悲しみは、やはり何かのチカラになっている。悲しみのエネルギーは、それだけ強いのだろうか。 そんなことを思いながら、この曲を。 https://note.com/hisataroh358/n/n166a415ecbb6
夏。出会いや別れがあり、夏の暑さが演出するのか、そんな出来事も印象的に記憶される。 あの夏の公園、あの夜の花火、あの日の夜景 詩人でなくとも、思い出の中では誰もが詩人。 あの夏は君がくれた奇跡。 溢れる涙を夕日の輝きのせいにして。 https://note.com/hisataroh358/n/nd0c7a1f31b9f
思い起こせば、なかなか光が見いだせず、焦ったり、落ち込んだ時期もありました。そんな時期があったからこその現状だと思いますし、そんな時期はもしかすると人生には必要なのかもしれません。 かならず輝かしい未来が待っているのだから。 https://note.com/hisataroh358/n/nc1f5daebb608
雨粒の立てる音にアコースティックギター。 この二つの音は、意外にも調和する。そんなことを感じた。 音の調和。 雨はまだ止まず、規則的な雨音は永遠に続くかのように響きつづけていた。アコースティックギターの響きを伴奏にして。 https://note.com/hisataroh358/n/ndc560f53d495
Love という言葉をどんなふうに訳して捉えるか。日本の文豪の一人は、こんな風に綴っています。 「話したいことよりも何よりもただ逢うために逢いたい」 竹久夢二『竹久夢二、愛の言葉』より https://note.com/hisataroh358/n/n145d9ee0da48
何が正しいサヨナラだったのかが分かっていれば良かったのに、、と思いながらも、そんなものが本当にあるのかな、なんて考えてみたり。 そうこうしている内に、また、強烈な哀愁の感情におそわれる。 それは、さながら真夏の通り雨のように https://note.com/hisataroh358/n/nb545e2420164
程よい距離感とは、自分が安心できて、相手も安心させることができるもの。 何か寂しい時、悲しい時。そばにいて欲しい誰かはきっとこの距離感の中にいるんだと思います。 その距離の中に。 そして、それは離れゆく誰かを取り戻せる距離。 https://note.com/hisataroh358/n/n7693177e37da
花言葉や各国の言葉に共通するのは、ひまわりが太陽を向くという性質。 ひまわりがラブソングにおいて、大切な人を見守る自分自身や、愛する人の情熱の比喩に使われるのは、納得性があります。 https://note.com/hisataroh358/n/n11fb43529f7a
中学の時の先生の座右の銘は「人生は感動なり」。彼は登山家で、ある日の夜更に、ふとテントをでて、空を見上げたら、、。まさに今にも降ってきそうな星空が広がっていて、あまりの感動と衝撃に、しばらく言葉を忘れていたそうです。 https://note.com/hisataroh358/n/n4e354c0ee82c
未来は我々の前にある。川の流れに例えると水は流れて海にたどり着く。時間的には未来が海。過去は川上。地球は未来へとまわる。海の方へ。太古の昔、人類の祖先は海から陸に上がってきた。海が人類の故郷。地球は、海の方へ回る。人類の生命の源へ https://note.com/hisataroh358/n/n9cf89df5b954
なんて事のない日常にも、仲間や家族の営みがあって。 何気ない日常。記憶に鮮明に残っているわけではない日常。 特別なことなんてあまりなかった日常。 そんな日常も、色彩のブルースに包まれていたんですね。 https://note.com/hisataroh358/n/n522431042ec7
他者比較よりも、絶対的な自分の事を見つめたほうが良いですね。 そして、ありのままの自分を愛していく https://note.com/hisataroh358/n/n69f82ce43f39
今は遠く離れたところにいるけれど。 今は同じ夜空を見上げている。 今は同じ星を見つめている。 今は遠く離れたところにいるけれど。 夜空に浮かぶ星でぼくたちはつながっている。 そんな夜さ今夜は。 https://note.com/hisataroh358/n/n2e2f23a354bf
目的地に到達した先に、思っていたのとは違う形の雲や、色が違う空があったとしても。そんな時に意味を持つのは、そこに到達しようともがいたそのプロセスなのではないかと思います。 https://note.com/hisataroh358/n/na345f9a0c989