可能なるコモンウェルス〈67〉

 ここで今一度、一般的な社会契約説の見方を引っ張ってくるならば、入植当時のアメリカ「新世界」とはある意味まさしく、「自然状態」だったのだと言えるだろう。しかしだからといって、入植当初の「法も権力もない世界」の中で、人々がいきなり互いに奪い合いや殺し合いを始めたなどということはもちろんなかったのである。見ず知らずの者と思いがけず出会い、ある種の緊張感が漂う場面では大体、相手の出方がわからないうちはこちらから迂闊に手を出さず、まずは互いに探りを入れ合うといったところから、実際のところ人間同士の現実的な「接触」というものがはじまっていくものだろう。
 一方でこのような「探り合い」を、ある種の「戦争状態」と考えることもたしかにできよう、そこに「緊張関係」があるというのは間違いのないことなのだから。しかしそれもまた、「現実の一つの見方」にすぎない。ともあれ、互いの立場が明白に定まっているわけではない、「社会的な関係」がそこにはたしかにあった、ということが「事実」としてある、まずはそれのみである。そして、「自然状態」とは要するにそのような「そもそも社会的な状態」を指すのだ。ひいてはそのような、「社会的な関係が日常的に経験されていた」ということが、アメリカ新世界という現実において、「政治として表出されていた」のだと考えることができるはずなのである。

 アメリカ植民社会が「現実の政治経験」として知った「権力=コモンウェルス」については、フランスの啓蒙的政治思想家シャルル・ド・モンテスキューの考えによって裏書きされていたものであったとアレントは言う。
「…モンテスキューは、権力と自由は同じものに属しており、概念的にいえば、政治的自由は『私は意志する』(ジ・アイ・ウィル)にあるのではなく、『私は成しうる』(ジ・アイ・キャン)にあり、したがって政治的領域は、権力と自由が結合しているものと解され、またそのように構成されなければならないと主張した。…」(※1)
「…モンテスキューは、建国者たちが植民地の経験から正しいと知っていたこと、すなわち、自由とは『そうする気ならどんなことでも成し、あるいは、成さないでおく自然的力(パワー)』であるということに確証を与えたのである。…」(※2)
 そしてそれは「植民地での経験以前」において、実はすでに見出されていた「現実」なのでもあった。
「…権力----アメリカ革命の人びとが、全国の自治的制度にすべて具現されていたために当然なものとして理解していたような権力----はただ革命以前に存在していたというだけではなかった。それはある意味で、新大陸への植民以前に存在していた。メイフラワー誓約は船の上で起草され、上陸直後に調印されたからである。…」(※3)
 アメリカ植民者にとって「権力」とは、何よりもまず植民者の一人一人が「自分自身の生活を維持し発展させていくために行使することのできる《力》」であり、「自分自身の生活領域を保護し拡大していくことのために行使できる《力》」のことだった。その「力」を他の誰にも妨げられることなく行使できることにおいてこそ、何者でもなく何も持たない彼ら植民移住者たちの「自由」は、はじめて見出しうるところとなったのである。

〈つづく〉

◎引用・参照
※1 アレント「革命について」志水速雄訳
※2 アレント「革命について」志水速雄訳
※3 アレント「革命について」志水速雄訳

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