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青木理『時代の抵抗者たち』 : 誇りと意地と美意識と

書評:青木理『時代の抵抗者たち』(河出書房新社)

なかにし礼、前川喜平、古賀誠、中村文則、田中均、梁石日、岡留安則、平野啓一郎との対談集、と言うよりも、むしろインタビュー集と言った方が正しいだろう。つまり、青木は、自分が語るよりも、彼らの言葉と想いを引き出すことに注力している。
その点で、青木ファンとしてはやや物足りない部分が残るものの、しかし、青木の姿勢が意味するのは、彼が今も「学ぶ人」だということではないだろうか。

自分の意見らしきものを語るだけなら、どんなに「中味の無い人」にも、それは可能だ。
あえて言うが、思想の左右にかかわりなく、有名な論者の意見を「そうだ、そうだ!」と言っているうちに、自分がその論者なみになったと勘違いしている人は少なくない。
そして、そういう人は、人の話を聞かない。議論をしない。ただ「私はこんなことを考えている。どこからも文句はつけられまい」と、一方的に訴える。しかし、そこで語られている言葉は、実際のところ「他人の言葉の引き写し」でしかない。
だから、自分が現に動かなければならない場面、たとえば、家庭や職場においては、その「借り物の正論」は、まったく機能しないのだ。

たとえば、安倍晋三や麻生太郎を見ると良い。彼らはじつにペラペラとよく喋るが、その言葉には、何の重みもなければ、知性の欠片も感じられない。

古賀誠が、大平正芳の想い出を、次のように紹介している。

『 僕は大平正芳先生。(元首相、1980年死去)が亡くなった時の選挙で初当選して、たまたま田中六助先生(官房長官、通産相などを歴任、1985年死去)のかばん持ちをしていましたから、大平内閣の閣議などは見ることができたんですが、それはもう侃侃諤諤、それぞれの大臣が思いの丈を語っていたものです。大平さんはそういった意見を全部聞き取って、「それで結構です」「みなさんの考えをどんどん実行してください」「責任は私がとります」というまとめ方をされていました。』(P69)

「文人宰相」と呼ばれた人の風格が目に浮かぶようである。だが、それと同時に、今の総理との違いに愕然とさせられ、暗澹たる思いにとらわれざるを得ない。

大平が完璧な政治家だったとか人間だったなどとは露ほども思わないが、しかし今の総理や大臣が、あまりにお粗末すぎるので、大平たちの想い出が、絵のように美しいものと感じられるのだろう。私たちの日本の政治は、いつの間に、ここまで卑しく劣化してしまったのか。

しかし、これは私たち「国民」のせいであり、責任でもあることを、決して忘れてはならない。
あんな「子供総理」を育て上げたのは、間違いなく私たち国民なのである。

中村文則は、そんな日本国民の「自画像」を、見事に描いてみせている。

『(※ 例えば、本土の人間は、自身が、沖縄に米軍基地を押しつけている、加害者側だという事実を直視したくない。)だから考えない。国に問題があるかもしれないけれど、これは仕方ないことだから、考えないことにしてしまう。そんな社会問題を考えるくらいなら、自分の子どもの写真でもフェイスブックにアップしたりしている方がいいんです。楽だし、楽しいだろうし。しかもテレビ番組なども内向きなメッセージを強めるので、誰もがどんどん内向きになってきています。
『R帝国』の中で、人々が欲しいのは真実よりも半径5メートルの幸福なんだ、と書いたんですが、そういうことだろうと思います。欲しいのは半径5メートルの幸福であって、真実などはむしろ聞きたくない。社会にこんな問題があるというのも聞きたくない。私は自分の目の前の愛する者たちのためだけに生きる、というような人が増えているんじゃないでしょうか。
 もちろん、それは別に悪いことではありません。意識の配分の問題だと思います。自分の半径5メートルは幸せにしつつ、同時に半径5メートルの幸せを破壊するものが何かと言えば、代表的なものがあの戦争だった。しかもその流れは、ある一線を越えると止めることができないので、まだ芽のうちにきちんと言っておかないとマズいんじゃないかと、僕なんかは思うんですけどね。』(P102〜103)

『(※ 世界に共通する問題が起こっていながら、例外的に日本人だけは変わろうとせず、古くさい権威にすがりつこうとするのは、結局、自分に)自信がないんでしょうね。また、変わるのが怖い。いまが良くないから変わりたいというのと、いまは良くないけれど、もっと悪くなるのが嫌だから変わりたくないというのがあって、現在の日本は後者なんでしょう。
 だいたい政治家なんていうのはもともと悪いことをするんだから、別に仕方ない。いろいろなことを考えて問題を追求するのはストレスだから、もう考えたくもない。大丈夫、大丈夫、抱っこしましょうね、よちよち、あっ、二本足で立った〜! という方向になっているんでしょうね。いや、お子さんの成長は素晴らしいことですよ(笑)。でも何というか、さすがに内向きすぎるというか。なのに虐待が増えているというのもまた闇が深い。』(P110)

『おそらく日本人はプライドがものすごく高いので、自分が虐げられていると思いたくないんですね。つまり、自分たちは低階層じゃないと思いたい。たとえ食えていると言っても、楽しくは食えていない状況であっても楽しいんだと、プライドが高いからそう言うんです。
 階級の対立って、自分たちが虐げられているという自覚がないと起こらない。プライドが高くて、虐げられていると思いたくなくて、逆に自分たちより下の存在を見つけて、あいつらよりはマシだと考える。これから外国人労働者の受け入れを拡大すれば、格好の的になるんじゃないですか。自分たちよりも下と思える存在を見つけ、精神のバランスを取る。こういうと本当に最悪な国だけど、でもそれが実態だと思います。
 いつの間にこうなっちゃったのかなとも考えるのですが、現実に多くの人は、自分を恵まれていないとは思っていないでしょう。むしろ恵まれた側にいると思いつづけたい。いまは給料が低いけど、アベノミクスの成果だかなんだか知らないけれど、いつか上がっていくと思っている。
 年金がもらえないかもしれないっていうのも、本来は「そんなバカな!」と怒るべきなのに、怒るのがちょっと格好悪い気がするから、自分の責任でやるしかないと考える。そんなのは自己責任だしねという自分、そんなふうに言えるオレって自立しててカッコいい、という……。
 で、実際に老人になったとき、本当にお金がなかったらどうするのかということは考えたくない。まさに正常性バイアスです。原発だって大丈夫だと思いたいし、考えるのが嫌なので、地震もないし爆発もしない。そう考える方が楽だから見ない。そういうことでしょう。』(P111〜112)

私たちが変わらなければ、政治は変わらない。
プレイヤーとしての政治家の顔ぶれが変わっても、その悪しきルールは残りつづけるだろう。

だから私たちは、本書に登場した「抵抗者たち」の言葉に黙って耳を傾け、「自分がこの人の立場なら、何をするだろう。何ができただろうか」と問う必要がある。
ただ彼らを祭り上げ、抵抗の最前線へと送り出して、みすみす見殺しにするような大衆であってはならないのだ。

「美しい国」を育てる「美しい政治家」を生むのは「美しい国民」であり、それは私であり貴方なのである。

初出:2020年6月5日「Amazonレビュー」
  (2021年10月15日、管理者により削除)

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