長沢朋哉

広告会社のストラテジック・プランニング部門で働いています。著書に『世界一シンプルな「戦…

長沢朋哉

広告会社のストラテジック・プランニング部門で働いています。著書に『世界一シンプルな「戦略」の本』、『世界一やさしい「思考法」の本 ~「考える2人」の物語』、『新人広告プランナーが入社時に叩き込まれる プレゼンテーシション基礎講座』などがあります。大学では文学部演劇専攻でした。

最近の記事

『ナミビアの砂漠』に宿るダイナミズム

一昨日、映画『ナミビアの砂漠』を劇場で観てきた。この作品について、思ったことを、つらつらと書いていく。 (記事後半では物語の展開に触れているところがあるので、未見の方はご注意頂きたい) 俳優 河合優実について先ずは、河合優実の凄さに触れざるを得ない。 『サマーフィルムにのって』の「視線」 この俳優が世間に知れ渡るきっかけとなったテレビドラマを僕はまったく観ておらず、河合を知ったのは、今年の3月にDVDで観た『サマーフィルムにのって(2021年)』によってである。 この

    • 夏休みの日記:キネ旬シアターに「夏の映画」を観に行きました。

      タイトル通り、この記事は日記みたいなもので、映画の感想文でもないし、ましてや批評でもない。 8月28日(水) 天気 曇り時々晴、最高気温32℃。千葉県柏市のキネマ旬報シアターに「夏の映画」を観に行った。 DVDでしか観たことがなくてスクリーンで観たいと思っていた映画が2本、ちょうど同日にかかることを知り、夏休み(有給休暇)をとって行ってきた。 作品は『ソナチネ』と『サマーフィルムにのって』。どちらも「夏」を舞台にする作品であり、おそらくその観点での劇場のセレクションな

      • 「夏の海」と「かなし」と「ブルー」 (北野武、小林秀雄、そして谷川俊太郎)

        北野武の監督作品『ソナチネ』への、Filmarksに投稿されていたある方のレビューにひどく共鳴した。 小林秀雄が批評『モオツァルト』に記した、有名な「モオツァルトのかなしさは疾走する~」の一節を引いて、北野武の「かなし」と「ブルー」について語っていたものだった。 そうか、「キタノ・ブルー」とは「かなし」だったのだと膝を打った。それは悲しさであり愛おしさであり、そこに美しさを感受する心性の顕れだったのかと。 万葉における「かなし」について検索すると、国文学者の中西進のイン

        • 「市子」と「あん」のこと

          この記事は基本的に僕自身の備忘録のようなものなのだが、何を忘れない為に記したのかというと、杉咲花と河合優実の、それぞれのWEB媒体の記事における発言や寄稿した文章についてである。 僕にとって、杉咲花は昨年公開された映画『市子』での演技が、河合優実は現在公開中の映画『あんのこと』での演技が、それぞれ、戦慄を覚えるほどのものだった。 二作はいずれも、社会において可視化されていない、法規をはみ出して生きざるを得ない人間を描いた作品であり、作品の印象、あるいは主人公である「市子」

        『ナミビアの砂漠』に宿るダイナミズム

          『あんのこと』 ~ 無垢の笑みを思う~

          劇場で『あんのこと』を観た。薬物常習者である若い女性が周囲の助けを借りて更生していくさまを描いた映画である。 実話に基づく物語であり、河合優実演じる杏(役名)、佐藤二朗演じる多々羅(役名)、稲垣吾郎演じる桐野(役名)にはモデルとなった実在の人物がいるとのことだ。 (この記事は映画の結末等には触れていないが、プロットの重要な展開について触れている箇所がある。未観賞の方はご注意いただきたい。) 映画の制作の切っ掛けとなったのは、2020年6月の新聞記事とのことで、その記事は今

