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柳あをめる

川沿いの道を下流へと、車を走らせた。四万十川は流れているというよりも、細長くくねる一本の物体がゆっくりと海に曳かれているようだ。

キャンプサイトにテントを立て、買い出しに行く。3月の末、暖かい日だった。散髪屋を見つけて入る。旅先で髪を切るのは、私の愉しみのひとつである。バンダナを巻いた理容師のおじいさんは、腕が確かなうえに面白かった。伸び放題だった髭を剃ってもらい、「はい、生まれかわりました」とおじいさんは肩を叩いた。「帰ってまいりました」と私は言った。

スーパーでカツオのたたきを買う。ほっけの開きが目に入り、高知の西端で北海道の魚を買う。林で倒木をのこぎりで切り、コンバイン袋に詰めて帰る。焚火台をセットし、先日採取したアカマツの木片をナイフで削る。ファイヤースターターを擦って着火を試みるが、うまくいかない。麻ひもをほぐして火花を散らし、火を育てる。

小さな女の子3人姉妹が、犬に引っ張られながら私のまわりを走る。「おはようございます」と3歳ぐらいの子が言った。芸能人ですか。陽も落ちてますけど。

夜、北の空が光った。雷雨が近づいている。テントに撤収してすぐに、大粒の雨が降りはじめた。モンベルのテントを20年以上前に購入して今も使っている。フライシートの性能が限界に達してメーカーに在庫確認をしたが、終売から時が経ち、すでになかった。防水か撥水の剤を塗布してしのぐしかない。

早朝、雨は止んでいた。林の中で外国人がタープ付きのハンモックで眠っている。かっこいい。この辺りですれ違ったお遍路の1/3は欧米人で、トレッカーやサイクリングも多い。口コミで広がっているのだろう。彼らはここで多くを感受している。私は彼らから多くを学んでいる。

湯を沸かし、鮭のクリームスープを飲んだ。昨夜からのカジカガエルがまだころころと鳴いている。ウグイスが鳴き、ヨシキリが飛んだ。

やはらかに柳あをめる
北上の岸辺目に見ゆ
泣けとごとくに

石川啄木

石川啄木の本名ははじめである。ふるさと岩手の啄木鳥きつつきに魅せられ、啄木とした。

柳を長らく見ていない。中村哲氏はアフガニスタンに用水路を築き、岸辺を強くするために柳を植えた。

テントをゆっくりと乾かし、ゆっくりと片付ける。大岐おおきの浜に向かう。10年以上前に訪れたことがあった。その時も3月下旬で、2㎞近くある砂浜に誰もいなかった。惑星にひとり残されたような、あのぽつんとした感覚が忘れられなくて、また訪れたのだった。

コンテナハウスのたこ焼き屋があった。8個350円。朝食がわりに注文すると、50代であろうご夫婦は慌てふためいた。「少し時間かかります」「いいですよ」。私は車の中で待った。ご主人が走ってきた。「マヨネーズ掛けてもいいですか」「いいですよ」。ご主人は走って戻る。

店先のホワイトボードを見ると、10時開店と書いてある。まだ9時過ぎだ。「すいません、開店前でしたね」と私が言うと、「いいんです、いいんです」と夫婦は笑う。

祝開店と書いた花籠がひとつ置いてある。「最近開店されたんですか」
「今日開店したんです。お客さんが初めてのお客さんです」

同じことがインドのジャイプールでもあった。店に入ると店員がそわそわしている。食事を終えると、「あなたが初めてのお客さんです」と言われたのだった。

「おめでとうございます」と、私はこころもち声を張ってたこ焼き屋さんに言った。ブラックコーヒー150円も頼んでいたが、冷たいペットボトル飲料だった。勝手に紙コップのホットだと思っていた。あたふたと走りまわるご主人は冷蔵庫を開け、栄養ドリンクのエスカップを一本くれた。

たこ焼きをぶら下げ、私は砂浜へと歩いた。かつてのクロマツの防風林がマツクイムシですべて枯れ、風や鳥に運ばれた新たな種子が着床し、今ではうっそうとした常緑樹の林になった。亜熱帯的な変化である。

林を抜けると、10年ぶりの砂浜が待っていた。広大な海にサーファーが数人。波は絶望的なまでに立っておらず、彼らはぷかぷかと浮かんでいる。

あの頃の私、いまの私。足裏は砂を噛み、過去と現在を歩き、答え合わせをする。シギがぴょこぴょこと歩き、本当に千鳥足で可笑しい。ハマダイコンが咲いている。ヤシの実がひとつ転がっている。

名も知らぬ遠き島より
流れ寄る椰子の實一つ
故郷ふるさとの岸を離れて
なれはそも波に幾月

島崎藤村

この海で少年は難破して漂流し、鳥島に漂着し、アメリカの捕鯨船に救助され、ジョン万次郎となって帰還した。

たこ焼きを食し、サーファーに挨拶し、高知の西岸を海沿いに走った。土佐清水、大月、宿毛。春の陽光が降り注ぎ、桜は満開を迎えつつあった。強い風が梢を揺らすが、花は散らない。田んぼの水口からは清冽な水がほとばしる。代掻きを終え、田植えを終えている田もある。早い。あまりにも早い。小学校で習ったあの二期作だろうか。

高知の風土は独特である。同じ四国でも、瀬戸内側とは山地に隔てられ、昔は陸路より海路のアクセスの方がよかったのではないだろうか。坂本龍馬は檮原街道を抜けて脱藩した。高知は今も、高知の中で社会と経済が回っているように見える。

西岸を北上する。スギとヒノキが植林された山が少なく、常緑樹と落葉広葉樹のこんもりとした山にぽつぽつと山桜が咲いている。その点在が絶妙で、実に美しい。炭焼きの盛んな土地であり、植林奨励の時代にあっても山を残し続けたのではないだろうか。

サクランボが落ちて実生となる。鳥が運んで実生となる。その山桜を、木こりや杣人がコントロールしたのではないか。桜の樹も貴重な材だった。その樹を、ところどころ美しく残したのではないだろうか。

偏在の良さ、というものがあった。人里の桜は、庭先や畦道、河原に点在していて、カーブを曲がると突然現れる。それは植えているというよりも、残しているように見える。並木や樹園よりもはるかに趣があり、心を打つ。スパイスカレーもそうだ。混ぜて食べるとひとくちひとくち味が変わる。人もそうだろう。四万十川に外国人が来てくれてよかった。

道端には野菜や柑橘の無人販売所がある。ほこらのような、屋根付きの小さな木箱が立っていて、お金を入れる小箱がある。防犯カメラなどない。信頼にもとづいた無人販売所は「良心市」と呼ばれ、高知に多いと聞く。

こういうことをやってみたい。盗みたければ盗めばいい。それでもカメラをつけない無人販売所です。同じ条件で、東京、ロサンゼルス、リオデジャネイロ、アジスアベバ、パリ、ロンドン、テヘラン、カルカッタ、上海、ウランバートル、・・・と設置すれば、どんなことが起こるだろう。実験から浮かび上がる高知は、どんな所だろう。

たおやかな春を、私は北上した。風に吹かれた季節、からだを吹き抜けた人生の季節を想う。ぼんやりと生きていく気配。それを赦される気配があった。

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