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驟雨の壁

先日、夜に電話があった。かつて暮らした過疎地の友人からだった。友人と言ってもひとりは15歳ほど、もうひとりは20歳ほど年下である。ふたりは日本酒を飲んでいて、「あの人は日本酒が好きだったなあ」という話になり、5年ぶりぐらいに電話をかけてきたのであった。

久しぶりに聞く強烈な方言。そして明るい。私は移住者として若い彼らに助けられ、私も助けた。「そっちの3大ニュースを教えて」と訊くと、誰と誰が不倫して大騒ぎ、70代の老人に彼女ができた、娘が骨折した、と答えた。相変わらずで驚きもしない。「春まで暇だから遊びに来てよ」と彼らは言った。暇だといってもいくつもの事業を掛け持ちしている。能天気な会話に癒され、電話を切った。

同じ日に東京の友人からSNSのメッセージが届いた。かつての同僚で、三軒茶屋からの帰り道、駅でばったり別の元同僚と会ったらしい。「あの人どうしてるのかな」と私が話題にのぼり、久しぶりに連絡してみたとのことだった。

前後して、お世話になっていた方(後輩の奥さんの両親)からみかんが届いた。その方が育てたみかんであり、かつて私もみかん園の整備や草刈り、収穫などを遊びとして手伝っていた。

古い友人や知人から続けざまに連絡が来ることはめったにない。原因は、私から連絡を取らないからであり、私から没交渉にしてしまうからだった。それでも思い出し、気にかけて電話やSNSや宅配便を送ってくれる人たちがいる。とてもありがたい。

こんな私に――、という想いは昔からある。凍りつき、ひび割れているときは人に会わない。陽だまりができ、温まってくると人に会う。だから人はみな、私が社交的な人物だと思っている節がある。もがき、かわき、国内外を転々と彷徨ってきたにもかかわらず。

口には出さないが、こうして連絡をくれる人たちは、私の光と影を理解してくれているのではないだろうか。そう、故郷の友人もとにかく正月に帰って来いとLINEを送ってきたのだった。

私は行く先々で、喜びながら、苦しみながら、曠野にアンカーを打ってきたのかもしれない。虚空に吸い込まれてしまわないように。だとすれば、自分を褒めてやりたい。こんな自分が、よく頑張ったと。

なんでもないワンシーンが、強く脳裏に焼きついていることがある。一方で、脳裏に焼きつけたこともある。これだけは憶えておこう、忘れないでいよう。生きつづけた最果てに、きっと想い出して火を灯し、私を曳くときが来ると。

あの時、私は大陸にいて、部屋を貸してくれるという紹介を受けた人の家へとHONDAのバイクを駆って向かっていた。夕方で、こちらはからりと晴れているのに正面の空は黒く覆われ、雨雲が近づいているのがわかった。

目の前には滝のような驟雨の壁が立ちはだかり、私とのあいだに虹がかかっている。300m、200m、100m。こちら側とあちら側の境界がくっきりと見える。雨に叩かれた道が黒く濡れている。私はダイナミズムを、生の息吹を全身で感じて身震いした。この瞬間を憶えておこう。この瞬間を――。

私は大声で何かを叫び、驟雨の壁に突っ込んでいった。


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