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可能なるコモンウェルス〈82〉(終)
人民自身の中から発生してきた政治的諸活動と秩序の自発的機関として、相互に全く無関係に発生した、あらゆる地域的な評議会はしかし、種々雑多な人間集団の中で、それぞれ個別に評議会として作られることとなったその結果、多かれ少なかれそれぞれ偶然的であったその、互いの個別的な組織同士の近接関係が、やはりいかんせん一つの政治制度へと収斂されていった(※1)というようにアレントは指摘する。この収斂の過程において
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可能なるコモンウェルス〈81〉
「人民による活動と秩序の自発的機関として、何故かいつでも自然発生的に出現してきた、評議会と呼ばれる政治体は、明らかに自由の空間なのであった」(※1)というように評するアレント自身の、その政治観や歴史観については、「あまりに古代ギリシャを理想化し過ぎているのではないか?」という批判が、しばしば常套句のように浴びせかけられることがある。
だがむしろ、上記のような発言からも見てとれるように、アレント
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可能なるコモンウェルス〈80〉
評議会と呼ばれた政治体が実際に出現してきたそのとき、一般的な見方としてそれは「革命的な解放闘争などにおいて出現してくる、本質的に一時的な機関であるのにすぎない」(※1)ものだと考えられていたのは、アレントも証言している通りである。
その反面において、「恒久的・持続的に機能する機関」として、常に人々の念頭に置かれていたのは、言うまでもなく「議会制もしくは政党制」なのであった。その考えを信奉し支持
可能なるコモンウェルス〈79〉
個々に出現した実際の政治体として評議会は、その出現の度毎に「それまで全くなかったものであるかのようにして出現」(※1)してくることとなる。つまり少しその言い方を変えるなら、個々の実際の評議会は、その出現の度毎に「それまでになかった全く新しい政治体」として出現してくることとなるわけである。だが人々はなぜか、それが実際に出現してくる度毎に、その政治体を「ある一定の形式において見出す」こととなり、なお
もっとみる可能なるコモンウェルス〈78〉
あるべき状態でも、理想的な形態でもない、「現にある日常を生きていく中で実際そうしていたら結果そうなったもの」であるような、そんな「現実的経験の産物」として生じてきて、そして現にそのようにして実在している、「この政治体」。けっして意図したわけでもないのに、しかしなぜか事あるごとに必ず人は、「その形式をもって」ある一定の形態を有した政治体を、各々の手によって作り出すことになる。
そのような政治体こ
可能なるコモンウェルス〈77〉
「極めて新しい経験にもとづいていた、その創設の過程」については、たしかに「極めて深刻な記憶喪失」に陥ったものではあったのだが、一方で「世界そのものであろう」としていた、その「野望」については、アメリカはその後においてもなお、それをけっして忘れ去るということはなかった。たとえその野心により「世界と対立」し、ゆえに「世界から孤立した」としても、そのことについてだけは、けっしてアメリカは「忘れ去ること
もっとみる可能なるコモンウェルス〈76〉
結合することによって増大し、増大することによって強大となる。そのような「国家像」をアメリカ建国者たちはまさしく、「偉大なる教師」古代ローマから学んだのだと言ってよい。
彼らはたしかに、ローマに「学びはした」のではあった。とはいえ、学んだからといって必ずしもそれに「倣おうとした」というわけでもなかったのであった。彼らがローマから学んだこととはむしろ、「《現に・すでに》自分たちが為していることとは
可能なるコモンウェルス〈75〉
萱野稔人は、「敵と友」の区別はけっして基底的な原理というものではなく、自らが有益だと判断するものを、あらゆる手段によって獲得しようとする運動が、そのような「敵と友」の区別を生じさせているわけなのであって、ゆえに「敵と友の区別」とは、そのような運動からの一つの派生物にすぎない(※1)のだというように、スピノザの『神学・政治論』を参照しつつ語っている。つまり「敵」や「友」というのは、そもそも事前から
