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記事一覧
蓮實重彦が「大いに気に入ってしまった」『ダンケルク』(二〇一七)論
「群像 2018年 1月号」に掲載された蓮實重彦の随筆「パンダと憲法」は蓮實の映画批評家としての仕事にある程度親しんでいる者にとってそれなりの驚きをもって受け止められた。なぜなら、そこにはこんなことが書かれていたからだ。
「クリストファー・ノーランの新作『ダンケルク』(2017)が大いに気に入ってしまった(……)」
この文章にそれなりの驚きが見受けられたということは、当然ながら蓮實はいまま
ミシェル・フランコ『Memory』戻らない記憶と消せない記憶、ならば未来は?
傑作。2023年ヴェネツィア映画祭コンペ部門選出作品。ミシェル・フランコ長編八作目。デイケアセンターで働くシルヴィアはアルコール依存症から抜け出して13年が経った。心の支えとなってきた娘アンナの独り立ちも視野に入り始め、禁酒会のメンバーからは似たような指摘もされている。ある日、妹オリヴィアに誘われて渋々参加した高校の同窓会からの帰り道、自宅まで後を付けてくる男がいた。ソウルという名の男は初期の認知
もっとみる小津安二郎監督 『東京物語』 : 人間というもの
映画評:小津安二郎監督『東京物語』(1953年)
これほど著名な傑作になると、映画マニアでもなんでもない私が本作を論じたところで、何も新しいことは語れないだろう。だが、そこは開き直って、感じたことをいくつか書いておこう。
ストーリーについては、「Wikipedia(東京物語)」からの引用でご勘弁いただくことにする。
端的に言えば、ごく当たり前の人生を、当たり前に描いた作品であり、老母が亡くなる
F・W・ムルナウ監督 『最後の人』 : 鵜呑みにして良いのか?
映画評:F・W・ムルナウ監督『最後の人』(1924年・ドイツ映画)
『吸血鬼ノスフェラトゥ』(1922年)、『都会の女』(1930年)に続いて、私が観たムルナウ作品の3本目となる本作だが、制作年は、この2作のあいだということになる。
『都会の女』は、ハリウッドに移ってからの作品だったが、本作『最後の女』はドイツ時代の作品。もちろん、モノクロサイレントだ。
この作品は、日本でだと「1926年キネ
蓮實重彦 『ゴダール マネ フーコー 思考と感性とをめぐる断片的な考察』 : これは フィクションである。
書評:蓮實重彦『ゴダール マネ フーコー 思考と感性とをめぐる断片的な考察』(NTT出版)
最近、映画に興味を持ち、ゴダールに興味を持ち、そこから映画評論家としての蓮實重彦に興味を持った。
文芸評論家としての蓮實重彦の文章ならいくらかは読んできたが、映画には、評論を読むほどの興味はなかったので、蓮實の映画評論(作家論・作品論)や映画論は読んだことがなかった。一一というのは、映画評論家としての蓮實
『勝ち馬に賭けろ』の脚本構造と引用集
脚本構造この記事を参照。
『勝ち馬に賭けろ』の脚本構造『勝ち馬に賭けろ』は、11シーンで構成される。
S1:LSDが島崎のもとに届く、小松をトリップに誘う
S2:トリップ。島崎、誰かと電話。後、島崎がいいアイデアを思いつき小松を誘う。
S3:LSDの販売(国分町)、仙台山田組との接触。
S4:儲かったお金を使う。シャンパンと拳銃。
S5:LSDの販売(東北大学)、仙台山田組に捕まる。
S6:仙台
ジョン・フォード監督「静かなる男」〜小林信彦・蓮實重彦・村上春樹が推す
今回も小林信彦「外国映画ベスト50」クエストなのだが、以前に蓮實重彦の“ジョン・フォードこの20本“というリストも取り上げた。
双方に登場するジョン・フォード監督作品が「静かなる男」(1952年)である。
ジョン・フォードはアイルランド移民の子。“フォード“という姓なので、アイルランド系とは思っていなかったのだが、本名はFeeny、ルーツの名前はO'Feeny〜オフィーニーだそうで、これならな
小津安二郎は「変態」である と、 蓮實重彦は言った。
先日、映画監督・黒沢清と、黒沢に大学で「映画表現論」を指導した、言うなれば黒沢の「映画の師匠」である蓮實重彦との対談本『東京から 現代アメリカ映画談義 イーストウッド、スピルバーグ、タランティーノ』(青土社・2010年刊)を読んで、そのレビューをアップした。
はっきり言って、馴れ合いの師弟対談にすぎなかったし、それゆえ蓮實重彦の「嫌味ったらしさ」も、わかりやすく全開になっていたから、そのあたりの