可能なるコモンウェルス〈70〉

 アメリカ植民社会はその初期の段階から、「一つの権力の下に多数の者が支配される」というような統治形態を想定しなかった。むしろ「一人一人がそれぞれ独自にそれぞれの権力=コモンウェルスを、すなわちそれぞれの生活の維持発展のために行使できるそれぞれの《力と自由》を、それぞれが独自に所有し、それにより《社会》は、それぞれ一人一人独自のコモンウェルスの結合体として構成される」ものとして考えられたのである。
 ひいてはこの「それぞれの構成体は『増大のために』考えられる」(※1)ところのものとして、実際にそれを構成する人々の間で認知認識されるところとなり、またそのような増大のための「拡大の原理は、拡張や征服ではなく諸権力のいっそうの結合(コンビネイション)」(※2)として構想されるところとなった、とアレントは分析する。
「…それらの構成体は、『生活を共にしている』人びとの相互約束に、さらには(…中略…)『今後いかなるときでも(自分たちの)仲間に加わるような人びと』のことも考えていたような人びとの相互約束に、もとづいていた…。」(※3)
 この構想の下での「社会の拡大」とは、「一つの権力が他の権力を攻撃・侵略することによって、それを『無力化』して征服し、その征服によって権力の領域が増大拡張されていく」というようなものではもちろんなかった。それぞれ独自の権力が、その「独立性と自立性が維持されていること」にもとづいて、そのようにそれぞれが権力として自立・独立したまま互いを結合させていくということ、そして何よりそのプロセスを「相互において約束し合うこと」により、それぞれこの社会構成体の「仲間として加わって」いく。アメリカ植民地「社会」とは、そのような形で「社会が増大していくこと」を前提としていたわけであった。
 そしてこのことは、「その社会に現に生活を共にしている者」だけではなく、「今後その社会での生活を共にするであろう者たちをも含めた社会」として、すでに前もって考えられていたわけである。そのような者たちは、「現にあるこの社会には、現にいない者たちであって、ゆえに現にある一つの権力の下においては、けっして拘束することのできない者たち」であった。現にいない者たちを、一体何処の誰が「支配できる」ものだろうか?だから一般に「現実の支配者」は、そのような者たちのことなどはもちろん最初から無視している。しかし、かえってアメリカ植民社会では、むしろ「まず最初に、そのような者たちのことから考える」のであった。なぜなら、現に彼ら植民移住者たち自身こそ、そのように「未来から加わってきた者たち」だったわけなのだから。遠く海を渡り、この「新世界」に降り立った瞬間から、それがまさに「現実の経験」となっていったわけなのだから。
 未来からやってきて、今この現実の社会においてその創設と結合の事業に加わる。これを「政治の経験」として位置づけたことがまさしく、後々アメリカの独立革命および新国家設立という「具体的な政治的事業」にも大きな影響を与えていくこととなるわけである。

〈つづく〉

◎引用・参照
※1 アレント「革命について」
※2 アレント「革命について」
※3 アレント「革命について」志水速雄訳

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