abashi goya

いろんなことがありました。断片をかき集めてランダムに書きつらねます。♂️

abashi goya

いろんなことがありました。断片をかき集めてランダムに書きつらねます。♂️

記事一覧

背表紙のざわめきを

眼を皿のようにして、高校生の私は北海道について書かれた本を探していた。目的とする本があったのではない。書棚の左から右へ、視界に入る書名を探査する。なければ下段に…

abashi goya
9日前
10

出不足金を集める

ドアノブにビニール袋が掛けてあった。配布するための県報と市報、一通の茶封筒が入っている。封筒には「溝掃除の出不足金の徴収をお願いします」と書かれたメモが入ってい…

abashi goya
2週間前
9

逃走と解放

ビクトル・エリセ監督の映画『瞳をとじて』を鑑賞した。結論から言うと、残念だった。彼の描写と詩情が好きだった。物語への誘惑には抗し難かったのだろうか。期待が大きか…

abashi goya
3週間前
16

柳あをめる

川沿いの道を下流へと、車を走らせた。四万十川は流れているというよりも、細長くくねる一本の物体がゆっくりと海に曳かれているようだ。 キャンプサイトにテントを立て、…

abashi goya
4週間前
58

猫の生まれ落ちた坩堝

部屋でくつろいでいるとインターホンが鳴った。顔なじみの女の子がふたり、玄関先に立っている。「お兄さん、助けてください」と言う。「どうしたの?」と訊くと、数軒先の…

abashi goya
1か月前
14

パステルカラー商店街

3月の初めは小旅行をするのにいい季節かもしれない。2月はまだ寒く、4月はもう暑い。 長崎を歩いていた。土地勘はない。カレーを食し、コインパーキングの時間が30分余っ…

abashi goya
1か月前
15

最期に気づくこと

佐々涼子著『夜明けを待つ』(集英社インターナショナル、2023年)を読んだ。 ノンフィクション作家は、新聞や雑誌の記者出身が多い印象があるなかで、彼女は異色のルート…

abashi goya
1か月前
19

社会なんてないのかもしれない

子どもの頃、「抽象的」という言葉が理解できなかった。そのまま「抽象的」という言葉をシャワーのように浴び続け、ああ、そういうことか、と理解した。この理解とは感得し…

abashi goya
1か月前
15

おべんとうの時間

あのころ私は、仕事でも私事でも、選べる場合はANAに乗っていた。マイレージカードを持っていたからだ。そして、機内誌『翼の王国』に連載されている『おべんとうの時間』…

abashi goya
2か月前
13

狼は狼を探すだろう

春の足音がきこえる、暖かい午後だった。カレーを食べたので体はより一層温まっている。駐車場に入ったが、本当にここだろうかといぶかしむ。扉が10センチほど開いている。…

abashi goya
2か月前
11

聴こえない理容師

もともとくせっ毛で、寝ぐせがひどい。頭のかたちがいびつで、絶壁とまではいかないが後頭部はすとんと落ちていて、側頭上部が出っ張っている。ときに電撃ネットワークの南…

abashi goya
2か月前
19

驟雨の壁

先日、夜に電話があった。かつて暮らした過疎地の友人からだった。友人と言ってもひとりは15歳ほど、もうひとりは20歳ほど年下である。ふたりは日本酒を飲んでいて、「あの…

abashi goya
3か月前
15

陸の漁火

私は家に帰ろうとして、日曜日の夕方だとはたと気付き、方向を変えて海へと車を走らせたのだった。国道をまっすぐ、街を抜け、潮で錆びた廃車の山、漁網の工場を通り過ぎた…

abashi goya
3か月前
7

真夏の通り雨

住宅地の一角に平屋の一軒家があり、一目して鍛冶屋だとは気づかない。トンテン、カンテン、槌の音が響く。小さな工房には所狭しと道具や工機があり、その奥が住居だった。…

abashi goya
3か月前
12

優しい東京

元日、映画を観に行った。割引の日だし、晴れていたし、道も空いているし。街中に出るのは数カ月ぶりだった。 ヴィム・ヴェンダース監督『PERFECT DAYS』。とても良かった…

abashi goya
4か月前
18

熱球をひとつだけ

知人に誘われて、私は詩人による朗読会に参加した。ホテルのロビーのようなスペースに聴衆30人程が集まり、壇上にはふたりの著名な詩人がいた。 詩人は、雑談をまじえなが…

abashi goya
4か月前
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背表紙のざわめきを

背表紙のざわめきを

眼を皿のようにして、高校生の私は北海道について書かれた本を探していた。目的とする本があったのではない。書棚の左から右へ、視界に入る書名を探査する。なければ下段に移り、右から左に探査する。背丈よりも上段の場合、首が痛くなる。とても根気のいる作業だった。

