント・ドキュメンタリー映画」に近いと思うのだ。
「映画」とは、単なる「記録映像」ではなく、「観せるための作品」という性格を持ってこそ、「映画」になるという「感じ」が、私にはあったのである。

しかし、こうした「映画とは、観せる作品である」というのは、はたして自明なことなのだろうか。

(横尾忠則風の「東京ドキュメンタリー映画祭2020」のポスター)

たしかに、撮影するのは、その対象を「映像記録」として遺したいからであり、遺すのは、誰かに観てもらうためではあろう。そして、観てもらうからには、できるかぎり多くの人に、興味を持って観て欲しいし、そのためには、ある程度「楽しんで観てもらえる」作品に仕上げるのが「望ましい」ということにもなろう。

しかし、この場合、「楽しんで観てもらえる作品にする」というのは「目的」ではなく、あくまでも「貴重な記録を観てもらうためのテクニック」であり、また、それでしかない。
そんな「余計な苦労と手間」をかけなくても、観客の方に、十二分な「知的興味」という積極性があれば、極端な話、ベタ撮りした「記録映像」をそのまま流してもいいわけだし、その方が余計な手間も、お金もかからなくて助かるのだ。一一で、いわば、こうしたスタンスが、金稔万監督のそれに、近いものなのではないか。

一方、「劇映画」よりも「ドキュメンタリー映画」が撮りたいという人であっても、まずは「映画好き」であるという大前提があっての「ドキュメンタリー映画」作りであるなら、「記録を見てもらうための工夫」というだけではなく、純粋に「映画らしい映画になっている」ことが重要だと感じるのではないだろうか。言い換えれば、「まず面白い映画を作りたい」ということであり、言うなれば、武田倫和監督の路線である。

両者の方向性を譬えて言うなら、写術イラストを描くのが好きだけれど、単なる一枚絵ではなかなか見てもらえないので、「ストーリー」を付けて「ストーリーマンガ」に仕立てるというのと、もともと「ストーリーマンガ」が描きたくてマンガを描き始めたのだが、その内容は、いかにも作り物めいたフィクションではなく、写術的なものが好みだという作家の描く「ストーリーマンガ」との違いである。

たしかに結果としては、どちらも「写実的なストーリーマンガ」になるわけだが、もともとの「動機」や「目的」は、完全に違っているのだから、出来上がる作品の性格も違ってこよう。
前者が「絵」中心だとすれば、後者は「物語」中心だと言い換えても良い。その「指向」は、まったく違っているのであるが、これは、一一「ドキュメンタリー映画」についても、まったく同様の話なのである。

つまり「ドキュメンタリー映画」とひとくちに言っても、このように、何を重視するのかによって、その造りに違いが生じてくる。
まず「記録映像」としての「記録性」を重視するのか、そうではなく、まず「映画」であることを大前提として、その上で「現実の記録」である作品を作るのか、の違い。

私自身がそうだが、一般に多くの人は、「映画」と言えば、「フィクション」をその内容とした「劇映画」を想起する。ある内容に従って、役者が演ずるなり何なりした「作り事(虚構)の物語=フィクション・ストーリー」作品を想起するだろう。その上で、「映画」ジャンルの中には、「現実の事象」を写した「ドキュメンタリー映画」も(例外的な存在として)あると、そう考えがちだ。
(こう考えれば、「ノンフィクション映画」とは、「ドキュメンタリー映画」とは違って、「現実を再現した劇映画」であってもかまわない、ということになるのではないだろうか?)

つまり、「ドキュメンタリー映画」というのは、「映画」の中では「少数派の変わり種」という印象が、多くの人にはあり、一般に「映画」というと、どうしても「娯楽の提供を目的とした劇映画(娯楽映画)」あるいは「娯楽性を持たせた上で、あるテーマを訴えることに重きをおいた劇映画(社会派映画あるいは芸術映画)」といった、いずれにしろ「娯楽性を持たせた映画」が「映画」だというイメージを持ってしまっている。

ところが、金稔万監督の作品のように、「娯楽性を持たせる」ことを自明だとは考えない、「記録映画」志向の作品も、当然のことながら「ドキュメンタリー映画」には存在する。

しかし、現実問題としては、観る者に配慮しない「純粋な記録映像」ということでは、娯楽にあふれた現代社会においては、「関係者」か「研究者」が「資料」的なものとして見てくれることくらいしか期待できないし、それでは「記録映画」としての「社会的意義」が十分には果たせないから、止むを得ず「苦痛なく見てもらうための、一定の配慮」をせざるを得ず、その際に使うのが、娯楽映画でも使われる手法である、「編集」であり「説明文のスーパーインポーズやナレーション」であり「BGM」といったことになるのではないだろうか。

