可能なるコモンウェルス〈76〉
結合することによって増大し、増大することによって強大となる。そのような「国家像」をアメリカ建国者たちはまさしく、「偉大なる教師」古代ローマから学んだのだと言ってよい。
彼らはたしかに、ローマに「学びはした」のではあった。とはいえ、学んだからといって必ずしもそれに「倣おうとした」というわけでもなかったのであった。彼らがローマから学んだこととはむしろ、「《現に・すでに》自分たちが為していることとは、一体《何》なのであるか?」についてであったと見るべきである。「自分たちは一体《何を為すべき》なのか?」については、彼らは「すでに理解していた」のであり、なおかつ「現に・すでに為していた」のである。
もう一つ彼らがローマから学び取ったのは、自分たちが現に・すでに為していることが「今後どうなるものなのか?」ということについて、その「先例」という意味合いにおいてである。ゆえに彼らアメリカ建国者たちがもし、偉大なる教師であった古代ローマに倣って自ら為すべきこととして思い浮かべるものがあったとすれば、それは「『ローマを再び』建てることではなく、『新しいローマ』を創設すること」(※1)だったわけであり、彼ら自身としての「我々のローマ」を創設することだったのである。
しかし一方で、アメリカ建国者たちが「偉大なるローマの先例」に倣い、自らのものとして取り入れた「増大のためのコモンウェルス」は、結果としてアメリカ建国過程における「全く新しい政治経験」に対する、一種の「記憶喪失」をもたらすことにもなったのであった。それは、アレントが指摘するような「全く新しい特異な経験の、その過程に対する恐怖」によるものであったというよりも、むしろごく単純に、その「結果による恍惚」によってもたらされたものだと考えられてよい。
結合によって増大し、増大によって強大となる。その結果として得られた「上位権力の、あまりの強大さ」に、そもそも「その『力』の源泉」としてそこに結合されている、下位諸権力の「『力』それ自体」が、いつの間にかすっかり忘れ去られていったのである。それら下位諸権力の「『力』それ自体」は、結局のところ「上位から分割されたものとして下賜されている」かのように受け止められ、選挙などの限定されたタイミングで時折その顔を覗かせる程度の、極めて凡庸な「権利」になってしまっていた。
そしてそのことがますます、「上位権力を、より強大な一つの権力に増大(増長?)させていった」わけである。このようにして、図らずもジェファーソンが『ヴァジニア覚書』において警鐘を鳴らしていた懸念が、はたして現実のものとなってしまったのであった。
さらにその一方ではまた、「あまりにも強大なものとなるまでに増大していった、かつてのローマ帝国」が、結果として一体どのような「末路を辿る」こととなったのかということについても、結局のところアメリカの人々は、その「自らの得た強大さ」の陰に覆い隠してしまうことで、二重の記憶喪失に陥っていたのであった。「アメリカ合州国」は「合衆国」となり、「その創設の過程が、極めて新しい特異な経験にもとづいていた」にもかかわらず、「結果として極めて凡庸な主権国家」となった。アレントの基準に照らすとそれは、フランスやその系統に属する「平凡な諸革命の結果」と、たしかに必ずしも「全く同じ」とまでは言わないにせよ、しかしやはり「大して変わりがない」という程度には「失敗だった」と言えるのかもしれない。少なくとも「その結果として生み出されたもの」について言えばそれは、「どちらにせよほとんど同じようなだった」わけなのだから。
〈つづく〉
◎引用・参照
※1 アレント「革命について」