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江藤淳 『作家は行動する』 : 威勢のよさの下の 〈繊弱な怯え〉

書評:江藤淳『作家は行動する』(講談社文芸文庫)

私にとっての「江藤淳」は、まず「保守の論客」として現れてきた。
無論「文芸評論家」であることは知っていたが、そこにはそれほど興味はなく、あくまでも「ネトウヨ」に「理論的根拠」を提供している人物として、つまり「敵」として、無視できない人物だと、そのようにして意識し始めた人物であった。

今も「保守の論客」を自称しているような人は山ほどいるが、どれも似たり寄ったりで、所詮は「ネトウヨ」向けの、程度の低い「扇動家」にしか見えない。つまり、読むに値しないし、読む時間がもったいない。

しかしまた「保守派」を理論的に批判・否定しなければならないと考えている者としては、「保守派の理論書」を読まないわけにもいかないので、読むのならば「保守派の上質なところ」を読んで済ませるに如くはないだろう。
要は「大は小を兼ねる」というわけである。クズのような「保守派の理論書」を100冊読むよりも、有能な「保守派の理論書」を1冊読んだ方がいい。では、誰を読むか。

私の念頭にまず浮かんだのは、小林秀雄と福田恆存である。
この二人は、「保守派」ではあっても、広範な読者から高い評価を受けているのだから、「敵」ながら、読む価値はあるはずだ。それに私はもともと「文学」趣味の人間であるから、「保守派の論客」として読むことで、併せて「日本の文学史における、未読のマスターピース」として「穴埋め」をすることできるからである。

この二人はすでに故人だったが、現役の「保守派の論客」として注目したのは、西部邁であった。この人も、左右両方に人脈があって、それなりに尊敬できる人のようだし、「左翼学生運動の闘士」から保守派に転じた人だというので、その点にも興味があって読むことにした。

さらに、「保守派の論客」と言っても、「国内」ばかりでは、いかにも弱いので、やはり「保守派」の源流となる、エドマンド・バークは読まないといけないと考え、読んだ。
また、それに続くものとして、マイケル・オークショット、T・S・エリオット、J・K・チェスタートンなども読もうと、その著書を購入し、エリオットとチェスタートンは読んだが、オークショットはまだで、積読の山に埋もれさせてしまった。

そんなこんなで、日本の「保守派の論客」で、次に読むべきは誰かとなった時に浮かんだのが、江藤淳であった。
その時すでに、江藤は、奥さんに先立たれて、めっきり弱った挙句、自殺して果てていたから、はっきり言って「何が右派だ。強そうなことを言ってたわりには、情けない奴だな」という印象があった。

だが、その生き様・死に様がどうあれ、江藤は理論家なのだから、彼の著書を読まずして、彼を本質的に批判することはできないと考え、最初に、最も「保守派」らしい著書である『閉された言語空間 占領軍の検閲と戦後日本』(1989年)を読んだ。もちろん、後で出た文庫本で読んだのであり、刊行時に読んだという意味ではない。
ともあれ、これを読んだ感想は「なんだ、大したことないじゃないか」というものだった。仮にも、戦後を代表する文芸評論家の一人なのだから、もう少し「深い」ものを期待したのだが、書いていることは、基本的に「ネトウヨ」のそれと大差のない、ルサンチマンの産物だったからである。

そのあと、江藤にとっては「文芸評論家の大先輩」でもあれば「保守派の論客としての大先輩」でもある小林秀雄との対談をまとめた『小林秀雄 江藤淳 全対話』(2019年)を読んだ。
印象は「保守派らしく、大先輩にヘコヘコしているな」というものであったし、私は小林秀雄もそこそこ読んでいるから「やはり、小林と江藤では、格が違うな」という印象しかなかった(同書については、レビュー「Don't think! Feel」を書いた)。

それにしても、江藤は「文芸評論家」として名を挙げ、その威光で「保守の論客」としても、ある程度「別格」扱いをされてもきたのであろうから、やはり本業である「文芸評論」の、しかも代表作と呼ばれるものを読んでおかないと、江藤を批判するには弱いと考えたので、次に文芸評論の代表作である『成熟と喪失 “母”の崩壊』(1967年)を読んだ。
また、これを読むことで、のちの「江藤の自殺」を理解する上でのヒントを得ることも出来るのではないかと、そう「あたり」もつけて、いわば「一石二鳥」を狙ったのだが、この読みは正しかったようである(同書については、レビュー「〈我が事〉ゆえの鋭さにおいて」を書いた)。

そして、いよいよ今回は、江藤淳の初期代表作である『作家は行動する』であった。
その「自殺」から遡って「保守派としての理論書」、「文芸評論家としての代表作」そして「文芸評論家としての初期代表作」という具合に、江藤淳の「過去」へ、「根源」へと遡っていったのである。

