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狼は狼を探すだろう

春の足音がきこえる、暖かい午後だった。カレーを食べたので体はより一層温まっている。駐車場に入ったが、本当にここだろうかといぶかしむ。扉が10センチほど開いている。ここだ。扉が開いていればお入りくださいと言われていた。

中に入ると、女性が顔を出した。お待ちしていました。招かれて部屋に入る。10畳ほどの部屋にテーブルがひとつ。奥には棚があり、色とりどりの小物が所狭しと並んでいる。テーブルには箱庭がある。

私は初めての箱庭療法を体験しに来たのだった。河合隼雄の著作や対談を読み、箱庭療法には常々興味を持っていた。ただ、カウンセリングではなく体験でなければならなかった。

カウンセラーという仕事は並大抵の所業ではない。専門課程で学び、資格を取得したからといってカウンセラーではなく、人格や総合力、姿勢を問われる職業だと思う。初対面の人を信頼して委ねるわけにはいかない。未熟な人の練習台にもなりたくはない。

体験してみませんか?という投稿を見て、連絡を取ったのだった。おかしな話だが、この日を楽しみに待っていた。何十年ぶりの美術、造形、創作だろう。何が現れるのかわからない。

楽しみにしているとどんな箱庭をつくろうかと考えてしまい、そのたびに打ち消す。準備することに頭が慣らされている。

実際、カウンセラーは「何も考えず、子どもに戻って、自由に」と言った。棚に並んだアイテムをゆっくりと、端から端まで見て歩く。声を聴くように。

私は箱庭に戻り、蛇行する川を描いた。ありったけの木を挿し(足りなかった)、小屋と焚火を置く。どんどん置いていく。山、岩、舟、動物、花、遺跡、流木、骨。30分で完成した。残り30分、カウンセラーの質問に答えるかたちで会話する。

体験なので、分析や解釈について私は重視しない。ただ、つくること自体に意味があるということを感じた。いい時間だった。

帰り道、私は運転しながら箱庭に思いを巡らせる。黒い狼を一頭、置いたのだった。他の動物も一頭ずつだったが、それは棚に一頭ずつしかなかったからだろう。ノアの箱舟にはつがいで乗せられたのに、私の箱庭には一頭ずつだった。

狼という存在に、私は特別な思い入れがあるように思う。かつて日本にはニホンオオカミが生息していたが、絶滅した。人に嫌われたからだと思う。最後の一頭は、何を思ったのだろうか。自分が最後の一頭だとは知らなかったはずなのだ。

アメリカのイエローストーン国立公園では、絶滅した狼を復活させるべくカナダから運ばれた狼が放たれた。私は想像する。どこまでも広がる原野に、はぐれた一頭がいる。一匹狼。ただただ彷徨い、彼は、彼女は、何を求めるだろう。

狼を探すと思う。

最後のニホンオオカミも、狼を探した。自分が最後の一頭だとは知らずに。

トキはトキを探し、ザトウクジラはザトウクジラを探すだろう。そして、人は人を探すだろう。

人は人を求める。どんなに人が嫌いでも、狼のように原野にひとり放たれれば、人を探す。限界集落に移り住んでも、移動販売車が来れば近づき、気が付けば心待ちにしている。

人は人だらけの中の人で人を否定しながら人を構成する人でありどんなに否定しても人として人なしには生きていけないと人は知っている。

だから、「人が好き」という人はそれだけで幸せなのだと思う。



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