小説が好き。そして、苦手。
小説はサラリとした紙を一枚捲れば、現実世界を超えた新しい場所へ、わたしを連れていってくれる。
一行読めばそこはもう、主人公がいる世界。現実離れした世界の時もあれば、似ているけれど世界線の異なる世界の時もある。すぐ隣で暮らしているような気にさせる時もある。
わたしは一度、小説の世界に呑み込まれてしまうと、まわりの景色も音も感覚もすべてが消えて、身体と五感まるごとぜんぶを連れて行かれてしまう。
すべてを連れて行かれたわたしは宇宙のような空間にフワリと浮かび、見えない透明の管が身体からいくつも伸びて、小説に登場する人物の一人ひとりの心と、カチリと繋ぎ合わされる。
人物たちが生きる度に、わたしも同じように呼吸をして、笑って、泣いて、喜んで、怒って、悔やんで、そして愛するのだ。
人物たちの感情がダイレクトに心に流れてくるものだから、わたしはふと現実世界に戻ってきたときに、人物の感情や精神状態を引きずってきてしまう。
引きずってきた架空の心は、なんとも重苦しい。テンションが上がらなくなって「ああ……」と夕焼けに向かって呟きたくなったり、冷めた目で物事を見てしまったり、何もせずベッドで横になりたくなったり、意味もなく海が見たくなったり、でも近くに海がないから部屋の小窓から駐車場を眺めてみたり、そんな虚無な時間が発生してしまう。
フィクションの世界だと割り切って楽しめたら良いのに、どうもそれができない。感情移入しすぎなのだろうか。
登場人物たちが明るく平和に過ごしている間は良いのだけれど、苦の山を登り始めた途端、わたしはいつも「小説よ、早く終わってくれ」と、心の隅で懇願してしまうのだ。
だけれどページを捲る指先は止まらないし、文字を追いかける瞳は速度を増すばかりで、わたしはわたしのことなんてちっとも考えてくれない。読むのを止めればいいのに、そんな選択肢は初めから持ち合わせていないように、小説の世界に捉われる。
でも。
知らない世界を見られるのが楽しくて、新しい表現や考え方が身体に染み込むのが嬉しくて、登場人物が懸命に生きる姿が尊くて、わたしはこれからも同じことを繰り返しながら、小説を手に取ってしまうのだろう。
小説は苦手だ。でも、やっぱり、好きだ。
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