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優しい東京

元日、映画を観に行った。割引の日だし、晴れていたし、道も空いているし。街中に出るのは数カ月ぶりだった。

ヴィム・ヴェンダース監督『PERFECT DAYS』。とても良かった。

木漏れ日、カセットテープ、ダイハツ・ハイゼット、フィルムカメラ、ガラケー、スカイツリー、古本、缶コーヒー、竹ぼうき、牛乳、銭湯、コインランドリー、自転車、酒場、影踏み。犬、風、子ども、車、虫、パトカーのざわめき。音楽。

役所広司演じる平山は、東京で公衆トイレの掃除をしている。サラリーマンや子育て中の母親からぞんざいで差別的な対応をとられる。しかし、外国人、子ども、知的障碍者、ホームレスと心の交流をもつ。

私の母は一時期、工場のトイレ掃除をしていた。宗教活動に邁進する母に業を煮やした父が働くことを命令し、信者の紹介で得た仕事だった。それを知った父は、仕事を辞めるように命じた。妻がトイレ掃除を仕事としていることを世間に知られたくなかったからだった。

映画は、とても優しかった。東京を舞台にしても、邦画的ではない。だからといって現実とかけ離れた東京ではなく、平山は存在していると感じさせる。生きづらさと日々の歓びが、順番ではなく乖離もせず、ひとりの人物に同居している。時間と努力の堆積。いのちを味わう意志。

昨年亡くなられた、ベニシア・スタンリー・スミスさんがかつて映像の中で言っていた言葉がある。何が起こったかではなく、どう対処したかが大切なのだと。これは、夫が他の女性に走ったときの苦悩を経た境地だった。

映画は、ジム・ジャームッシュ監督『パターソン』(2016年)を想起させる。ラストの印象的な平山の表情は、アッバス・キアロスタミ監督『桜桃の味』(1997年)で、自分を埋めるための穴に横たわり、月を眺める主人公と重なる。そして、私自身とも重なっていく。

東京で働いていた頃、私も平山と同じような古い集合住宅に暮らした。2Kの部屋を窓も扉も開け放つと、まっすぐに風が通った。大きな桜の樹が満開で、畳に横たわり、私はまどろんだ。

映画は終わり、スマホの電源を入れると、能登半島で地震が起きていた。外は映画のラストと同じように夕暮れて、私は車に乗った。丸亀製麺は休みだったが、その先の吉野家が開いていた。数年ぶりの牛丼に卵と味噌汁をつけた。

帰宅して、畳に布団を敷いて眠りについた。映画館に向かう途中、「25m完泳保証」と書いたスイミングスクールがあったことを想い出した。


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