          『あんのこと』 ~ 無垢の笑みを思う~

          連続ドラマ『パーセント』と映画『サマーフィルムにのって』に感じる熱量

          普段は連続ドラマを視る意欲があまり湧かない質なのだが、伊藤万理華が主演であるということから興味を持ち、50分×4話なので、先日このドラマを録画で一気見した。 伊藤主演の2021年公開の映画『サマーフィルムにのって』が素晴らしい作品で、そちらでは伊藤は「高校の部活での自主映画の監督」だったのだが、こちらでは「テレビ局の新米ドラマ・プロデューサー」であった。そうした役柄の類似性もあり、その点でも興味が増した。 伊藤万理華について『パーセント』の感想としては、やはり伊藤の演技が

          連続ドラマ『パーセント』と映画『サマーフィルムにのって』に感じる熱量

          『関心領域』に思った「慣れ」の怖さ。

          映画、『関心領域』を観てきた。 この映画は、ナチス政権下のドイツ、アウシュビッツ収容所の「隣」の邸宅で暮らす、ドイツ人一家の物語である。 その家は見事に整えられた大邸宅であり、広大な庭をもち、夫婦と小さな子どもたち、そして使用人が暮らしている。 その邸宅は、そこに住む家族にとっては「平和」で「安心」できる居場所であるのだが、有刺鉄線の張られた壁の向こうの建物の煙突からはもくもくと黒煙が上がり、時折、人の叫び声やら銃声やらが、聞こえてくる。大きな音ではないにせよ、それは劇

          『関心領域』に思った「慣れ」の怖さ。

          「ご都合主義」を超えて ~ 映画の嘘とショットの力

          ■はじめに~「ご都合主義」とはこの記事は、映画作品における「ご都合主義」を揶揄または単純に批判するものではない。とはいえ積極的に擁護するものでもない。 「ご都合主義とは何か」については後ほど僕なりの整理を試みるが、本記事は「映画に(ある程度の)嘘は付きもの」であることを前提にしつつ、「どうせならうまく騙してほしい」と主張するものである。 下に引用した文章にもあるように、「ある種の嘘と映画の魅力は切り離すことができ」ない。「嘘」の中に「ご都合主義」も含まれるとするなら、そ

          「ご都合主義」を超えて ~ 映画の嘘とショットの力

          『サマーフィルムにのって』オーディオ・コメンタリーへの私的コメンタリー

          はじめに2021年にミニシアター系の映画館で公開されたこの『サマーフィルムにのって』のことは、評判が良かったらしいことがぼんやりと記憶にはあったが、それ以外になんの予備知識もなかった。 2024年3月のある日、レンタルDVD店の棚に見つけて借りてみたのだが、その時点でそこまで期待が大きかったわけでもない。 SF要素が含まれることは予告編などでも事前に告知されていたようだが、僕はDVDの再生を始めた時点でそのことは知らず、「高校の映画部を題材にした青春映画(演劇部が題材の『

          『サマーフィルムにのって』オーディオ・コメンタリーへの私的コメンタリー

          「詩とはなにか」という問いへの二百五十個くらいの答え

          「詩とはなにか」という問いに対して、詩人や批評家や研究者はどのように答えているのか。そんな好奇心から、書棚にある詩論や詩にまつわる本から、それらしき「答え」を抜き出してみようと思いたった。 何冊かの本の頁をめくっていく中で、そこで紹介されていた別の本を買い求めたり図書館で借りたりし、そうこうしているうちに、その「答え」の数は膨れ上がった。 この記事では、その中からまず、私が気に入った十五の「答え」を並べている。その後、記事タイトルにあるように、おおよそ二百五十くらいの「答

          「詩とはなにか」という問いへの二百五十個くらいの答え

          新年の「詩」(年賀状アーカイブ2007-2020)

          ある時期、ごく私的な年賀状に、新年を題材とする近・現代詩を使わせてもらっていた。(親類などに出す家族名義のものとは別に、個人で出すごく少ない枚数の賀状) 2020年(令和二年)を最後にやめてしまったが、個人的なアーカイブとして、少しばかりの感想(+批評の真似事)を添えてここにあげておくことにした。(住所氏名はマスクしている) 「今年も」が繰り返されたあとの、「決心はにぶるだろう今年も/しかし去年とちがうだろうほんの少し/今年は」が、たまらなく好きな一節。この詩人らしい巧み