もっとみる可能なるコモンウェルス〈74〉
「拡大されていくコモンウェルス」とは、「それ自体としてそのまま『世界そのもの』となるように構想された」ものであると言うことができる。これは、アメリカを「新しい世界として創設した現実の経験」から出発している観念であって、なおかつそ事実に裏付けられた観念として、すなわち「現実において実際に成立したもの」として表象された観念であった。
だがそのような観念を、「今後の未来においてもまた、現実にありうる
可能なるコモンウェルス〈73〉
アレントは、「明らかにアメリカ憲法の真の目的は権力を制限することではなく、もっと大きな権力を作り出すこと、全く新しい権力の中心を樹立し、それを正式に構成することであった」(※1)と言っている。このような考えは、「憲法とは、権力を拘束し抑制するものとして機能する」のだという、いわゆる一般的な「立憲統治」の理念とは、一見して対極にあるかのように思えるものである。
ただし「権力=コモンウェルスとは何
可能なるコモンウェルス〈72〉
「一つの」国家としてのアメリカ共和国=合州国。その設立と、それに引き続く憲法制定に奔走した人々は、「より大きな『力』の結合」として彼ら自身が現実に経験した、アメリカ植民社会における「拡大=増大されたコモンウェルス」創設の過程にこそ、その正当性および権威性を見出していた。
「…独立宣言に先行し、あるいはそれと平行し、あるいはそれにつづいて、十三の植民地がすべて憲法を作成した…。」(※1)
この「
可能なるコモンウェルス〈71〉
新共和国国家アメリカの設立、その課題の中心には実際さまざまな意味合いにおいて、「大きさ」という一つの事柄が、強い意味合いをもって浮かび上がっていたものであった。
「…共和政体は、それが連邦制の原理にもとづいているばあいには、拡大してゆく大きな領土にも適用できるというモンテスキューがたまたまおこなった指摘を、マディソンが自信をもって確認し、精密なものにしたのは、理論よりは、むしろ、この経験があった
可能なるコモンウェルス〈70〉
アメリカ植民社会はその初期の段階から、「一つの権力の下に多数の者が支配される」というような統治形態を想定しなかった。むしろ「一人一人がそれぞれ独自にそれぞれの権力=コモンウェルスを、すなわちそれぞれの生活の維持発展のために行使できるそれぞれの《力と自由》を、それぞれが独自に所有し、それにより《社会》は、それぞれ一人一人独自のコモンウェルスの結合体として構成される」ものとして考えられたのである。
可能なるコモンウェルス〈69〉
いわゆる「万人の万人に対する戦争」と形容されるところの、人間世界における自然状態の「恐ろしさ」というものとは、その「戦争の結果」として、人間同士それぞれの間での「境界」が確定されること、すなわちその戦争の結果による「社会状態の成立」にあるわけではなく、むしろ「戦争の可能性が無際限にある」ということ自体にあるのだと考えられる。つまり、「可能性」という何ら未だ確定も成立もしてはいない、人間と人間同士
もっとみる可能なるコモンウェルス〈68〉
アメリカ植民者たちは、自分自身の生活を維持し発展させ、その生活領域を保護し拡大していくことのために行使できる「《力と自由》を、それぞれ独自に所有し、かつそれぞれ独自に運用することができる」ということを、入植の段階においてあらかじめ知っていた。なぜなら彼らは「そのため」にこそ、わざわざ遠くこの地に赴くことを決断したのだから。
しかしこのような「力と自由」は、彼らの誰一人として、それを「他の誰かか
可能なるコモンウェルス〈67〉
ここで今一度、一般的な社会契約説の見方を引っ張ってくるならば、入植当時のアメリカ「新世界」とはある意味まさしく、「自然状態」だったのだと言えるだろう。しかしだからといって、入植当初の「法も権力もない世界」の中で、人々がいきなり互いに奪い合いや殺し合いを始めたなどということはもちろんなかったのである。見ず知らずの者と思いがけず出会い、ある種の緊張感が漂う場面では大体、相手の出方がわからないうちはこ
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