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#コラム・エッセイ
かなりタイプの女性と老人にハルメイタ日は。
少し肌寒く、桜が咲き誇るのを我慢していた日のはなし。
満開を感じる前に行くべきと考えた。いや、会いに行くべきと考え直した方が正しいのかも知れない。
私は、少し遠回りをして春を感じたかった。
かなりタイプの女性がいるお気に入りのコンビニは、海に面しているこの街では、その象徴を海に全てを奪われてしまい、存在を忘れられそうな山側の場所にあった。私は、時間をかけてその忘れられそうなコンビニへ向かい珈
その一言は、物語を生む。
目を引く言葉だった。
どうやらそれは、WBCの日本対中国戦後の中国代表ディーン・トレーナー監督の言葉みたいだった。
中国代表ディーン・トレーナー監督が綴った言葉はどこか物語みたいに私に、印象的な側面を持たせた。
「Shohei今日出るの?」
我が家の、8歳の坊主が私に聞いてきた。それは、翔平ではなく、Shoheiだった。
子供には、特に野球について話した事はない。
いつの間にか野球の存
彼に傷付けられながら、授けた仕事と価値の人生訓。
会社の後輩と片道90分ほどかかる場所へ向かう事になった。彼は、私をnoteに誘った男だ。彼は、車の鍵を私に渡すとこう言った。
「コニシさん。自分、車30分以上運転すると疲れちゃうんで、運転してもらっていいですか?」
彼は私が疲れる事を、その事実はまるで存在しないかのように、一瞬の澱みもなく言いきった。
私は、鍵を受け取るという選択をせざるを得なかった。
横須賀に向かう車は、湘南海岸を右手に
向田邦子からの菊池寛。「嫌ですよね」から考える「人」となり。
人は自分が思考するほど、人や自分の事など気にもしていない。
これはたぶん私の言葉だ。
私の言葉だろうが、それが何だろうが、誰も別に気にしていないだろう。だがそこに、第三者の目が入ると、心に生まれてくるのは、それを確かな物にしようとする自尊心や虚栄心だ。
人間は、厄介だ。
自己の完結で済まない承認欲求や、人との比較から本来しなくてよい筈の嫉妬をしたりする。
私は、自分の思考の裏側を考えるの
純然たる下心から影響を受けやすい私は、秒で小津安二郎の「東京物語」を観賞した。
日常を切り取る。簡単に使用するが実際は変化を感じ取る事が必要だ。
時間が一定の方向で流れている時に、物事の変化にはまるで気付かないように人は鈍感になる。
日常を切り取り、そこに残してくれた作品に触れて自分を感じる事がある私の本質はどこに存在するのかと考える。
文字に触れる事で、自分の心の変化を敏感に感じる現在は、自然と自分に必要な情報を得るアンテナの感度が優れている状態であると思いたい。これ
「憧れの人」になった自分は、必死にあと19年を確保した冬の日
それは、昨年の年末だった。
「年明けたら、どこかでお会い出来たら嬉しいなぁ…なんて思ってます」
とのメッセージだった。
非常に丁寧な文面をいただいたが、この2行だけしか目に入って来ず、他をいくら読もうとしても読めなかったのは残念でならない。
私は動悸を静め、深呼吸しながら念のため5回ほど読み直したが、間違いなく誘われている事を認識した。私の人生経験で同じ女性に二度誘われるなんていうのは、ほ
贈られた「手作りカルタ」で僕は僕を知る。~自己紹介編~
「午前中に届くように郵送したので受け取ってください」
そう言われて待機していた僕に届いたものは、自分を見つめるにはタイミングが良すぎる理由になるものだった。これを贈り物と言わずに通過出来そうもない。
北九州からの贈り物は、明らかに僕への贈り物だった。それは厄年を迎える僕の躍年への願いが込められていた。中でも目を奪われずにいられない箱があった。そこに描かれていた文字は、
かるTAWA。
かる
第8回《ふるさとと文学2022》「開高健の茅ヶ崎」に行ってきた。
12月下旬一枚のハガキが家に届いた。
ハガキは、往復ハガキの返信用で少しでも市役所の方に上手く見せようと、若干細目に書いた見栄っ張りな字がバランス悪く中央より若干下に書いてしまっていた。
僕は、そのハガキが何を意味するかは知っていたが、裏を捲る心の準備をしてからハガキを覗いた。
入場整理券〈売買禁止〉
ふるさとと文学2022~開高健の茅ヶ崎
と目に飛び込んで来た。
当選に胸の高鳴りを覚え
世代交代と統一戦。どれも同じ時間軸だが人それぞれだ。
友人が親から世代交代し社長になるという。25年来の友人とは人生の半分以上関わっていることになる。
時間という概念は、交わる時間の積み重ねで信頼を生むのだろうか。どこでどう同じ時間を共有するのか誰も知らない。
多感な時期の時間の積み重ねは、日々が未熟で小さい分、心の大部分を占める。強烈な思い出や、言動は時間を越えてあっという間に引き戻す。
だがしかし、普段の生活に於いて共有する時間はます
内面を上げるのに必要なのは、少しの負荷とテンションかもしれない。
その日の僕は、バック エクステンションなる器具の前にいた。
「ほう。バック エクステンション」
思わず口に出さずにいられないそのエクステンションに僕はまんまと乗せられた。
とりあえず、器具に座り僕にふさわしい負荷を探しながら僕はさりげなく背中にエクステンションをしてみた。それは僕にとって、味わった事のない未知なるエクステンションだった。
村上筋肉倶楽部
~エクステンションからの景色編~
デパートと流行を考える。駄々の落とし穴と親子の確認。
休日に実家に帰り久しぶりにデパートへ出掛けた。それは私が小さい時から存在するこの街のアイコンみたいな場所だった。
当時から玩具売場は3Fで、規模こそ少子化の影響からか小さくなっているが、現在も存在しているゲーム売場にてどこかのお母さんと小さな兄弟を見かけた。
最近はあまり見ないがどうやら駄々をこねているようだった。
私はその様子を、どこか懐かしく思いながら邪魔にならないように見ていた。
「