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藤永茂『ロバート・オッペンハイマー 愚者としての科学者』 : 「原爆の父」という、贖罪の〈荊冠〉 (付・「マルコポーロ事件」西岡昌紀の現在)

書評:藤永茂『ロバート・オッペンハイマー 愚者としての科学者』(ちくま学芸文庫)

「原爆の父」として知られる、ロバート・オッペンハイマーの評伝一一と言うよりは、「再評価的な人物論」と呼んだ方が正確だろう。

オッペンハイマーは、優れた物理学者として、アメリカの原爆開発「マンハッタン計画」のリーダーとなった人物である。そのために戦後は「原爆の父」という「汚名」を着せられることになったのだが、自身物理学者である本書著者が問題にしたのは、オッペンハイマーを「狂気の科学者」としての「悪人(悪党)」、そして、オッペンハイマーを批判した物理学者レオ・シラードを「良心的な科学者」に擬する、紋切り型の「善悪二元論」で描く「評伝」が、戦後横行してきたことである。
しかし、現実はそんなに単純な話ではなかったし、オッペンハイマーもシラードも、そんなに単純で一面的な人物ではなかったと、オッペンハイマーと原爆開発をめぐる多くの資料に当たり、「語られてこなかった事実」を紹介することで、これまでの紋切り型を翻して、オッペンハイマーの再評価をしようとしたのが本書なのである。

なぜ、多くの優れた科学者たちは、アメリカの原爆開発に協力したのだろうか。
それは、第二次世界大戦前夜の物理学が「核分裂による膨大なエネルギーの放出」という理論を確立しており、これを技術的に転用すれば、これまでとは桁違いの爆弾を製造することができるというのが、大戦中には各国の軍関係者にもすでに知られていたからである。

周知のとおり、アルベルト・アインシュタインは、ユダヤ系のドイツ人だ。そして彼は、ナチスドイツの迫害を逃れてアメリカに移住した人物である。
こうしたアインシュタインの例からもわかるように、当時のドイツを含むヨーロッパには、優れた物理学者が大勢いて、その中にはユダヤ系の人も少なくなかった。そんな彼らの多くは、ナチスの台頭によるユダヤ人迫害を逃れて、からくも自由の地アメリカに亡命したのだが、ドイツに敵対する連合国の政治家や軍人ととも彼らが恐れたのは、ナチスが原爆を開発することだった。

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当然のことながら、ドイツや日本を含む各国では、すでに原爆の開発が進められていたので、ナチスの恐ろしさを知悉する亡命科学者たちの多くは、「ナチスよりも先に連合国側が原爆を開発して、それを抑止力として戦争を終わらせる必要がある」と考え、アメリカの原爆開発に協力したのである。

要は、オッペンハイマーを含む物理学者たちがアメリカで原爆を開発しなくても、早晩どこかの国が原爆を開発して、終戦の、そして戦後の主導権を握るだろうというのは、ほぼ間違いのない情勢にあった。
だからこそ、彼らは連合国であるアメリカに協力したわけだが、はたしてこれを責めることができるのか、という問題が、私たちには課せられることになる。

たしかに「原爆」は「悪魔の兵器」であると、世界のどの国の国民よりも、私たち日本人はよく知っている。だから「理由はどうあれ」原爆を開発し、多くの人々を死に至らしめた原爆の開発関係者は、その責めを負うべきである、という「原則論」には説得力を感じる。
だが、はたして私たちが「当時の彼らの立場だったら」どうしたであろうか? むざむざ、ヒトラーの手に原爆を委ねただろうか? 委ねたとしたら、その結果はどうなっていたであろうか? また、その結果として悲惨な悲劇が起こっていたとしたら、私たちはその悲劇に対する「無作為の責め」を負わなくても良いのだろうか?

こう考えていけば、「マンハッタン計画」に参加した科学者たちを、いちがいに「悪魔」呼ばわりすることが妥当ではないというのは理解できよう。

無論、彼らは基本的に、「原爆」を人間に対して使用することを想定していなかった。その威力を見せれば、相手は降伏するだろうと考えていた。つまり「抑止力」になると考えて、原爆開発に協力したのだ。

だが、この考え方は、甘かった。
アメリカは、「原爆」の威力を見せつけて終戦を早め、戦後の主導権を握るために、広島と長崎の人たちを犠牲にしたのである。

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これが現実である以上、「原爆は、開発しても使用されない」と考えて、原爆開発への協力を正当化していた科学者たちの見込みは「希望的観測」に過ぎ、甘かったとしか言いようがない、という結論になってしまう。

「戦争を終わらせた原爆」の開発者であるオッペンハイマーは、少なくとも終戦直後は「英雄」となったのだけれど、オッペンハイマー自身はその栄誉を喜びつつも、あまりの犠牲の大きさに慄いて、その後は「水爆開発」に反対の姿勢を採ることとなり、その結果、「ソ連のスパイ」扱いにされて、最後はその地位や名声を奪われることになる。