見つけたのは、『北海道探検記』(本多勝一、集英社文庫)だった。原始がまだ残っていた頃の北海道。想像を掻き立てられ、貪るように読んだ。

進学して、

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出不足金を集める

出不足金を集める

ドアノブにビニール袋が掛けてあった。配布するための県報と市報、一通の茶封筒が入っている。封筒には「溝掃除の出不足金の徴収をお願いします」と書かれたメモが入っている。

夕暮れ時、Aさん宅から始める。ドアの左右に塩が盛られている。一段と高くなっている。明かりがついている。ベルを鳴らす。中で足音がして「どなたですか」と声がする。60代女性のひとり暮らし。「〇号室の〇〇です」と私は言う。それからでなけれ

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逃走と解放

逃走と解放

ビクトル・エリセ監督の映画『瞳をとじて』を鑑賞した。結論から言うと、残念だった。彼の描写と詩情が好きだった。物語への誘惑には抗し難かったのだろうか。期待が大きかったがために陳腐である印象は否めない。しかし、これでいいのだ。映画監督は私のために撮っているのではない。

それはともかく、ひとつの発見らしきものがあった。先に観た『PERFECT DAYS』と共通するのは、失踪した男の物語である。失踪とは

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柳あをめる

柳あをめる

川沿いの道を下流へと、車を走らせた。四万十川は流れているというよりも、細長くくねる一本の物体がゆっくりと海に曳かれているようだ。

キャンプサイトにテントを立て、買い出しに行く。3月の末、暖かい日だった。散髪屋を見つけて入る。旅先で髪を切るのは、私の愉しみのひとつである。バンダナを巻いた理容師のおじいさんは、腕が確かなうえに面白かった。伸び放題だった髭を剃ってもらい、「はい、生まれかわりました」と

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猫の生まれ落ちた坩堝

猫の生まれ落ちた坩堝

部屋でくつろいでいるとインターホンが鳴った。顔なじみの女の子がふたり、玄関先に立っている。「お兄さん、助けてください」と言う。「どうしたの?」と訊くと、数軒先の家へと連れていかれた。

平屋建ての市営住宅が10軒ほど立ち並ぶ一角で、私もその一棟に暮らしていた。家の外壁から猫の鳴き声がするという。耳を澄ますと、確かに微かな鳴き声が聞こえた。外壁と内壁のあいだに挟まれている。

家の住人は留守だったの

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パステルカラー商店街

パステルカラー商店街

3月の初めは小旅行をするのにいい季節かもしれない。2月はまだ寒く、4月はもう暑い。

長崎を歩いていた。土地勘はない。カレーを食し、コインパーキングの時間が30分余ったのでぶらぶらし、狭い商店街に入った。アーケードはなく、車は通れない。頭上には、春節の赤い三角の旗がまだジグザグに走っていた。

昼下がりで、淡く晴れている。混雑してるでもなく、人がいないでもなく。昔からの果物屋や化粧品店なんかに加え

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最期に気づくこと

最期に気づくこと

佐々涼子著『夜明けを待つ』(集英社インターナショナル、2023年)を読んだ。

ノンフィクション作家は、新聞や雑誌の記者出身が多い印象があるなかで、彼女は異色のルートを歩んできたように見える。子どもふたりを育てる赤貧の主婦、日本語教師、レジ打ち、洋品店バイト、ライターズスクールを経てノンフィクション作家となった(本書所収エッセイ『未来は未定』より)。親近感が湧く。

私の好きなノンフィクション作家

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社会なんてないのかもしれない

社会なんてないのかもしれない

子どもの頃、「抽象的」という言葉が理解できなかった。そのまま「抽象的」という言葉をシャワーのように浴び続け、ああ、そういうことか、と理解した。この理解とは感得したものであって、一般に理解されている意味と照らし合わせたことはない。つまり、現在に至るまで正しいと思ってきた私の理解は、正しくないのかもしれない。

