可能なるコモンウェルス〈69〉
いわゆる「万人の万人に対する戦争」と形容されるところの、人間世界における自然状態の「恐ろしさ」というものとは、その「戦争の結果」として、人間同士それぞれの間での「境界」が確定されること、すなわちその戦争の結果による「社会状態の成立」にあるわけではなく、むしろ「戦争の可能性が無際限にある」ということ自体にあるのだと考えられる。つまり、「可能性」という何ら未だ確定も成立もしてはいない、人間と人間同士における「境界=制限のなさ」というものが、かえってそれをめぐる「イニシアティブ=主導権の抗争から、その拡大の制限自体を奪っている」というわけである。ゆえに、自然状態の恐ろしさはこの「可能性という制限のなさ」に由来していると見なしうるわけなのだ。
そのような「戦争の可能性が、現実として無際限に、自身のその『眼前にある』ことの恐ろしさ」を、入植初期の移住者たちはすでにあらかじめ知っていたのであった。だからこそ彼らは、新大陸へと実際に足を踏み入れるよりも前の段階、航海途上の植民船の上で、いわば「戦争が始まるより前に、その『戦後』をあらかじめ先取りして、未だ勃発してはいない戦争の、その和平協定を取り結ぶ」かのように、移民者同士で互いに、とある一つの「盟約」を取り交わすに至ったわけなのであった。見方としてはある意味で、「それぞれ互いの力と自由の制限が、むしろかえってそれぞれの力と自由を保護するものでもあるのだ」ということを、彼らはそのような形で「あらかじめ知っていた」のだということにもなるのかもしれない。そしてこのような「社会的な振る舞い」というのは、彼らがその、未知の世界へと足を踏み出す以前の日々において、彼ら自身がとある一つの権力の下で支配されていた、その現実的な政治的経験に由来するものであり、かつその経験が「現実的な権力の、その無制限な恐ろしさ」を、彼ら自身の骨の髄にまで叩き込むような苛烈さを孕んでいたのだというように推察することもできよう。
移民たちのこういった行動は、たしかにある種「狡知の発現」のようでもあり、さらに言うと後の「アメリカ社会の限界」を予見しているもののようでもある。しかし逆に、彼らが思い浮かべる「力と自由」は、けっしてそのような位相にあるものではありえないのだということを、彼ら自身としてあえて宣言するものともなっていたというように受け取ることができるだろう(知られているように彼らの大半は経済的困窮からであるよりも、むしろ政治的・宗教的な迫害と弾圧の「恐ろしさ」から逃れてきた清教徒たちであったことについて、一応念のためここに付け加えておく)。
とはいえ、これまた誰もがすでに知っているように、その後の現実のアメリカ社会は、まさに「そのような位相にある力と自由」を追求するものとなっていったという意味では、逆説的な結果としてこれが「アメリカ社会なるものの限界を露呈する」ところとなってしまっているわけなのではあるが。
〈つづく〉
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