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で、『作家は行動する』は、どうであったか。

驚いたことに、若い江藤淳は、ほとんど「左翼」であった。
そこでは、小林秀雄が徹底的が批判されており、石原慎太郎と大江健三郎の二人が強く推されていた。当時は、文壇における若手の三羽烏として、親しく付き合いもいたらしい。

今の観点からすれば、江藤淳が石原慎太郎を推すというのはわからないではないが、小林秀雄批判と大江健三郎推しというのは驚きだ。
しかし、当時の石原慎太郎が、今のような「保守派の三流政治家」ではなく、どちらかといえば「文壇の前衛」であったことを考えれば、江藤の小林秀雄批判、石原慎太郎と大江健三郎推しというのは、立場としては「文壇改革派」の「前衛」であり、ネトウヨに言わせれば、明らかに「左翼」だったのである。

そして、肝心の『作家は行動する』の内容をどう評価するのかといえば、基本的には「同意する」ということになる。本書での江藤の立場が「左翼リベラル」の「近代主義改革者」であり、今の私に近かったのだったのだから、これは当然の結果だと言えるだろう。

ただし、引っかかることはあった。それは多くの人が指摘する、この時の江藤の、過剰なまでの「威勢のよさ」である。
20代半ばで「若いから元気があったのだろう」とか「青春の文学である」などという評価は、あまりにも皮相なものであり、一知半解の知ったかぶりに過ぎない。
実際、後年、大学教授だった江藤淳の下で助手を務めた大久保喬樹が、「講談社文芸文庫」版『作家は行動する』の「解説」を書いているが、そこで示された、若き江藤淳の「威勢の良さ」についての、次のような解釈理解は、きわめて妥当なものだ。

『 ここ(※ 江藤の著書『小林秀雄』の「あとがき」)で「文体論」とよばれているのが『作家は行動する』であるわけだが、この告白を読むと、江藤が、『作家は行動する』においてあのように明快に、決然として自らの拠って立つ文学原理を宣言しながら、実は、その裏で深く、烈しく揺れ動いていたことがわかる。『作家は行動する』で江藤は小林を最も非「行動」的、いや反「行動」的な作家として執拗なまでに論難し、それに対抗するように漱石を称揚したが、実は、それは、江藤にとって、小林的なものが漱石的なものに匹敵するほど大きな存在だったからに他ならないのである。丸山真男流の西欧近代合理主義、進歩派のイデオロギーの枠内にいた当時までの江藤にとって、それは、底知れない深淵のような脅威であり、この深淵に呑み込まれないよう江藤は必死に抵抗した。その「神経的な反撥」が小林について「彼には行動の問題もなく、行動の責任もない。ただ『ありじごく』のようにものたちのなかにあぐらをかいて、思想をくいあらして」、「彼はむしろ鑑賞家であり、ディレッタントにすぎない。彼はまた決して批評家ではない」とまで言わせたのである。
 だが、そのように口を極めて論難すればするほど、無言の小林あるいは小林的なものの存在は江藤の中でさらに膨れあがっていき、ついに、『作家は行動する』を書き上げた直後、堰を切ったようにあふれだして、江藤はもはやその圧倒的な存在の意味を認めざるをえないところに追い込まれるのである。そこから目をそむけ、逃げ続けることはもうできない、それまで築きあげてきた理論のすべてをほうり捨てても、この深淵をまっすぐ見つめ、その中に飛び込む他はない。そうした覚悟を固めて敢然と江藤は「転向」の道を歩みだす。確かに丸山真男流の西欧近代合理主義、進歩派イデオロギー、その土台の上に構築した「行動する文体」原理の基準に従うなら、小林的なものは、最悪の、許しがたい日本的なものへの居直りであるだろう。だが、それが日本人であることの宿命であるならば、その宿命を引き受けるしかないのだ。』(P272〜273、解説「戦後批評家の青春」)

『日本人であることの宿命』などというものは、ない。

単に「日本人らしい弱さ」を、江藤が持っていただけであり、皆が皆、そうした「弱さ」を持っているわけではない。
江藤は、そうした「自立できない」自身の「弱さ」を正当化するために、「自身の弱さ」を「日本人であることの宿命」だなどという「美しげな言葉」に言い替えて、「それを認められない者の方が、現実を見ていないのだ」というかたちで、臆面もなく自身を「正当化」しただけなのだ。

つまり、江藤が「行動する文体」の保持に耐え得なかったのは、単に江藤が、マザコンの『坊やだからさ』一一ということでしかない。
だから、呪うのなら「進歩派」や「左翼」や「アメリカ」を呪うのではなく、『君の生まれの不幸を呪うがいい』としか言えないのである。

初出:2021年7月4日「Amazonレビュー」
  (2021年10月15日、管理者により削除)

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