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パン食べすぎ人間の最適化計画
「我々はパンを食べすぎている」
紺地のローソファーに身体を預けながら、お気に入りのバタースコッチを食べている時だった。
大きな口でかじりついた瞬間から、仄かなバターの香りとふんわりしっとりした生地が嗅覚・味覚の支配権を奪い取って『さあ、バタースコッチ色に染まりなさい』とわたしに語りかけてくる。
咀嚼するごとに意識は甘美で満たされ曖昧になり、脳内では一面にバタースコッチ畑が広がっていた。
噛
"何者か"になりたくて苦しいけど、たぶん、未来から見たら愛おしいのだろう。
家に「Emilia(エミリア)」という名を持つ、テディベアがいる。サラサラと滑らかな美しい光沢のある毛並みに、反射した光を内包するつぶらな黒い瞳。ほんのり口角を上げた口元で、いつもじっと、そこにいる彼女は、日々変わらず"愛らしい"という癒やしをもたらしてくれる。
「Emilia(エミリア)」という名を持って生まれた彼女は、表参道にあるSteiff青山店に並べられ、わたしという人間に見初められた。
フリーランスは毎日が仕事であり、休みである。
フリーランスという生物は、わたしの周囲ではなかなか珍しいのか、友人からは"何をしているのかよくわからない人"と思われていることが多い。
だからこそ、受ける質問もかなりふわっとしたもので、「普段、なにしてるの?」と聞かれることが多々ある。
返答に困った挙げ句「仕事してるよ」と返してしまい、何とも煮えきらない間が生まれるのがいつものルーティン。その後、広告作ったり、記事の校正校閲したり、その時々に
育休後のキャリアに悩む友人に何と答えるべきだったのだろう
好きに生きたらいいのに、という言葉は、薄情に聞こえてしまうのかもしれない。
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空一面に隙間なく分厚い雲が敷き詰められた、湿っぽい昼どき。部活帰りの学生たちに囲まれながら、錆びたコンクリートの階段を降りると、改札の向こうで久しい顔がこちらを見ていた。
高校から続く十年来の友だちと、その子どもだ。この間、会ったときはハイハイしていたはずなのに、しっかり両足で立っている姿に成長の早さを感じて、
「友だちと遊ぶのが面倒くさい症候群」の要因を考えてみる
友だちと遊ぶのは、好きだ。けれど、面倒くさい。
予定を立てるまでは良いけれど、いざ遊ぶ前日になると「面倒くさいなぁ……」と思ってしまう。もちろん当日の朝も「面倒くさいなぁ……」と思っている。
べつに、その友だちのことが嫌いなわけでも、苦手なわけでも、一緒にいてつまらないわけでもない。「楽しかった!」と帰ってくることだって、しばしばある。
それにも関わらず、あまりにも「面倒くさい症候群」を発症
魔法にかけられたい大人のディズニーランド
大型バスから一歩出て、足を地に着けた瞬間、ぴりぴりとした不思議な感覚が身を包む。
緊張のような、ワクワクのような、夢の世界ならではの刺激が足先から頭のてっぺんまでスッと通り抜けて、わたしは思わず息を吐いた。
一歩踏み入れた瞬間、今日が楽しい1日になることを確信させてくれる。
"魔法にかかる"とは、まさに、このことだ。
今年で40周年を迎えるという人生の大先輩であり、幼少期の頃から幾度もお世話
ポンコツな人なんていない。環境が合っているのか、合っていないのか、それだけ。
ポンコツとは、どこかに少し欠陥があったり劣化してしまったりして、調子が悪いことを表す言葉だ。
わたしは「またポンコツなことをしちゃったな」と落ち込み、涙することがよくある。
元より感受性が高く、涙腺が緩いタイプの人間なので、刺激が一定ラインを越えるとすぐに涙が噴水のように湧き上がってくるのだ。
昨夜は洗濯機をまわすつもりで洗剤を投入していたのに、電源ボタンを入れるのをすっかり忘れてしまった。
慣習から解き放たれる。心地よい選択をして結婚行事を楽しんでみたい。
慣習が好きじゃない。
厳密にいうと、伝統は美しく尊いものではあるけれど、「わたしたちを縛る道具として伝統を重んじる慣習」が好きじゃやい。
「両家顔合わせ」という両家の親睦を深めるお食事会において、「××しなければならない」という肩をこわばらせる慣習に、わたしも彼も縛られたくなかった。
大切なのは「一般的な両家顔合わせのマナーを守ること」ではなく「家族同士が喜び合える選択をすること」であるはず
表現する仕事をずっと好きでいたいから、独立する。
わたしは普段、フリーライターとして活動しているのだけれど、まさか大人になってから、諦めていた学生時代の夢を叶えられるとは微塵にも思っていなかった。
ダンスサークルに明け暮れていた大学時代。わたしの活動時間は専ら深夜だった。日本のストリートダンス文化なのか、練習やイベント(ショーやダンスバトル)は深夜に行われる機会が多かった。
六本木の小さな箱で開かれた「SOUL STREET」、ショーにバトル
小説が好き。そして、苦手。
小説はサラリとした紙を一枚捲れば、現実世界を超えた新しい場所へ、わたしを連れていってくれる。
一行読めばそこはもう、主人公がいる世界。現実離れした世界の時もあれば、似ているけれど世界線の異なる世界の時もある。すぐ隣で暮らしているような気にさせる時もある。
わたしは一度、小説の世界に呑み込まれてしまうと、まわりの景色も音も感覚もすべてが消えて、身体と五感まるごとぜんぶを連れて行かれてしまう。
新しい挑戦をするよりも、今ある物を洗練させていきたい。
2022年2月末。
「そろそろ春かな?」と思っても、まだまだ朝は布団から出るまでに時間がかかる。
でも部屋にやってくる風の冷たさは、UNIQLOで買ったモコモコのパーカーと内側ボアのパンツで凌げるほどの温度に変わってきていることは確かだ。ちょっと寒い。でも気持ちいい。先月は感じられなかった心の機微に春の面影を感じる日々だ。
春になると活気よく飛び交うのが #新生活 という言葉だろう。年度が区切