          新年の「詩」(年賀状アーカイブ2007-2020)

          「今年の映画ベスト10」って、皆さん、どんな基準で選んでいるのだろう。

          「良い映画」の基準とは 年末のこの時期には、多くの方が、色々なジャンルで「今年のベスト10」といった情報発信を行っていて、そうしたランキング自体にはあまり興味を持たないのだけれど、「どのような基準で、それを選んでいるのだろう?」ということには少し興味がある。 「今年の映画ベスト10」ならば、それはつまり「今年観て、良かった映画10本」のことであろうが、その「良さ」とは、そもそもどのような基準からの「良さ」なのだろう。 想像するにおそらくは、「感動した」「笑えた」「泣け

          「今年の映画ベスト10」って、皆さん、どんな基準で選んでいるのだろう。

          ヴェンダースの『PERFECT DAYS』とジャームッシュの『PATERSON』、二つの幸福論。

          出来るだけ余計な予備知識や事前情報を入れずに観たかったので、『PERFECT DAYS』を公開日の翌日(12/23)に観てきた。 ヴェンダースのフィルム、そこに流れる歌がルー・リードとくれば、否が応でも期待は高まるわけだが、期待にたがわず、端的に言って、僕の好きなタイプの素晴らしい映画だった。 ひとまず、自分の備忘録もかねて、感じたことをつらつらと書いていく。 (ここからは、いわゆるネタバレを少し含むので、未見の方はご注意ください) この映画はかちっとした起承転結的なス

          ヴェンダースの『PERFECT DAYS』とジャームッシュの『PATERSON』、二つの幸福論。

          映画『福田村事件』のパンフレットを読む ~「国家という大きな社会」と「村落という小さな社会」

          公開日の翌日である9月2日に、この映画を観た。シナリオ、撮影、俳優の演技といった、映画としての基本的なクオリティの高さに、正直に言えば驚いた。 その日はパンフレットを購入しなかったのだが、ネットの情報でシナリオ全文が掲載されていることを知り、9月5日に映画館に再び出向いて購入した。 一読して、そのパンフレットの内容の濃さに改めて驚いた。価格的に決して安くはないのだが、新書一冊分くらいの情報量があるのではないか。 そこには、 ●この映画(以下「本作」)が作られるきっかけの

          映画『福田村事件』のパンフレットを読む ~「国家という大きな社会」と「村落という小さな社会」

          君たちは『君たちはどう生きるか』をどうみるか ~ めためたなメタ批評もどき

          はじめにこの記事は、宮崎駿/宮﨑駿(1941-)による映画『君たちはどう生きるか』についてネット上に(主に無料で)公開されている批評や考察記事から、私が強く興味をもったものを備忘録を兼ねて多少の分析を加えながら整理したものだ。 タイトルに「メタ批評」などと大それた語を用いているが、そんなことをちゃんとできる能力はないので「もどき」としている。 先に正直に申し上げるが、ここで取り上げる書き手の方々について、殆どの方を私はまったく存じ上げなかった。さらに言えば、私はいわゆる批評

          君たちは『君たちはどう生きるか』をどうみるか ~ めためたなメタ批評もどき

          映画が「分からない」とは、どういうことか? ~「君たちはどう生きるか」を観て考えたこと

          公開日のレイトショーで『君たちはどう生きるか』を観てきた。ただしこの記事は、この映画についての批評や感想ではない。 ツイッターでこの映画の評判を眺めていて、「(この映画が)分からなかった」と投稿している人がまあまあ多いような気がして、はてさて、そもそも映画が「分からない」とはどういうことなのだろうと考えてみた。 おそらくその「分からない」には、いくつかのタイプがある。代表的なものは「物語自体が分からない」場合であろうが、まずはそれ以外の「分からなさ」について、あらかじめ触

          映画が「分からない」とは、どういうことか? ~「君たちはどう生きるか」を観て考えたこと