#エッセイ
【おやすみ前に、お砂糖ひとさじ】人生脚本から足を出してみる-白黒思考編-
「今日のプレゼンでうまく発表ができなかった、もう全て終わりだ」
「落ち込んでいる友達にいい励まし方ができなかった、これで友情関係も破綻してしまう」
そんな風に思う時、あなたの頭の中は白黒思考になっているかもしれません。
だけど冷静に考えてみると、その一回でなにもかもが崩れ去ってしまうでしょうか。
いくつか思い当たる出来事があったから、ということもあるかもしれませんが、それでも完璧に二分割で失敗か
【おやすみ前に、お砂糖ひとさじ】報われない日々を抱きしめて
"私はこんなにやっているのに"そうでないあの子の方が可愛がられる
"私は圧倒的に正しいのに"そうでないあの人の意見が歓迎される
日々の生活を送る中で、自分の頑張りや正しさが報われないように感じること、きっとたくさんあると思います。
そう感じて悲しみや苛立ちを感じている時は、あなたの心の中で「認められたい自分」がひっそりと涙を流している瞬間です。
その悲鳴に気が付いて自分を認めていけたら、気持ちも
【おやすみ前に、お砂糖ひとさじ】自分軸と"そうすべき"の持つ力
"朝早く起きるべきなのに"
"仕事も家庭もしっかり両立させるべきなのに"
そんな、"こうすべきだから"そうしなきゃと思うことは、意識していなくても少し考え直してみると、思い浮かぶことがたくさんある方も多いのではないでしょうか。
でもその"すべき"は、本当に必要なものでしょうか。
もしかしたら本当は必要じゃない"すべき"もあって、考えてみると手放していいものに苦しんでいる自分が見つかるかもしれません
【おやすみ前に、お砂糖ひとさじ】負けず嫌いでありたい場所はどこ
"あの人は同い年だけど自分より色々なことができていてすごい"
"この前会った人は物凄く優秀でコンテストでたくさん賞をとっている"
こんな"すごい人たち"を前にして、イライラしてしまったり、自分を否定してしまったりすること、あると思います。
自分よりすごい人の話を聞くことが、自分が負けた気持ちになって面白くなかったり、その人と比較して箸にも棒にも掛からない自分に焦燥感さえ抱いたり。
負けず嫌いな性
スタンド・バイ・ミー
当時ブログに書いた文章をnoteに載せてみたくなりました。
=2004.11.20の記事=
「スタンド・バイ・ミー」
言葉は命である。
哲学者の池田晶子は、著書『あたりまえなことばかり』で書いています。
死の床にある人、絶望の底にある人を救うことができるのは、医療ではなくて言葉である。宗教ではなくて、言葉である。
この文章を読んだときの衝撃を忘れることができません。なんて力強い言葉なのだろ
個の話を普遍的なテーマへ開くにはどうしたらいいのか?【エッセイ】
『開かれた文章はどうしたら書けるか』
これははつかさんから頂いた文章相談の言葉で、収録時にどの意味合いでこの言葉が使われたかはっきりせず明確に答えられずにいたものだ。しかし、番組公開後、はつかさんご本人よりしっかりと明言化されましたので、この場でお答えしたいと思う。
個を語りながら一般化する文章?というか、自分のことを書きながら読者を引き込むためには、という意図で『開く』と表現したんだと思いま
引き算は十分な足し算ができるからこそ
店員さんに絡まれるのがイヤこう思ってる人
実は一定数いるんじゃないだろうか。
特にハイブランドの化粧品やちょっといいアパレルショップ。
こちらは色味を見たいだけなのに
サイズを確認したいだけなのに
いきなり話しかけられると
うう…となってしまう。
買うつもりがないから
「いえ、見ているだけです」と言い
結局何も確かめられないまま
その場を離れる。
確認作業ができなかったので
購買意欲が下がり
図太くなろうと頑張らなくて良い~仲間の繊細さんたち(HSP)へ、そうでない人たちへも~
「図太い」って、最近は誉め言葉で使う。「繊細」は対義語みたいに、少し否定的な意味が含まれる。だから「繊細じゃなくて図太い方が良い」といった風にその言葉を使う。私もそれが自分をラクにする方法で良いのだろうなあと思ってきていた。
自分を図太くて精神力が強いと思いたいから、そうでもないんじゃないかと気づいた瞬間があると、「そんなはずはない!」と抵抗したくなる。繊細な部分や揺れやすい部分があると知って