このように見ていけば、オッペンハイマーは、決して「悪魔」ではない。
やや甘い見通しに立っていたとは言え、やむなく「原爆開発」に協力しただけだし、その開発において「科学者」らしく「開発の成功を、単純に喜んだ」という無邪気さがあったとしても、それはいちがいに責められないのではないだろうか。
まして、原爆による惨禍を知った後の彼は、その後半生を賭けて、さらなる強力兵器の開発に抗ったのだから。(このあたりが、フォン・ノイマンなどとの、大きな違いである)

本書のサブタイトルが『愚者としての科学者』となっているとおり、著者は、オッペンハイマーが「無罪」だったと言いたいのではない。
その一方、オッペンハイマーひとりが「愚者」だったと言いたいのでもない。「科学者」というのは、ある意味では「研究馬鹿」であり、世間的な見通しには甘い、世間並みの「愚者」にすぎない。オッペンハイマーもまた、そんな「世間並みの人間」にすぎなかった、と言いたいのではないだろうか。
つまり、オッペンハイマーは「悪魔」や「悪党」でもなければ、「狂気の科学者」でもなかった。「ただの優れた物理学者」という「愚者としての科学者」のひとりだったと、そう言いたかったのではないだろうか。

もちろん、何らかの「余人をもって代えがたい力(才能)」を持ち、それを社会の中で発揮した人間は、その「余人をもって代えがたい力」を社会において発揮したことの「結果責任」が問われるし、責任を負うべきであろう。
自分のすることに責任が持てないのであれば、その「責任を持てない力」を発揮すべきではないのだ。自己責任において、それを自制すべきだったのである。

だから、社会的に影響力の強い立場に望んで立った者、そうした立場に立つことを拒まなかった者は、その立場において振るった「力」と、その「結果」について、責任を取るべきである。
例えば「昭和天皇」は、十五年戦争において「大元帥」の立場にあり、それなりに自分個人の考えを「御前会議」などにおいて、口にしてきた。彼の意見は命令ではなく、あくまでも感想や助言でしかなかったとしても、また軍人たちが、彼を蔑ろにして暴走したり、情報を上げなかったたりしたとしても、また、彼が基本的には戦争を望まず、始まった戦争の拡大を望まず、早期の終戦を望んでいたという事実があったとしても、つまり多くの同情の余地があったとしても、しかし彼は「大元帥」として「発言」できる立場にあり、事実最後はその「聖断」によって戦争を止めることができたのだから、彼がその「戦争」において「責任無能力者」だったとは、到底言えない。
彼は、連合国に裁かれずとも、国民に裁かれずとも、「責任あるトップ」だった者として「自裁」して果てるべきだったと、一一少なくとも、私はそう考えるのだ。

だから、これはオッペンハイマーや「原爆開発に関わった科学者」とて同じである。
「やむ得なかった」部分はあるだろう。その意味で、同情の余地があり、情状酌量の余地は確かにあるけれども、決して「無罪」ではない。彼らは「有罪」であり、応分の責めを負うべきなのである。
そして、その「責め」を負うたからこそ、オッペンハイマーは「水爆開発」に反対したのだ。

したがって、本書を読むかぎりにおいて言うなら、たしかに著者の言うとおり、オッペンハイマーを「悪者」にし、すべての罪を彼に擦りつけるようなことはすべきではない。彼だけを「悪者」にして、他の科学者たちが「禊ぎ」を済ませ、「被害者ヅラ」をすべきではない。

今この日本においても、大学の学者たちを「軍事開発」に利用しようとする動きが着々と進行している。それが、防衛装備庁の「安全保障技術研究推進制度」(2015年度発足)である。

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「軍事技術」を「安全保障技術」と言い換えているだけで、内容は同じだ。
要は、「軍事利用できる研究になら、たっぷり予算を出しますよ」と、金で科学者を釣ろうとしているわけだが、本書著者も言うとおり「愚者としての科学者」たちは、この「甘言」に、少なからず釣られているという現実がある。

だからこそ、日本学術会議「軍事的安全保障研究に関する声明」(2017年3月24日 などを出して、科学者たちに自制と賢明な判断を求めたわけだが、当然のことながら、これは「時の政府」の喜ぶところではなかった。
そのため、こうした問題で政府に物申した学者6名が、安倍晋三タカ派政権を継承した、菅義偉前総理から「任命拒否」されることになったのである。

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これが、日本の現状なのだ。
だから、そんなことをゆるしている「日本人」に、果たしてオッペンハイマーを責める資格などあるだろうか。

オッペンハイマーは、戦後に、世界の科学者が隠し事なく自由に議論のできる研究環境の回復を求めた。これは、ニールス・ボーアが戦前において実現し、守ろうとしたものであり、オッペンハイマーもまた、そうした、かつて実在した「科学研究の理想」の回復に目指したのである。

