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背表紙のざわめき

眼を皿のようにして、高校生の私は北海道について書かれた本を探していた。目的とする本があったのではない。書棚の左から右へ、視界に入る書名を探査する。なければ下段に移り、右から左に探査する。背丈よりも上段の場合、首が痛くなる。とても根気のいる作業だった。

見つけたのは、『北海道探検記』(本多勝一、集英社文庫)だった。原始がまだ残っていた頃の北海道。想像を掻き立てられ、貪るように読んだ。

進学して、スペインについての本を同じ方法で探した。見つけたのは、『スペイン断章』(堀田善衛、岩波新書)だった。遠くにある乾いた大地。堀田善衛が著したスペイン本がないかとまた眼を皿のようにして探し、『スペイン430日』(堀田善衛、ちくま文庫)を見つける。時給700円で居酒屋のバイトを始め、25万円を貯めてスペインに旅立った。

数年後、インドについての本を同じ方法で探した。見つけたのは、『インドで考えたこと』(堀田善衛、岩波新書)だった。堀田善衛への信頼は厚かった。同時に出会ったのは、『インド夜想曲』(アントニオ・タブッキ、白水社)だった。読了後に満ちてくるもの。それは、インドへの想いよりも、文学としての素晴らしさだった。

イタリア語の原典を読めなくても、この日本語の美しさ、滑らかさはただごとではないと感じた。私は翻訳者の名前を脳裏に刻んだ。しばらくして、書店の平積みにその人の名前が視界に入った。『ミラノ 霧の風景』(須賀敦子、白水社)。やはりそうか。彼女は書ける人だった。

タブッキも須賀敦子も、好んで読んだ。堀田善衛も、『美しきもの見し人は』(堀田善衛、朝日選書)に行きつく。どれも閑かだった。詩情で生きていける気がした。検索機能のなかった時代、首を痛めながら出会った作家と本。背表紙のざわめきを、私は耳をそばだてて聴いていた。



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