そして、そのような「見てもらうための加工」を施した結果、その「記録映画」は「一定の娯楽性」を持つことになるから、私たち「一般人」の目に触れる「ドキュメンタリー映画」の多くは、テレビ番組であれ、劇場映画であれ、結果として、いずれも「一定の娯楽性」を持ったものばかりとなり、私たちの多くはそういう作品しか知らないために、金稔万監督の作品のような「純粋な記録映画」を見せられると、そこに「お客様へのサービス精神」が無いことを感じて、まるで「家庭ムービー」のごとき「素人くさい映画」だという印象を受けてしまうのではないだろうか。

つまり、私が言いたいのは、こうだ。
私は、金稔万監督の作品に対し、「素人くさい映画」だと極めて否定的な「印象」を持ったのだけれど、しかし「ドキュメンタリー映画」を「記録映画」だと考えるならば、金稔万監督の作品は、むしろ、その「原理」に忠実に作ることで「余計な時間と手間とカネ」をかけることなく作られた映画だと言えるのではないか、ということである。

無論、「ドキュメンタリー映画」を撮る監督の多くが、まずは「映画好き」であって、「学者・研究者」的ではないはずだから、「ドキュメンタリー映画」であろうと、まずは「映画」であること、「映画としての完成度」を目指すこと、言い換えれば「一定の娯楽性を持って、観客を楽しませる作品であること」を「自明の前提」とする、そんな「映画」観を持つはずで、私とてそうした立場を否定するものではない。

しかし、言い換えれば、「ドキュメンタリー映画」が、そうした「観客に楽しんで見てもらうことを、自明の前提として、一定の娯楽性の与えられた作品」で「なければならない」ということでもない、ということである。
つまり、金稔万監督の作品のような「娯楽性」を求めない作品も、「ドキュメンタリー映画」の「原理」からすれば、軽んじられてはならない、ということなのだ。

そうでなくても、新自由主義的な「資本主義的リアリズム」に毒された私たちの社会では、「なんだかんだ言っても、観てもらってナンボでしょ」というような「安易な娯楽主義」に、どうしたって流れがちである。

年末に報じられる「今年の映画」に関するネットニュースなどを視ると、そこで語られるのはたいがい「興行収益100億円超えの作品」が何本であったから「良かった」とか、「この作品の観客動員数」はいくらだったとかいった「数字の話」ばかりで、肝心の「優れた作品」についての(質の)話題がほとんど見当たらず、あたかも「ヒットした作品が傑作」であるかのようであり、また、そんなヒット作品を、さらに「寄ってたかって持ち上げる」記事ばかりが目につく。
また、一般人もその「プロパガンダ」に「踊らされる」結果、一部のヒット作と「それ以外の作品」の経済格差が、ますます広がるばかりなのではないだろうか。

無論、武田倫和監督も「ドキュメンタリー映画にかぎらず、日本の映画界全体が興行的に大変」というような趣旨の言葉も口にしていたから、「劇映画」であろうと「ドキュメンタリー映画」であろうと、まずは「お客さんに観てもらえる作品」にしなければならないというのも、わからない話ではない。

だからと言って、「ドキュメンタリー映画」が「娯楽性」に走って「ウケてナンボ」になってしまっては本末転倒なのだが、しかし、私たちを取り巻く新自由主義的資本主義社会の現状においては、そうした「誘惑」を避けることは、極めて困難だとも言わざるを得ないのである。

つまり、武田倫和監督の言う「楽しんで観てもらえるドキュメンタリー映画」というのは、原則として正しい。
そうした方向を目指さないことには、「ドキュメンタリー映画」は、貪欲資本主義社会の中では「淘汰」されてしまって、言うなれば「マニア向けの非商業映画」になるか「研究資料的な記録映画」になるかしかないという怖れだって、十分にあるのだ。

しかしながら、人間は弱いもので、どうしても「ウケに走り、賞賛を欲する」ものだからこそ、逆に「娯楽性」を求めない、金稔万監督のような「ストイック(禁欲的)」なスタンスに、私は共感してしまうのである。
世間の流れに抗して、「記録を遺そう」と、それだけに専心して「ウケには走らない」、そちらに「労力をかけない」、「できる範囲のことを粛々とやる」という、一見したところの「華やかさ」に欠けるスタンスに、私は、ある種の感動を覚えるのだ。その「記録映画」原理主義的な「純粋さ」に、感動するのである。

