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本能寺の変1582 見えてきたもの 231209 第21~30話 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

見えてきたもの 231209 第21~30話

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重要 ◎目次
→重要 ◎目次小 抜粋区分 第1~20話 第21~40話 第41~ 話 

時代の風潮

 時は、戦国時代。
 油断すれば、隙を衝かれる。
 死は、常に隣り合わせ。
 至るところ、伏兵が潜んでいた。

 信長は、人を信用せず。
 相手もまた、信長を信用せず。
 相互不信の時代だった。

  【参照】◎第24話 第24話  ◎第25話 第25話

信長の人物像

信長の性格

 信長は、きわめて、猜疑心の強い男。
 疑い深く、用心深く、つけ入る隙を見せない男だった

  【参照】◎第23話 第23話  ◎第25話 第25話  

 信長は、粘り強く、執念深い。
 ついに、美濃を平定した。 

  【参照】◎第28話 第28話

信長の志向

 信長は、上昇志向の人。
 目的意識の強い男である。
 「天下布武」
 信長には、夢があった。 

  【参照】◎第29話 第29話

信長の油断

 信長も、人の子。
 神の子に、あらず。
 時には、油断=隙=失敗することもあった。

 信長は、河野島で斎藤龍興に敗れた。

  【参照】◎第27話 第27話

光秀の人物像

出会い

 将軍義輝、殺害事件。
 これが、光秀の人生の転機になった。
 義昭が、幕府再興に動き出した。
 信長は、義昭に協力を約束した。
 細川藤孝が、信長の窓口だった。
 光秀と藤孝の出会いは、その延長線上にあった。
 そして、このことが、光秀と信長の邂逅へと繋がる。

 【参照】◎第21話  第21話

光秀の志向

 光秀もまた、信長と同じ。
 上昇志向の人である。
 目的意識の強い男であった。
 光秀にも、夢があった。
 「明智の再興」
 悲願である。 

 光秀は、典型的な戦国武将。
 目的のためには、手段を選ばない。 

 光秀は、没落していた。
 光秀は、細川藤孝の下で動いていた。
 光秀は、藤孝と密接な関係にあった。

 光秀は、出来る男。
 優れた能力の持主だった。

 光秀は、聡い男。
 「機を見るに敏」
 幕府再興を好機と捉えた。
 光秀の年齢。
 
この時、すでに、四十代。
 人生最後のチャンス!!
 藤孝の使者、明智光秀。

 
光秀は、己の夢を、信長の「天下布武」に重ね合わせた。
 すなわち、志向の一致。

 【参照】◎第29話 第29話  ◎第30話 第30話




 ⇒ 次へつづく  


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