可能なるコモンウェルス〈77〉

 「極めて新しい経験にもとづいていた、その創設の過程」については、たしかに「極めて深刻な記憶喪失」に陥ったものではあったのだが、一方で「世界そのものであろう」としていた、その「野望」については、アメリカはその後においてもなお、それをけっして忘れ去るということはなかった。たとえその野心により「世界と対立」し、ゆえに「世界から孤立した」としても、そのことについてだけは、けっしてアメリカは「忘れ去ることをしなかった」のだ。
 たとえば、自国の大統領によって提唱されながら、結局自らにおいてはその条約の批准を拒んだ、かつての「国際連盟」についても、「そのような世界同盟とはすなわち、『アメリカそのもの』のことではないのか?」という観念が、その拒絶の背後にあったのではないかと考えられる。「世界そのものであるアメリカ」がなぜ、「その一員として、それに含まれる」ことにならなければならないのか?そんな考えがおそらくどこかしらにあったことだろう。

 しかしもちろん、アメリカがまるで駄々っ子のように、ただただ「外の世界に対して反発していただけ」でなかったのは、歴史的な諸事実からして明白なことだ。むしろ「アメリカのローマ化」は、現実のものとしてよりいっそう強められていったと言っていい。「《アメリカ》というコモン・ウェルス=共通した幸福観念を、世界中に持ち込むこと」によって、現実に「世界はアメリカになっていった」わけなのだから。ここに至り「アメリカを世界にする」という野望は、「世界をアメリカにする」という野心に転換され、その結果として、「世界をローマにするという、偉大なる教師の遺訓」を、そっくりそのままの形で継承することになった。いや、むしろより大きな規模でそれを実現するに至ったのである。
 その端的な例を挙げれば、第二次大戦後の「日米同盟」なるものもやはり、そういった「ローマ的システムの、現代的な適用」として、その「理念的な実験の一つ」だったと見なすこともできよう。「属州としての日本の非武装化」と、それに対する「新しいローマ=アメリカによる保護と支配」が、もはや表裏でさえなく「《そのもの》として一体」となっていたことは明白である。
 そしてその同盟関係下での「自主憲法制定」については、本来むしろその「同盟への敵対として、矛盾となる」はずのことなのである。その逆に「護憲的平和主義」の主張が、「アメリカに対する日本独自の主権」を前提にしていることにおいても、実は「この憲法を護ることが、この同盟関係を護ることでもある」という意味合いにおいて、これまた「矛盾」になっているのだ。

 ともあれ現今に至り、「世界は、アメリカというコモン・ウェルス=共通した幸福観念の下で一つ」になったわけである。それに対する反発も結局は、「その世界の内部」で発生しているものにすぎない。
 ただしもちろんこのことでさえも、今となってはすでに「古い観念」になりつつあるというのもまた、現実の状況ではある。「結果だと思われていた事象もまた、単に過程であったのにすぎなかった」と気づかされてしまう、「歴史の流動性」なるものからは、けっして誰も免れえないだろう。
 一方たとえそれが「結果」であろうと「過程」であろうと、少なくともそのような「現実の経験」があったというのもまた、たしかなことのはずだ。「われわれ」がそこで思い出すことになるのが、おそらくただそれだけのことなのだったとしても、しかし少なくとも「そのことだけには、確信を抱いてよい」はずなのではないか。

〈つづく〉

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