無論、繰り返して言うが、私は武田倫和監督の「楽しんで観てもらえるドキュメンタリー映画」路線というのを、否定しているわけでも、ましてや批判しているのでもない。
武田監督が言っていたように、それがある種の「正攻法」だというのは間違いないし、原一男監督の教えを守って、自らの過去の失敗を語り続けることで、自戒することを忘れない武田監督ならば、決して「資本主義リアリズム」の誘惑に流されることはないと信じている。
それに、武田監督の「楽しんで観てもらえるドキュメンタリー映画」というのは、何より「原一男流のドキュメンタリー映画」を、その「難点」をも重々自覚した上で、継承したものなのではないかと思うのだ。

だから、武田倫和監督が言ったように、同じ「ドキュメンタリー映画」と呼ばれるものを作っていても、その「方向性」や「方法論」には幅があって、いちがいに「どれが正しい」と決めつけることはできないと思う。

したがって、「ドキュメンタリー映画」作家たちが、自らの信ずる「ドキュメンタリー映画の理想」に従って、それぞれのやり方で、それぞれの「ドキュメンタリー映画」を作ってくれれば、「ドキュメンタリー映画」を観る私たちは、それぞれの作品の目指すところを適切に読み取って、その価値を適切に評価すべきであろう。

今回の、3本の映画の鑑賞と、そのあとの両監督によるトークショーを通して私が学んだことは、これまで考えたこともなかった、「ドキュメンタリー映画づくりの、理想と困難(現実)」の問題であった。

これまでの私は「ドキュメンタリー映画」であろうと、それが「映画」であるかぎりは「観客のための映画」であることを、無意識に「自明化」していたように思う。

しかし、今後は、少なくとも私個人は、そうした「思い込み」を排して、「ドキュメンタリー映画」とは、必ずしも「観客を喜ばせるためのもの」なのではなく、「遺し、伝えなければならないこと」があるからこそ作られている「映画」であると心して、「ドキュメンタリー映画」を鑑賞したいと思う。

自身、「お客様」の立場に立っての「接待」を自明視し、それを期待するのではなく、「伝えたいものを伝えようとする人の作った作品」との、真剣勝負として、私は「ドキュメンタリー映画」に向き合っていこうと、そんなふうに考えるようになったのである。



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【補記】映画『AKAI』のレビューにおける、武田倫和監督への批判について

私は、本稿以前に公開した、映画『AKAI』についてのレビュー「映画『AKAI』:赤井英和と赤井英五郎」において、同作を、上映後のトークショーで褒めた武田倫和監督について、

『この夜の主役は、若い赤井英五郎監督なのだから、お世辞(ヨイショ)を言わなければならないというのもわからないではないのだけれど、仮にも、クリエイターたるものが、この映画の、映画としての出来を褒めるのは、どうかと思う。映画監督という職業は、本当に、そんなにお手軽なものなのか、ということだ。』

と批判した。

しかし、今回の「知られざる「在日」の記録」の3本を見れば、『AKAI』への評価は、必ずしも『お世辞(ヨイショ)』ではなかったのかもしれない、とも思い直した。

だが、ここで考えていただきたいのは、「ドキュメンタリー映画業界の内情」など知らず、ドキュメンタリー映画の「傑作」を中心に鑑賞している、私のような一般の「ドキュメンタリー映画好き」の目は、ドキュメンタリー映画作家よりもむしろ、「肥えている」という事実である。

だから、私は、私の前述のような、武田監督への批判の言葉を撤回するのではなく、このような説明を加えた上で、むしろ武田監督をはじめとした、ドキュメンタリー映画作家の方々に、「観客は、観るだけの立場だからこそ、その目は肥えており、おのずと、その評価も、本来的には「厳しい」ものなのだと思って、今後は、心して作品評価を語っていただきたい」と、そう言っておきたい。

作品を評する場合、その人は、何様であろうと「評価者」でしかなく、自分が映画作家だから「人並みよりヌルい評価を語る資格がある」などということにはならない。そう認識していただきたいということだ。

「身内ぼめ」が、当たり前のように飛び交う昨今だからこそ、「評価者」は、しっかりとした見識を持って、それに忠実に「評価」を語ってほしい。また、それができないのであれば、無責任な「評価」など語らずに、ただ映画作りに専念すべきだと言いたいのである。

「映画作家」がプロフェッショナルであるべきなのと同様、「批評家」もまた、自身の発言責任を引き受けるプロフェッショナルであるべきだと、私はそう考えるのである。

(2023年3月6日)

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