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セカイの日常

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セカイの日常。
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#エッセイ

パン食べすぎ人間の最適化計画

パン食べすぎ人間の最適化計画

「我々はパンを食べすぎている」

紺地のローソファーに身体を預けながら、お気に入りのバタースコッチを食べている時だった。

大きな口でかじりついた瞬間から、仄かなバターの香りとふんわりしっとりした生地が嗅覚・味覚の支配権を奪い取って『さあ、バタースコッチ色に染まりなさい』とわたしに語りかけてくる。

咀嚼するごとに意識は甘美で満たされ曖昧になり、脳内では一面にバタースコッチ畑が広がっていた。

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"何者か"になりたくて苦しいけど、たぶん、未来から見たら愛おしいのだろう。

"何者か"になりたくて苦しいけど、たぶん、未来から見たら愛おしいのだろう。

家に「Emilia(エミリア)」という名を持つ、テディベアがいる。サラサラと滑らかな美しい光沢のある毛並みに、反射した光を内包するつぶらな黒い瞳。ほんのり口角を上げた口元で、いつもじっと、そこにいる彼女は、日々変わらず"愛らしい"という癒やしをもたらしてくれる。

「Emilia(エミリア)」という名を持って生まれた彼女は、表参道にあるSteiff青山店に並べられ、わたしという人間に見初められた。

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ライティングでご飯を食べるようになって2年。やっと豊かになってきた。

ライティングでご飯を食べるようになって2年。やっと豊かになってきた。

小さい頃、よく折り紙で遊んでいた。

『かんたん!おりがみブック!』みたいな、1.5cm程は厚みのある折り紙のレシピが詰まった本を開いて、そこに描かれた花や動物を表現することに"憧れた"。

あくまでも"憧れていた"というのは、わたしは本の中で活き活きと芽吹く植物も、今にも動き出しそうな動物も、再現することができなかったからだ。

折り紙の基本は「やまおり」と「たにおり」を知るところからはじまる(

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育休後のキャリアに悩む友人に何と答えるべきだったのだろう

育休後のキャリアに悩む友人に何と答えるべきだったのだろう

好きに生きたらいいのに、という言葉は、薄情に聞こえてしまうのかもしれない。

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空一面に隙間なく分厚い雲が敷き詰められた、湿っぽい昼どき。部活帰りの学生たちに囲まれながら、錆びたコンクリートの階段を降りると、改札の向こうで久しい顔がこちらを見ていた。

高校から続く十年来の友だちと、その子どもだ。この間、会ったときはハイハイしていたはずなのに、しっかり両足で立っている姿に成長の早さを感じて、

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女性だから、男性だから、なんて枠を飛び出す勇気がほしい

女性だから、男性だから、なんて枠を飛び出す勇気がほしい

セクシュアリティについて、考えることがある。

女性だから、男性だから、と性別によって当たり前のように区分されたり、あたかも常識であるかのように決めつけられたりする風習が、いつからか苦手になった。

たぶん、発端は小学6年生の誕生日。クラスの友だちが誕生日プレゼントとして「ディズニープリンセスのジャスミン」のピンバッジを贈ってくれたときから、違和感は始まっていた。

小学生のわたしは、「ありがとう

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普通って、生きてきた道らしいよ。

普通って、生きてきた道らしいよ。

「普通、ウェディングドレスは着たいよ! 結婚式は女子の憧れ〜!」

「え、子ども欲しくないの? 女性って普通、子どもは産みたいものかと。へぇ……そういう女性もいるんだね」

「19時からMTG入れたから。は? 定時? いや仕事だから。残業なんて、社会人なら普通だよ」

「好きなバンドの歌詞が掲載された広告がクレームで取り下げられた! なんで!! 普通に良い歌詞なのに……!」

「普通、コップを使っ

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表現する仕事をずっと好きでいたいから、独立する。

表現する仕事をずっと好きでいたいから、独立する。

わたしは普段、フリーライターとして活動しているのだけれど、まさか大人になってから、諦めていた学生時代の夢を叶えられるとは微塵にも思っていなかった。

ダンスサークルに明け暮れていた大学時代。わたしの活動時間は専ら深夜だった。日本のストリートダンス文化なのか、練習やイベント(ショーやダンスバトル)は深夜に行われる機会が多かった。

六本木の小さな箱で開かれた「SOUL STREET」、ショーにバトル

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小説が好き。そして、苦手。

小説が好き。そして、苦手。

小説はサラリとした紙を一枚捲れば、現実世界を超えた新しい場所へ、わたしを連れていってくれる。

一行読めばそこはもう、主人公がいる世界。現実離れした世界の時もあれば、似ているけれど世界線の異なる世界の時もある。すぐ隣で暮らしているような気にさせる時もある。

わたしは一度、小説の世界に呑み込まれてしまうと、まわりの景色も音も感覚もすべてが消えて、身体と五感まるごとぜんぶを連れて行かれてしまう。

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「せっかく、女の子を産んだのに」という母の一言が忘れられない。

「せっかく、女の子を産んだのに」という母の一言が忘れられない。

「結婚式はしない」
そう宣言するわたしに、母は眉間に皺を寄せた。

浅瀬程度かもしれないけれど、驚く気持ちも、悲しい気持ちも少しはわかる。母の世代では結婚式を挙げるのは当たり前の出来事だったのだから、結婚式を挙げないだなんて、衝撃の一言だったに違いない。

その悲しみにやさしく寄り添える立派な娘であれば良かったのだけれど、「せっかく、女の子を産んだのに」と言葉がつづいて、いたたまれない気持ちになっ

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痛みや苦しみに気づくことは、自分に優しくなることだ。

痛みや苦しみに気づくことは、自分に優しくなることだ。

自分に対して、丸くなる。
そんな言葉が頭に浮かんだ午後のこと。

7 : 3 で割ったカフェラテをステンレスマグから喉に流し込むと、ストンと言葉も一緒に喉を通って腹落ちした。 

会社員として一日、16時間程度拘束されていた頃は、痛みや苦しみは仕事から逃れるための言い訳として捉える以外に考えがなくて、限りなく0に近いHPに見て見ぬフリをしてパソコンの画面に喰らいついていた。

パソコンに感情があっ

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新しい挑戦をするよりも、今ある物を洗練させていきたい。

新しい挑戦をするよりも、今ある物を洗練させていきたい。

2022年2月末。
「そろそろ春かな?」と思っても、まだまだ朝は布団から出るまでに時間がかかる。

でも部屋にやってくる風の冷たさは、UNIQLOで買ったモコモコのパーカーと内側ボアのパンツで凌げるほどの温度に変わってきていることは確かだ。ちょっと寒い。でも気持ちいい。先月は感じられなかった心の機微に春の面影を感じる日々だ。

春になると活気よく飛び交うのが #新生活  という言葉だろう。年度が区切

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