私は「社会」という言葉にも疑問を抱きつづけてきた。そして最近、一冊の本に出会った。『翻訳語

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おべんとうの時間

おべんとうの時間

あのころ私は、仕事でも私事でも、選べる場合はANAに乗っていた。マイレージカードを持っていたからだ。そして、機内誌『翼の王国』に連載されている『おべんとうの時間』に出会った。

写真は阿部了さん、文は阿部直美さん。夫婦である。発表する場のあてもなく全国の「お弁当の人」を取材し、その後『翼の王国』で連載が始まり、NHK『サラメシ』に繋がっていく。

機内で読んだ漆掻きをする人の記事が、鮮烈な記憶とし

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狼は狼を探すだろう

狼は狼を探すだろう

春の足音がきこえる、暖かい午後だった。カレーを食べたので体はより一層温まっている。駐車場に入ったが、本当にここだろうかといぶかしむ。扉が10センチほど開いている。ここだ。扉が開いていればお入りくださいと言われていた。

中に入ると、女性が顔を出した。お待ちしていました。招かれて部屋に入る。10畳ほどの部屋にテーブルがひとつ。奥には棚があり、色とりどりの小物が所狭しと並んでいる。テーブルには箱庭があ

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聴こえない理容師

聴こえない理容師

もともとくせっ毛で、寝ぐせがひどい。頭のかたちがいびつで、絶壁とまではいかないが後頭部はすとんと落ちていて、側頭上部が出っ張っている。ときに電撃ネットワークの南部虎弾のような逆三角形のかたちになる。髪にこしがなく、頭頂部は年々心許なくなっている。

「イチローみたいに」「ベッカムみたいに」と注文していた髪型はもうどうでもよくなってきて、みっともなくない程度に爆発を抑えて短く刈り込み、櫛もドライヤー

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驟雨の壁

驟雨の壁

先日、夜に電話があった。かつて暮らした過疎地の友人からだった。友人と言ってもひとりは15歳ほど、もうひとりは20歳ほど年下である。ふたりは日本酒を飲んでいて、「あの人は日本酒が好きだったなあ」という話になり、5年ぶりぐらいに電話をかけてきたのであった。

久しぶりに聞く強烈な方言。そして明るい。私は移住者として若い彼らに助けられ、私も助けた。「そっちの3大ニュースを教えて」と訊くと、誰と誰が不倫し

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陸の漁火

陸の漁火

私は家に帰ろうとして、日曜日の夕方だとはたと気付き、方向を変えて海へと車を走らせたのだった。国道をまっすぐ、街を抜け、潮で錆びた廃車の山、漁網の工場を通り過ぎた。右手にぼんやりと明かりを灯した食堂が見えてくる。空き地には車が6、7台停まっていた。

陽は落ち、赤い月が水平線から昇りはじめていた。私は左手にある売店に入り、車を停め、ひととおり店内を歩いて外に出て、月を眺めた。エンジンを始動して道に出

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真夏の通り雨

真夏の通り雨

住宅地の一角に平屋の一軒家があり、一目して鍛冶屋だとは気づかない。トンテン、カンテン、槌の音が響く。小さな工房には所狭しと道具や工機があり、その奥が住居だった。

職人というものは気難しくて当然という先入観をくつがえし、70歳をゆうに超えているであろう老人はにこやかに私を迎えてくれた。コークスに火が入っていて、框には優しそうな奥さんが座っていた。

客の要望に合わせて鍬や鋤などの特注にも応えるとい

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優しい東京

優しい東京

元日、映画を観に行った。割引の日だし、晴れていたし、道も空いているし。街中に出るのは数カ月ぶりだった。

ヴィム・ヴェンダース監督『PERFECT DAYS』。とても良かった。

木漏れ日、カセットテープ、ダイハツ・ハイゼット、フィルムカメラ、ガラケー、スカイツリー、古本、缶コーヒー、竹ぼうき、牛乳、銭湯、コインランドリー、自転車、酒場、影踏み。犬、風、子ども、車、虫、パトカーのざわめき。音楽。

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熱球をひとつだけ

熱球をひとつだけ

知人に誘われて、私は詩人による朗読会に参加した。ホテルのロビーのようなスペースに聴衆30人程が集まり、壇上にはふたりの著名な詩人がいた。

詩人は、雑談をまじえながら自作の詩を朗読する。そのたびに、聴衆は拍手する。

忖度と言おうか、耐え難い時間だった。こちらが恥ずかしくなるのだ。詩と詩情は異なるものであると、その時はじめて私は気づいた。

後日、書店で現代詩が掲載されている月刊誌を手に取ってみた

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