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痛みや苦しみに気づくことは、自分に優しくなることだ。

自分に対して、丸くなる。
そんな言葉が頭に浮かんだ午後のこと。

7 : 3 で割ったカフェラテをステンレスマグから喉に流し込むと、ストンと言葉も一緒に喉を通って腹落ちした。 

会社員として一日、16時間程度拘束されていた頃は、痛みや苦しみは仕事から逃れるための言い訳として捉える以外に考えがなくて、限りなく0に近いHPに見て見ぬフリをしてパソコンの画面に喰らいついていた。

パソコンに感情があったなら、きっと恐ろしく思えていたに違いない。空腹で理性を失くした野獣に近い状態だったのではないだろうか。寝食も忘れて仕事を貪り喰らう持ち主を見て、さぞかし社畜の執着に震えたことだろう。

一日の半分以上を共に過ごしていたわけだから、キーボードのエンターキーとAキーは早々に取れてしまったし(面倒で交換をしなかった)、表面を爪でカリカリと削る癖があったのでタッチパッドは中心から歪な円を描くように剥がれてしまっていた。(やはり交換するのは面倒だった。)

キーの溝に歯石のようにこびりついた煤や埃。ベタベタに指紋がついて曇った画面。入社当時、背面に貼り付けた謎のシールを剥がそうとして失敗した跡。

どう見ても、誰が見ても、ボロボロだったパソコンは、いま思えばわたし自身を投影していたようにも思える。

それでも頑なに仕事を手放そうとしなかったのは、今となっては不明である。
魚の水を得たるが如し。わたしにとって仕事は、離れたくても離れられない、人生をともにする伴走者の一員だったのだろう。

当時、いわゆる広告代理店に勤めていたので、その忙しさは業界人であれば理解してくれると思う。なかには「その辺の代理店より、よっぽどホワイト」と笑う社員もいたので、幾分はマシな環境ではあったのかもしれない。

その人は誰もが知る大手広告代理店から転職してきた女性で、「クライアントの言いなりになるな。金棒を振り回せ」と白く美しい顔立ちに似合わない言葉の矢を打ち放つ人だった。

けれど美しくそびえ立つ信念を持ち、堂々と振る舞う彼女の姿に人々は惹きつけられ、焚きつけられ、金棒を振り翳す背中を追う者は多かったように思う。

わたしはややチームが外れていたのでコミュニケーションを取る機会は少なかったけれど、凛とした言葉に背筋を伸ばすことが数度とあった。

ただ一度だけ、彼女の言葉に首を傾げたことがある。

彼女はどうしてか、フリー素材サイトの『いらすとや』のイラストを仕事で使用することに激しい嫌悪感を抱いているようだった。プレゼン資料に使う人の気が知れないと鼻息を荒げていた。

わたしはやさしいタッチで描かれる中和的な『いらすとや』のイラストが好きだったので、唐突に火矢を放たれた心地で胸がざわついたことをおぼえている。

『いらすとや』のイラストはそよぐ風のように頬を撫でる雰囲気があって、HSP気質をもつわたしがどれだけ見ていても心を脅かされない、心地よいイラストの一つだった。

だからこそ部の全体会議の場で吊し上げられるように面前に晒された『いらすとや』を思うと、親友の人格を否定されたような、好きという想いを土足で縦断されたような気持ちになって酷く落ち込んでしまったのだ。

「たかがイラストに」と嘲笑う人もいるかもしれないけれど、『いらすとや』だってイラストを企画し、作成し、運営する作り手という存在がいるのだ。

果たして作者を前に同じ台詞を吐ける人はどれだけいるのだろうか。

すべての制作物の後ろには人がいる。

だから。
物を侮辱することは、人を誹謗すること。
に、似ているとわたしは思う。

自身の趣味嗜好に従って、物事に好き嫌いを付けるのは自由だけれど、部の全体会議というある種の公の場で発言してほしくなかったな……と、今のわたしは思うのだ。

人によっては些細も些細な、靴底の溝に小石が挟まった程度の出来事であったかもしれないけれど、昔から物事に敏感で、感情移入しやすいわたしにとっては心を揺るがす大事件だったのだ。

当時のわたしは、その大事件に直面したとき、打ちひしがれる思いを抱きながらも悲しみに蓋をして「見なかったフリ」をした。ネガティブな感情にはすべて蓋をして、「無」になるという手法を選んだのだ。

「無」は良かった。
起こった出来事をなかったことにできる。
巻き戻しもリセットもできないこの世界で「無」は、とあるシーンが起こる前の自分の状態へワープさせてくれるスペシャルな必殺コマンドだった。

だけれど会社を辞めて、フリーランスになったいま、悲しみや苦しみといったネガティブな感情や状態に蓋をして見て見ぬフリをして過ごしていた日々は、じつは己を傷つけて苦しめていたのだろうと思う。

だって本当は「なかったこと」にはできないのだから。
毎度、その事実を受け止めて、或いは受け流して昇華しながら進むべきだったのだ。

『いやすとや』のイラストを侮辱されたあのときも、湧きあがった疑問を、怒りを、悲しみを、解き放っても良かったのだ。
それは彼女に対抗するという意ではなく、「わたしはイラストが好きだ」と自分の気持ちを確かめて、彼女の意見を耳に入れながらも、わたし自身の答えは何なのかを考え、導くこと。そうすれば、その出来事や抱いた感情に大きく赤い「済」マークをつけて終わらせられる。

でなければ、昇華されないネガティブなモノたちは、わだかまりとなって腹のなかで渦を巻き、轟きつづけることにる。負の響きはジワジワと大切ものを蝕んでゆく。蓋の隙間から音もなく這い出てきて、内側から徐々に侵食してゆく、バレないように、こっそりこっそり、傷をつける。ボロボロになっていく事実に気づけないまま時が経つ。次第に自分が苦しんだり、傷ついたりしていること自体、分からなくなる。なんて、悲しいことだろう!

「無」になることで自身を助けていたと思っていたけれど、傷つけていた。その一端に気づけただけでも、いまのわたしの功績は大きい。

辛いときは、「辛い」と言う。
昼寝したっていい、散歩に出かけてもいい、コンビニスイーツを食べたっていい。自分のなかに居座っていた「〜ねばならない君」を飼い慣らして、「きょうはお休みだよ」と声をかけてみる。

苦しいときは、「苦しい」と言う。
苦しみの渦中から精神的・物理的に距離を取って、徐々に離れて、縁を絶つ。人はそれを「逃げる」というけれど、「逃げた先で何をするのか」がぼんやりとでも存在していれば、もうそれで良いのではないだろうか。

そうやって自分に対して丸くなることで、ここ数年で見違えるほどに世界が美しく見えるようになってきた。

自身が感じる痛みや苦しみに気づくことは、自分に優しくなることだったのだなあ。

喜びも悲しみも、すべてひっくるめて愛せるような、優しいわたしで在りたいものです。

by セカイハルカ
画像 : sassaさん(癒される、家に飾りたい…)

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