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2022年9月の記事一覧
【多様性を考える】黒に見えるものを白だと言う人がいたらどうする?
自分とは違う感覚を持つ人間がいるということは、時に自分には信じ難いことを言われることがある。
そもそも、人の五感は生まれた時から備わっているもので、特に意識せずとも感じていて当たり前のもの。人間という同じ形をしている他の生命体が、同じ五感を備えていると信じて疑わないのが正常だろう。
そうやって生きてきたのに突然、自分に見えていないものを見えると言う人が現れたら、どう思うか。
自分には黒に見え
出来ないなら、知ればいい。出来るようになればいい。
未来を担う子供たちへ共感覚を伝えたい、その思いを中日本のプレゼンでは話したが、最近ではこれをより深く掘り下げるようになった。
そうして細い道筋を開けはじめたのが以下の記事で、
それから、社会福祉に目を向けるようになり毎日いろいろと調べている。
が、自分の知識のなさに頭を抱えてしまう日々だ。共感覚にしろ伝えたい子供たちや親御さんにしろ、今の私は圧倒的に知識がないことが課題だ。
専門的に学ばな
全ての衣装にかける私らしさとメッセージーBeautyJapan日本大会2ndインスペクション②
2ndインスペクションでは前回の山梨の続きで、二度目のガイドブック撮影があり、指定のドレスコードに合わせ衣装を用意した。
中日本大会が終わって8月の頭には前回のものと同時進行で構想を練っていたもので、今回は「小物のブランドの統一と私らしさ」にこだわってみた。
ブランドや衣装も引き続きまだまだ言えないが衣装と髪型、メイクで私らしさを。ヘアメイク、イヤリング、靴などは同じブランドで統一し、そこでも
私の活動の着地点は【共感覚を言葉と絵で伝える】
昨日、テレビ局からの共感覚についての取材があり、色々と質問を受けながらそれに答えた。まだ具体的なことは決まっていないため詳細はお伝え出来ないが、とても真摯にお話を聞いてくださり安心して話をすることができた。
このような問いに、即答が出来たのはBeautyJapanで着地点を明確化させたからだと言わざるを得ない。
私の活動の着地点にぶれはなくて、一番伝えたいのは未来を担う子供たち。それから、親御
夢は、未来は、自分が動かなければ何も動かない
高熱が出ていた数日間よりはるかに大きな倦怠感と吐き気が出始め、寝込む日が続いた。まだ熱が出ている時の方がましだと思うほど、想像以上にしんどいと感じる。
久しぶりにPRのお仕事があったので、ぎりぎりまで日程を変更してもらうか悩んだが、発熱時に一度変更をしてもらっていたので何度もお願いするのは申し訳なく思い、熱があるわけではないのだからとお店に伺った。
優しい味の料理に心癒され、久しぶりに1杯だけ
色の濃さは人生と比例するのか【共感覚アートメモ:人生】
昨日は時間もあり、筆も乗っていたため共感覚アートの制作がとても捗った。現時点での注文分はこれであと5枚。いや6枚か。
昨日は子供がメインとなる絵を2枚描いた。そののちに、成人男性の絵も描いた。
色々な経験をされてきたこの男性の絵の下書きはとうの昔に描き終えていたのだが、「こんな絵が、水彩で表現できる気がしない」「この人にはアクリル絵の具じゃないと無理じゃないか」などという想いがありリアルペイン
個は家族になると調和する【共感覚アートメモ:家族】
体が起き上がれるようになってきたので、引き続き制作を進め始めた。リアルペイントの制作は日中にしかできないので、夜の間に下書きが止まっていた絵を仕上げる。
中日本で大変お世話になった、事務局長の井土さんが新しい鍼灸院を建てられるとのことで家族の共感覚アートを注文いただき、その下書きをしあげようとしていた。旦那様のことも知っているため、それぞれの色をわかっているので、特に追加の情報はなくて大丈夫です
モーツァルトは引きずり込まない【聴覚からの共感覚】
私は文章を書く時、基本的に無音だ。自分の世界に入り込みたいのと、文章に集中するために、ながら聴きがあまり得意ではない。
だけどひとつだけ文章を書きながら聴ける音楽がある。
それがモーツァルトの楽曲だ。
モーツァルトについては、どこかで書いたことがあるかもしれないが、
私にはとても合っているのか、うるさいと感じず、ぎゅっと体に馴染む感じがしてかけていても邪魔にならない。
この間シューベルトの
【聴覚からの共感覚】シューベルト「魔王」と私
先日、音楽配信をしていた時にクラシックの話になり、その中で「魔王」を思い出し、かけてみた。
小学校の頃にならったこの曲は、魔王の幻覚をみて子供が怖がり最終的に冷たくなり死んでしまう、、という、子供の頃にならうにはあまりにもショッキングな楽曲だ。
楽曲自体は素晴らしいし、オーケストラでの迫力は凄まじい。
しかしこれを私は人生で一度しか聴いたことがなかったことに、その先日の音声配信の時に気付いた
【共感覚を武器にする】五感の全てで〝きらめき〟を模写する
亡くなった祖父が油絵を描く人だった。
実家の勝手口の横にはちいさな「じいちゃんの絵の部屋」があって、描きかけのキャンバスや、綺麗な色の絵の具が乱雑に置いてあった。
新聞紙などもたくさんあって決して綺麗な部屋ではなかったけど、子供心にわくわくする場所だった。
父は写真屋をしていて、父も絵が上手な人でお祭りの大きなイラストを頼まれたりしていた。学校から帰ると6畳畳いっぱいに大きな絵を描いている休
伝えたいことの体現への追求
今日の夜から山梨に向かい、明日から日本大会のインスペクションが始まる。
不安要素がないと言えば嘘になる。私の中では前にも書いたがインスペクション=見たくない自分を無理やり押し付けられ向き合うことになる恐ろしい日だ。
日本大会ファーストインスペクションでは、ガイドブックの撮影がメインとして動くそうだ。
テーマに沿った自己の表現。
前回のガイドブックから始まり、日々の魅せ方、そして中日本大会当
「当たり前」がわからない感覚をもとに、共感覚と多様性を考える
先日、聴覚に関する共感覚についてああでもないこうでもないと思考整理を行っていたが、
その中での私の仮説として、
というもので着地した。が、あくまでも仮説だとその時も付け加えている。
この話を先日、川﨑先生にしたところ耳が聴こえている情報と共感覚での聴覚の反応が違うのはそりゃーそうだというニュアンスの返答がきて、そのまま次の話に流れていった。
この仮説は仮説ではなく、当たり前に考え付くことだ
共感覚で見る光は輝き、跳ねる
『光』
共感覚に置いてよく取り上げられるのは感情の『色』だが、色のテクスチャに加え光が見えることもある。
風が吹くように閃光が通り抜けるような光の時もあれば、弾ける星が飛び出すことも。
アートに表現がなかなか難しいため光の動きはあまり詳細には伝えられないが、共感覚の光にとても似ていると感じたのは豊洲にあるチームラボプラネッツ。
チームラボプラネッツ豊洲
特にこの光の場所は時間を置いて閃光