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真夏の通り雨

住宅地の一角に平屋の一軒家があり、一目して鍛冶屋だとは気づかない。トンテン、カンテン、槌の音が響く。小さな工房には所狭しと道具や工機があり、その奥が住居だった。

職人というものは気難しくて当然という先入観をくつがえし、70歳をゆうに超えているであろう老人はにこやかに私を迎えてくれた。コークスに火が入っていて、かまちには優しそうな奥さんが座っていた。

客の要望に合わせて鍬や鋤などの特注にも応えるという。作業を見学させてもらい、ずらりと並べられた和包丁から小ぶりな一本を選ぶと、端数を値引きしてくれた。

遠い昔、祖父が営んでいた小さな自転車屋を想い出す。私はまだ幼く、壁板には特殊な道具が掛けられ、小さな部品を入れた箱が無数にあり、売り物の自転車が並んでいた。パンクした自転車を高校生が押してくる。祖父は水を張ったたらいにチューブを浸けて傷を見つけると、ゴム片を張り付けて直した。修理代は取らなかった。外には「Miyata」とメーカー名を書いた看板があった。

モリブデンの包丁を仕舞い、私は和包丁で料理をするようになった。あの人があの工房で作った包丁だと思うと愛着もひとしおである。洗った後は、錆びないように布巾で拭いた。

ある朝、連絡が入った。昨夜、鍛冶屋さんから出火して全焼し、奥さんが亡くなったと。

私は訪ねることができなかった。かける言葉もない。10代から修行して独立、工房を構え、所帯を持ち、工業製品に押され、一軒また一軒と鍛冶屋が消えてゆく時代にあって、妻と二人三脚、槌を振るってきたのだった。

それから私は二度引っ越し、鍛冶屋さんからは遠く離れてしまった。ある日、固い缶のふたを開けようとして包丁を差し込み、力を入れると包丁の先が折れてしまった。なんでも直してくれる鍛冶屋さんでもこれは直せない。私は、近くの鍛冶屋がつくった和包丁を4千円で新たに購入した。

火事の翌年、鍛冶屋さんは工房を再建して、また仕事を始めたと聞いた。一夜にしてすべてを失い、立ち上がり、鋼と焔に向き合う。


宇多田ヒカルに『真夏の通り雨』(2016年)という歌がある。母、藤圭子を亡くした後に作詞・作曲され、彼女には珍しく歌詞はすべて日本語である。本当に、名曲だと思う。私の深層をまさぐり、呼びさます。昂らせ、鎮め、染み込み、いざなう。

MVは、柘植泰人という方が監督している。映像がまた素晴らしい。深い洞察と読解、歌の世界に否応なく引きずり込む力量。湿った匂い。切なくはかなく、美しい。

めくるめく映像のなかに、鍛冶のシーンが挿入されている。この人こそ、和包丁をつくってくれたあの鍛冶屋さんなのである。やわらかく揺れる焔が熱を与え、こころに火を灯す。浮びあがる手と横顔。私は彼に再会する。

老境にあって、鍛冶屋さんは今も槌を振るっているという。


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