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陸の漁火

私は家に帰ろうとして、日曜日の夕方だとはたと気付き、方向を変えて海へと車を走らせたのだった。国道をまっすぐ、街を抜け、潮で錆びた廃車の山、漁網の工場を通り過ぎた。右手にぼんやりと明かりを灯した食堂が見えてくる。空き地には車が6、7台停まっていた。

陽は落ち、赤い月が水平線から昇りはじめていた。私は左手にある売店に入り、車を停め、ひととおり店内を歩いて外に出て、月を眺めた。エンジンを始動して道に出て、食堂前の空き地に車を停めた。

軽トラが2台、軽自動車が1台、普通自動車が3台だった。店には暖簾が掛かっている。車から降り、店の窓から客が見えないか確かめた。誰も見えない。左ポケットからスマホを取り出してフラッシュオフを確認する。腰の位置に構え、空き地をゆっくりと歩いて横断する。ノールックで各車ナンバーの写真を撮った。

暖簾をくぐり、がらりと引き戸を開けた。左に厨房とL字カウンター、右に畳敷きの小上がりがある。人いきれと声、匂いがむわっと押し寄せる。小上がりに机がふたつ、3、4人ずつ年配の男が座り、酒を飲んでいた。氷と水、いいちこと思しき焼酎瓶がある。カウンターに男はおらず、L字の曲がった先に若い女性がふたりいた。

店を切り盛りする腰の曲がったおばあさんが出てきた。「ごめんなさい。今日はもう終わりなの」。もう一度ざっと店内を見わたし、そうですか、と振り向き、引き戸を開けて外に出た。

車内に戻り、先ほど撮った写真をチェックする。ナンバーがぶれて車種もわかりにくい写真があったので、車外に出てまた腰の位置に構え、よそ見しながら一枚撮る。シルバーの軽バンが1台、空き地に入ってきた。私は車内に戻り、撮りなおした写真を確認する。

軽バンから出てきた初老の男は銭湯帰りのような小さなプラスチック籠を持っていて、店に向かいながらフロントガラス越しにこちらを見ている。私は目線をスマホに移す。男は店に入った。彼が停めた軽バンの横に自動販売機があった。私は何か飲料を買うふりをしながら軽バンに近づき、ナンバーを撮った。

発車する。帰り道はすっかり暗くなっていた。10分後に停車し、NTTのサイトで公衆電話を検索する。近くに一台あった。営業を終えた農協の駐車場に停め、電話ボックスに入った。財布には10円玉が3枚あり、入れるとピーとおかしな音が鳴ったが、かまわず110番を押した。

「はい警察です。どうしましたか?」。すぐに若い男の声が聴こえた。「〇〇の食堂△△に、車6台ほど乗りつけて、男たちが酒を飲んでいます。以前にも見たんですけど、彼らはこのあと飲酒運転しますので、電話しました」。警官は場所と店名を確認した。「食堂なのに、酒を提供しているのですか?」「それはわかりません。ただ、全員酒を飲んでいます。代行を頼む場所でもないですし、家族が迎えに来るには車が多すぎます」。

「これから飲酒運転するということですか?」「はい。以前にも同じ店で見たんです。間違いなくやります」。

二日前の金曜日が漁の解禁日で、日曜日に彼らはやると睨んでいた。前年、台風が接近して荒天の日があった。店に行くと男たちが昼日中から酒盛をしていた。何食わぬ顔でカウンターに座り、私は飯を食った。そのあと、男たちが車を運転して帰ったかどうかは知らない。

「わかりました。管轄の警察署に報告します。お名前をお聞きしてもよろしいですか?」。迂闊にも、私は自分の苗字を言ってしまった。「ありがとうございました」。そう言って警官は電話を切った。私は家に帰り一息つき、ビールを飲んだ。

翌朝、警察の速報サイトを確認したが、逮捕の情報は出ていなかった。昼になっても、夜になっても、男たちは逮捕されていなかった。

つづく(かもしれない)。


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