しかし、科学に「軍事」が絡むかぎり、オッペンハイマーの望んだ理想は、決して実現することはない。
「軍事」は、秘密主義であり、それに関わった科学者には生涯にわたる守秘義務が課され、裏切らないかと監視までつけられる(盗聴までされる)ことがあるというのは、「マンハッタン計画」においてオッペンハイマーが、身をもって経験した事実だったのだ。

だから、私たちは、もう「原爆の父」を責めることのできる立場にはないということを、自覚すべきである。オッペンハイマーを責める前に、私たち日本人は「今ここの罪」に気づくべきなのである。

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さて、私は、本書『ロバート・オッペンハイマー 愚者としての科学者』を、2021年8月12日に刊行された「ちくま学芸文庫」版で読み、このレビューを書いたのだが、その際、本書の元版である「朝日選書」版(1996年3月1日刊)の「Amazonレビュー」に、「西岡昌紀」「従来のオッペンハイマー伝を批判する一書--「赤狩り」に関する分析は不十分」と題するレビュー(2005年10月26日付)を投稿していることに気づいた。

西岡昌紀と言っても、大半の人はピンと来ないだろうから紹介しておくと、彼は、1995年発生した「マルコポーロ事件」の張本人である。

『マルコポーロ事件(マルコポーロじけん)は、1995年2月に日本の文藝春秋が発行していた雑誌『マルコポーロ』が、内科医西岡昌紀が寄稿したホロコーストを否定する内容の記事を掲載したことに対して、アメリカのユダヤ人団体サイモン・ウィーゼンタール・センターなどからの抗議を受けて同誌を自主廃刊したこと、および当時の社長や編集長が辞任解任された事態を指す。この事件は、日本における「歴史修正主義」あるいは「ホロコースト否認論」を巡る状況のなかで、最も広範囲に話題となったもののひとつである。また、日本の出版界の商業主義、過度な広告依存、スポンサーへの過剰萎縮などの議論のきっかけとなった。』
WIKIpedia「マルコポーロ事件」


そんな西岡が、どのようなレビューを投稿しているのか、ここに全文紹介しておこう。

『 私が、これまで読んだ、6冊の日本語で書かれたオッペンハイマー伝の中で、最も印象に残った本である。--本書は、永くカナダの大学で教鞭を取り続けて来た科学者による、異色のオッペンハイマー伝である。
 著者は、これまでに書かれた多くのオッペンハイマー伝を再検討し、その多くに批判を加えて居る。そして、シラードの虚像を打ち砕くなどして、これまで、多くの伝記筆者が、オッペンハイマーとその同時代人について書いて来た事柄に、根本から再検討を加えて居る。
 オッペンハイマーに関する必読の本である。英訳の出版を強く望む。
(西岡昌紀・内科医/原子力の日に)』

「マルコポーロ事件」から10年後に投稿されたレビューで、内容的には、特にどうということのないものだが、しかし「アウシュビッツにガス室は無かった」などという「トンデモ」で世間を騒がせた「歴史修正主義者」の西岡が、「原爆の父」と呼ばれたオッペンハイマーの「再評価」を迫る本書について、おおむね肯定的なレビューを書いていたというのは、とても興味深い事実だと言えよう。

つまり、西岡にすれば、自分も、本書著者の藤永茂も、共に「誤った歴史を正そうする者」だとでも言いたいのであろうが、たぶん藤永としては、はた迷惑なだけだったのではないだろうか。
一一もっとも、多くの読者は、このレビュアー「西岡昌紀」が何者かに気づかないから、大きな被害にはならなかっただろうが。

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ちなみに、「アウシュビッツにガス室は無かった」などという「トンデモ」で世間を騒がせた「歴史修正主義者」の西岡昌紀が、Amazonカスタマーレビューにおいては「VINEメンバー」となっているところが、個人的にはたいへん興味深い。

「Amazon」が説明するところ、「VINEメンバー」とは、

『Amazon Vineとは、AmazonからAmazon Vineに参加するよう招待されたAmazonレビュアーの手元に、Amazonの出品者が商品を届けるカスタマーレビュープログラムのことです。これらのレビュアー(Vineメンバー)は、Amazonで購入した商品について、洞察力のあるレビューを投稿できるかどうかという視点で選ばれています。』
「Amazon Vineに関するよくある質問」→「Amazon Vineとは何ですか?」より)

見てのとおり、西岡昌紀は、Amazonによって『洞察力のあるレビューを投稿できるかどうかという視点で選ばれ』、商品の無償提供の優遇措置を受ける、「選ばれたメンバー」なのだそうだ。

これでは、西岡とは真逆に、私がレビュアーとして、Amazonから強制排除されたのも「宜なるかな」である。

(2021年10月23日)

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